第34話 青天の霹靂
真っ青な空の下、ラプンテにあるロコモ城のバルコニーで白髪の矍鑠とした老女がお茶を嗜んでいた。
風もなく、長閑やかな朝。
老女の目の前に広がる綺麗な青い湖と、雲ひとつない青い空がその果てで二分する。
そんな景色を眺めていた老女の耳に、背後から近づく足音が聞こえた。
老女はため息を吐き、紅茶を一口飲んだ。
1人の精悍な若い男が声をかける。
「どうも、ニュクァスさん。お久しぶりです。今ってちょっといいです?」
悠然とした態度に軽い口調だが、馬鹿にしている感じではない。
ニュクァスは後ろを振り向くことなく、紅茶が入ったカップを机に置いた。
その動作一つとっても、その上品さが伺える。
「よくここに来れたね。あんたは空でも飛べるのかい?デゼル」
呆れたような物言いだが、そんな言い方をするのも無理はない。
ロコモ城は高い崖に聳え立ち、その外観から天空の城とも呼ばれる難攻不落の城。
最近まで、パオットの魔術師として共に戦う仲間だった2人だが、ニュクァスが裏切ったことで今は敵同士。
デゼルはニュクァスからすれば侵入者も同然だった。
そんな男がさも当然だと言わんばかりに城内からバルコニーへと出てきたのだ。
大抵の者なら驚くところだろう。
「今のところ飛んだことはないですね〜」
敵地に1人、何も持たずにやってきてこの返答である。
「いい加減なことを」
「どうやってここに来たのかなんて分かってるんでしょう?」
「相変わらずだね。魔族だってのに魔力も抑えて...」
デゼルは魔族に違いないが、魔力を抑えているため肌が変色していない。
「それは、お互い様じゃないですか」
「私の歳じゃあもう肌の色変わりなんてしないよ。はぁ...。なぁんにも起きなそうな静かな日だと思ってたら...。座りな」
「どうも」
そう言ってデゼルは、ニュクァスと机を挟んだところに置いてあった椅子に腰掛ける。
「それで用件は?」
「ちょっと顔を出そうと思って」
「年寄りにゃ冗談を言ってる暇なんてないよ。用件は?」
「冷たいなぁ〜。久しぶりだってのに」
「普段、表舞台に顔を出さないからだろ?私は隠れた覚えはないよ」
「...たしかに」
「いいから何をしに来たか早く言いな」
「ちょっと知恵をお借りしたくて」
「知恵?敵の私に?」
「敵とは言ってもパオットが今ここを攻めることはないですから。攻撃をするのはちゃんと雪が積もる季節になってからですよ〜」
デゼルの口調のせいで、どこまで本気で言っているのかは分からない。
「それでも敵だってことに変わりはないだろ」
呆れた様子のニュクァス。
「なら僕を殺します?ここで」
悪戯な笑みを浮かべるデゼル。
一瞬にして場の空気が張り詰める。
しかし、ニュクァスは動じることなく平然と答える。
「別に興味ないよ。いいから早く本題に入りな」
デゼルはその返しに一瞬だけ苦笑いを示し、本題に入る。
「オーネス・エンビネルって人について聞きたくて。どうも噂じゃ切れ者だとかなんとか」
「まぁ間違いないね。どんな手を使ってくるかも分からない。本当に厄介な男だよ。...最近マーロン王国が奇襲作戦を遂行しようとしたのは知ってるかい?」
「奇襲?なんですか、その物騒な話」
「ムィレフがニワーカーブを狙う前、マーロンがキヤの町を狙ってたんだよ。失敗に終わったみたいだけどね」
「ほう」
「あの数の魔術院連中の意見をまとめ、あのマーロン王国が奇襲にまで踏み切れたのは、間違いなくオーネスの存在が大きい」
デゼルは眉間に皺を寄せ微かに首を傾げていた。
あまり理解できなかったらしい。
「...なるほど。それで、貴方が消えたパオットはその人がいるマーロンと戦っていけるんです?」
「ハムサがいるだろう。それに今はムィレフだっている。戦っていけなきゃ戦争には勝てないってだけさ。...そんなことを聞きに来たのかい?」
「いやぁそれがニワーカーブ攻略を任されちゃいまして」
デゼルは右手を頭に乗せて照れている。
「懲りないねぇ」
「参っちゃいますよねぇ、本当に。でも本当はミコンハーゴを狙いたいらしいですよ?」
「そりゃそうだろう...。まぁ今マーロンを攻めるってのはかなり良い選択だよ。動ける栄誉魔術師も限られてるようだからね」
「なら良かった!まぁオーネスって人がかなり頭の切れる人だって分かったんで、用心してニワーカーブに向かうことにします」
「そんなこと関係なく用心はするもんなんだよ...」
ニュクァスは呆れた様子でそう呟いた。
「話が聞けて良かった。ありがとう、ニュクァスさん。それでは」
デゼルは立ち上がった。
その時、ニュクァスが小さく呟く。
「侵入者に気づくのが遅すぎる...」
「え?なんか言いました?」
「敵のあんたを無事にここから返すとでも?」
ニュクァスはそう言いながら楽しそうな笑みを浮かべる。
すると、城の中から何人もの魔族の魔術師が急いで出てきた。
「興味ないって言ってたのに...」
「殺しはしないよ。多分ね」
「人が悪いなぁもう...。ま、でも今日は話をしに来ただけなんで。戦うのはまたの機会に。それじゃ」
そう言ってデゼルはバルコニーを飛び降りた。
ニュクァスは小さく鼻で笑う。
魔術師達はデゼルが飛び降りた場所まで急いで走り、バルコニーから身を乗り出すようにしてデゼルの行方を追う。
ニュクァスは湖と空を眺め、静かに紅茶を飲んでいた。
ーーー
時を同じくして、マーロン王国王都リマウンクージュの魔術院。
魔術院には、ムィレフとハムサによるニワーカーブ襲撃と、その直後に起きたトーチ失踪について話し合うため、多くの魔術師が集まっていた。
魔術院の一員であるリスキーはもちろんのこと、その場にはトーチに剣を教えたプルガーの姿もある。
魔術院に在籍はしているが、栄誉魔術師でもあるレドバドとハッチの2人の姿はない。
2人の姿がないのは、国の守備のためである。
魔術院の中で最も大きい部屋である大会議場は、中央部から端にかけて段状に迫り上がっており、百人以上が座れる席が半円を描くように並ぶ。
席に座った百人以上の魔術師達がざわめく中、オーネスは魔術師の視線が集まる部屋の中央に歩みを進める。
オーネスは他の人には気づかれない程度の溜め息をしてから中央に立ち、表情を消して席に座る魔術師達の方を向く。
話が始まることを察した魔術師達が静かになり始めたのを確認してから、オーネスは淡々とした口調で事実を述べ始めた。
「キヤ襲撃作戦の失敗。そして、その直後に起きた魔族によるニワーカーブ襲撃。ここにいる皆さんが疑っているとおり、この中に裏切り者がいることは明白でしょう」
魔術師達の中に緊張が走る。
「イゴンソイ家のご令嬢と栄誉魔術師であるトーチ・アザーレの失踪なども考えれば話題は尽きません。しかし、1番の問題は我々マーロン王国の戦力の低下にあります」
オーネスは続ける。
「2人の魔族に1つの町が半壊させられ、栄誉魔術師が1人行方不明。まぁトーチ・アザーレがいなかった頃に戻ると言われればそれまでですが、ムィレフがまたパオット側として戦っている事実を踏まえればこの損失は無視できない...」
席に座っている魔術師達の集中がそろそろ切れる頃だと直感したオーネスは一気に話をまとめにかかる。
「しかし、我々はかつてレドバドと肩を並べた魔術師がキントにいることを知っている」
魔術師達がまたざわつき始める。
「キントから出られない以上、今回の裏切り行為にも無関係」
オーネスは何かを覚悟した様子で話を続けるが、語気を荒げることはない。
周囲のざわつきが静まることを待つことなく、オーネスは続ける。
「これはマーロン王国存亡の危機、手段は選んでいられない。かの者に裏切り者の調査のため魔術院への出入りを許可し、魔術院の指示の下、この戦争に参加してもらう」
オーネスの冷たく突き放すような口調。
怒鳴ることも、声を張り上げることもしてはいないが、その言葉には怒りに似た何かが宿っていた。
会議に参加していた魔術師全員が固まった。
百人が集まっているとは思えない静寂。
反論を言おうと立ち上がりかけた者達もいたが、その異様な空気感を感じ取り沈黙を貫く。
オーネスは淡々とした口調を崩すことなく話を進める。
「国が一丸となる時、それが今だ。これに反対する者は突き止められたくない疾しいことがある者、あるいは国が一丸となることで不利益を生じる者、すなわち裏切り者だと私は思うのだが...。異論や反論がある者は?」
普段の気立てがいいオーネスからは想像もできない冷たい声色。
誰も発言することはできなかった。
「では、詳細を詰め次第バトリーに今回の件を伝える」
ーーー
それから数日後。リプンのメラカル城、戦議の間にマチスが入る。
部屋の中ではサラマンダーが外を眺めていた。
「失礼します。ラプンテから知らせが」
「ニュクァスか。内容は?」
そう言ってサラマンダーはマチスがいる方に振り向く。
「デゼルが偵察に来たと」
「それで?」
「ラプンテを捨てるようです。冬が来る前に全ての食料を持ってリプンに向かうと」
「なるほど。じゃあ私達がラプンテに行くのも無しってことか。...他には?」
「デゼルが言うには、パオットが近々マーロン王国を攻めようとしていると...」
「...そんなこと敵に喋っていいの?」
「まぁデゼルですから」
サラマンダーは唖然としていた。
「聞き耳失礼」
そう言って戦議の間に入ってきたゼノ。
「別にいいよ」
サラマンダーは微笑みながらゼノを向かい入れる。
盗み聞きを気にする様子は全くない。
サラマンダーの言葉にマチスが続く。
「隠すような話じゃない。いずれマーロンを攻めるお前には話そうと思っていたことだ。手間が省けた」
「それは良かった。事情は分かりました。それじゃご命令通りマーロンに嫌がらせしてきます。では」
「何か用事があったんじゃないのか?」
「ちょっとマチスさんの顔が見たくなったんですよ」
ゼノがそう言って目配せをマチスに送る。
質問をしたマチスは呆れ顔だ。
頬杖をついているサラマンダーは、その様子を微笑みながら眺めていた。
「では失礼」
ゼノはそう言い残し、部屋を出る。
その顔には悪戯っ子のような笑みが浮かぶ。
ーーー
マーロン王国、キント。
天気は快晴。
澄み渡る青空の下、キント城の庭では朝からシュブルが料理を頬張っていた。
「どの料理も文句なしに美味いじゃないの。料理人は今日も良い仕事してるねぇ本当」
シュブルの目の前には皿だけが数多く並んでいる。もう料理は残っていない。
「ワインくれるか?」
命令を聞き、侍女がワインを注ぐ。
シュブルが右手を横に伸ばすと、侍女は注いだワインを手渡した。
「お、ありがと」
シュブルはそう言ってから受け取ったワインを、勢いよく口に流し込む。
ワインを一気に飲み干すと、空になったグラスを机の上に置き、大きなげっぷを食堂に響かせた。
「おっと失礼。いやぁ〜満足」
言葉通り満足そうにシュブルは膨らんだ腹を摩る。
その時、バトリーがやって来た。
「どうしたバトリー」
「魔術院からだ。魔術院に戻ってきて欲しいらしい」
いつも通り、バトリーの言葉にはやる気の無さが滲み出ている。
「え?」
シュブルは唖然とした表情でバトリーを見つめる。
「...本当か?」
突然の知らせに驚きを隠せないシュブル。
そんなシュブルとは反対に、バトリーには全く動揺が見られない。
「嘘を言うとでも?」
バトリーの目に嘘はない。
「他にはなんて?」
「会議での発言権はなし、名目は魔術院内の裏切り者を見つけるためってことみたいだが...。まぁ今の王国の状況を踏まえれば戦力が欲しいってことでしょう」
「おいおい人に頼んでおいて制限付き?それはちょっと虫が良すぎるじゃねぇの。それに今更戻って来て欲しいだなんて...」
「なら断ろう」
バトリーがすぐに部屋を去ろうとするのをシュブルが慌てて呼び止める。
「ちょっ!ちょっと待ってくれよ〜冷てぇなぁ。少しくらい話に付き合ってくれてもいいじゃねぇか」
「どうせその体じゃもう戦えないでしょう。所詮は過去の栄光。期待には応えられないと返事を送っておきますよ」
そう言って立ち去ろうとするバトリーをシュブルは呼び止める。
「待て」
自信がありそうな口調だ。
シュブルは口元をナプキンで拭き、徐ろに立ち上がる。
飛び出た腹、柔らかそうな頬、肉がついた腕と足。
その到底戦えそうもない丸々とした体で、シュブルは自信満々に言い放つ。
「まぁ見てろ」
全身に軽く力を入れるシュブル。
すると、シュブルの体から蒸気が音を立てて吹き出した。
全身から出た蒸気はあっという間にシュブルの体を包み込む。
それを眺めるバトリーは呟いた。
「また変な魔法を...」
蒸気の音が弱まり始める。
蒸気の中の人影は、明らかに先ほどまでのシュブルとは思えない。
蒸気が晴れてくると、その中から筋肉質の男が現れる。
「おぉ上手くいった。問題は服の大きさくらいだな」
体格が変わった影響で服が緩くなって乱れている。
シュブルを見る侍女達の目が光り輝く。
「Payris」
バトリーは右手に氷の刃を出現させ、それをシュブルに投げつけた。
勢いよく飛んでくる氷の刃をシュブルは素手で掴み、音を立てながら粉々に握り潰す。
シュブルが氷の刃を握り潰した右手を開く。すると、氷の粉が日の光を反射しながら落ちていった。
「ずっとこの日を待ってたんだ。衰えちゃいねぇよ」
バトリーは珍しく笑顔になった。
「ご無礼を」
「よせよせ。どうせ本気で思ってないだろ」
「さぁ....。それよりまずは、着替えを」
「いやぁ俺もそうしたいんだけど...」
シュブルの顔が少し険しい。
「どうした?」
「いやぁ弱った...。筋肉痛かな。体が...少しも動かねぇのよ...」
シュブルは身動きが取ないまま、その場に立ち尽くす。
「あ、筋肉が...筋肉が小刻みに震えてる。ほら」
身動きは取れないが、どこか楽しそうな様子のシュブル。
そんなシュブルとは反対に、バトリーは呆れた様子でため息を吐いた。
しかし、そんなバトリーの口元にも微かに笑みが浮かぶ。




