第10話 墓荒らし
爪を切る。
厳密に言えば、ナイフで爪を切るというよりも切り落とすと言った方が正しいだろう。
爪は中々綺麗にならないし、たまに指を切ってしまう。
面倒だ。
だから石で爪を削る習慣をつけることにした。
毎日決まった時間、爪を研ぐように丁寧に爪を削る。
色々な恐竜をヤブラに見せた日から、昼間はヤブラの狩りにお供するのが日課になった。
ヤブラからは弓矢を使った狩りを教わっている。
矢尻の作り方も覚えた。
しかし、矢が獲物に当たったことはまだない。
難しい。
魔法の練習ももちろんしている。
召喚魔法の魔法陣を覚え、1人でも難なく召喚魔法を使えるようになった。
魔力が体の外に漏れ出さないよう、常に抑えることにも成功した。
魔力が体の中から溢れ出さないよう、体全体に循環させ続ける。
魔力を体の中に流す技術に関しては魔力の量は全く関係ないらしく、意識をするだけで簡単にできるようになった。
これを無意識で行えるようになった今は、もう魔力で居場所がバレたりするなんてことはない。
次の目標は魔力をの漏れを完全に無くすこと。
これができると、微少の魔力を察知できる達人のような人にも気配を悟られることがなくなるらしい。
そんな技術を覚えても、魔力を察知する達人と戦うことになるとか、獣から気配を隠すようことがない限り使い所はない。
そもそも小さな魔力を察知するような達人になんてまず会うことだってないだろう。
それでも気配を消せるって聞くと試したくなってしまう。
やるだけ無駄だとヤブラには言われたが、そう言うヤブラはできるらしい。
やって見せてもらったが、常人の俺には普段との差が分からなかった。
たしかにやるだけ無駄なんだろう。
それでも、俺は常に魔力の流れを意識して過ごしている。
別に特別な訓練が必要なわけではないし、日々の意識でできるようになると言うのだから試しても損はないだろう。
それに魔力の流れを繊細に操れるようになるということは、小さな魔力を察知できるようになることに直結するらしい。
魔力を繊細に操るには、まず小さな魔力の変化が分かるようにならなければならない。
これがいずれ他人の微小な魔力を察知することに繋がる。
つまり、ヤブラは魔力を完全に抑えることができ、他人の魔力で気配を察知することもできる達人ということだ。
狩りと魔法の練習。何かを新しく身につけようとするのは面白い。
それに伴い、自分の生活にも変化が生じた。
腕立て伏せを始めたのだ。
前の世界じゃ気にはならなかったが、この世界では魔力と同じくらい体格も大切。
動きを強化する魔法はあるらしいが、結局それは一瞬の動きを強化するに過ぎないらしい。
魔術師もそれなりに動ける体がなければ駄目なのだ。
思い返してみれば、リスキーさんもハッチさんもバトリーさんもかなり動けそうだったし、バトリーさんに至ってはかなり俊敏に動けていた。
ちなみに魔術師というのは、魔術を使う者という意味。召喚師、死霊使い、魔法使い、全てを引っくるめた総称でもある。
とりあえず魔力を魔法に変換して戦う人はみんな魔術師だということだ。
召喚魔法を使える俺は魔術師であり召喚師となる。
召喚魔法を1人で使えるようになった俺に、スィアさんが服をくれた。
魔術師なら魔術師らしい服装を心がける。
そういうものらしい。
異世界の服は固くて少し動きづらい。
やはり機能性は前の世界に軍配が上がるが、見た目は物語の中に自分が入ったみたいで気に入っている。
身なりを整える時に、異世界に来てから初めて鏡を見た。
泣きぼくろがないということと、生まれたての赤ちゃんのように肌が綺麗な自分が鏡の中にいた。
前世より少し綺麗になっていた。
綺麗というと少し変かもしれないが、新品の自分という感じである。
新品になると案外自分の見た目も悪くない。
生活習慣には気をつけようと思った。
爪を削るのが終わった頃、ヤブラが狩りから戻ってきた。
ヤブラは森の奥に入ると、小一時間で出てくる。
何か見つければ獲物を持って帰って来るし、何も見つからなければ何も持たずに帰って来る。
見つからない時はとことん見つからないから長居をするのは時間の無駄なんだとか。
今日は見つからなかったみたいだ。
俺はヤブラの狩りには付いて行かない。
体から出る魔力を完全に無くすことができるヤブラは、音さえ立てなければ獣にも簡単に近付ける。
しかし、俺がいてはそうはいかなくなってしまう。
それに、移動が速いヤブラに追いつこうとするので手一杯だ。
狩りを教わる時以外は森の中でヤブラを待ち、腕立て伏せをしたり、弓矢の練習をしたり、こうして爪研ぎをしたりして待っている。
いずれはヤブラくらい速く動けるような運動能力と体力を身に付けたい。
ヤブラと合流した後、そのままヤブラと一緒に城へと向かう。
その道中、気になっていたことを質問する。
ただのお喋りだ。
「召喚魔法は使わないの?」
「私は魔力が少ないからできない」
「俺を転生させたのに?」
ヤブラはこちらを一瞬見ると、視線をまた元に戻し何かを喋り出そうとした。
その瞬間、ハッチさんが急に現れる。
かなり急いでるようだったが、息切れするというほど疲れている様子はない。
流石はハッチさんだ。
「急にすみません。ヤブラさん、最近ロンカ霊廟で騒ぎがあったみたいなのですが、何か知りませんか?」
ハッチさんは真剣な目をしてヤブラを見ている。
ただ事ではさそうだ。
「知りません。何があったんですか?」
ヤブラは淡々と答えた。
「私達も詳しいことは分かっていないんです。それで死霊使いである貴方に意見をお聞きしたくて」
「私ではお力になれるかは分かりませんが」
「構いません。それでは明日、キント城の前でお待ちしてます。日の出と共に出発です」
「分かりました」
ヤブラの返事を聞いた後、ハッチさんは俺の方を向いてきた。
「もうお怪我は大丈夫ですか?」
「おかげさまで。今はもう何ともありません」
「それは良かった」
ハッチさんは微笑みながら答えた。
「記憶の方は戻りましたか?」
「えっ...」
その時、ヤブラが喋り出した。
「貴方を運ぶ時、私が事情を説明したの」
「あ、そういうことですか。実はまだ記憶の方は...」
別にハッチさんが俺の記憶喪失について知ってることに驚いたのではなく、記憶喪失ということになってるのを一瞬忘れてしまっただけなのだが...。
ちゃんと覚えておかないとな。
「そうでしたか。そしたら、トーチさんもご一緒にどうです?何か思い出すきっかけになるかもしれませんし。そうでなくても、たまには遠出も良いものですよ」
「え、邪魔にならないですか?大事な話とかじゃ...」
霊廟なんて物語とかでしか聞いたことがなく、正直霊廟という言葉を聞いてからずっと気になっていた。
ハッチさんは小さく笑いながら答えた。
「いや、そんな堅苦しいことじゃないですよ。少しヤブラさんの知恵を貸して貰うだけです。もちろん来るかどうかはトーチさんの判断に任せます」
俺は一応ヤブラの顔色を伺ったが、特に問題はなさそうだ。
「それなら是非お願いします!」
「それでは明日の明朝、キント城の前でお待ちしてます」
「分かりました」
「それでは明朝に」
ヤブラがそう言うと、ハッチさんは小さく頷いた。
「では、失礼」
ハッチさんはそう言ってから、大きなクマバチを召喚して飛び去って行った。
すると、ヤブラが突然こちらを見てきた。
「なに?」
ヤブラは一呼吸置いてから話し出す。
「あの魔術師から何を聞かれても知らないフリをして。私と出会ったのは今年の春。貴方が記憶をなくして森を彷徨ってるところ私と出会った。分かった?」
「今年の春に森を放浪ね。分かった。でもなんで急にそんな口裏合わせを?」
「あの魔術師が言ってたロンカ霊廟での騒ぎ。あれは多分私達が出会った時のことだから」
「...え?」
一瞬時が止まったようだった。
「ロンカ霊廟は貴方を召喚した場所。それであの魔術師は私達のことを疑ってる」
「分かった。気をつける」
なるほど、ハッチさんからすればかなりヤブラが怪しく見えているのだろう。
口にはしなかったが、記憶喪失で、人並み外れた魔力量を持ち、正体不明の召喚獣を使う俺は、ハッチさんから見れば怪しく見えているに決まっている。
そう考えると、俺を連れて行こうとしたのにも納得だ。
さっきの会話を思い出すだけでゾッとする。
ヤブラから話を聞かなかったら、ハッチさんがただ俺を遠出に誘ってくれたのだと思い込んでいただろう。
ただ善意で誘ってくれた可能性もないわけではないが、ヤブラの話を聞いた今では少し身構えてしまう。
ここは異世界。
もう少し気を引き締めなければならない。
ーーー
明朝。
日はまだ登りきっておらず、空が少しずつ明るくなっていく。辺りはまだまだ暗い。
城の外でハッチさんがクマバチを出して待っていた。
あれでこんな早朝に飛ぶのか?
あの爆音で?
近所迷惑どころの話じゃない。
みんな飛び起きることになる。
「あの、これで飛んで行くんですか?」
「いや、飛びませんよ。羽音がうるさいですから。これに乗って歩いて行きます」
カサカサ歩いて行くのか。
「あの、馬じゃないんですか?」
乗馬の経験は幼少期のポニー乗馬体験のみ。
そんな俺からしたら馬じゃないのは助かるのだが。
「近道をするので、険しい山道を進みます。スピードは馬ほど速くはありませんが、馬に乗って山道を進むよりも断然早い」
なるほど。そう言うことか。
それならちょっと試してみたいことがある。
召喚魔法を使うだけだ。却下されたらクマバチで行けば良いだけの話。
やる価値はある。
俺は無言で魔法陣を出現させ、召喚魔法を使った。
出てきたのはダチョウ。
長身なハッチさんを軽々と見下ろしている。
体もかなり大きい。
俺は馬よりもダチョウの方が遥かに速いと思っている。
ダチョウも競争馬のように血統とか品種改良とか色々したら、絶対馬より速いはずだ。
それにダチョウは馬とは違い二足歩行。
馬が走らないような険しい道も問題なく進めるはずだし、馬より小回りも効くだろう。
俺は常々思っていた。乗って速く移動するという点では、馬よりダチョウの方がのに適していると。
それでも人間が馬に乗ったのは、頭が悪いという欠点が大きすぎたのだろう。詳しいことは知らないが。
ダチョウが馬くらい利口ならば、馬ではなくダチョウにみんな乗ったはずだ。俺はそう思ってる。俺は。
そして今、この世界ならそれを証明できる。
召喚魔法で出せば思い通りに操れ、頭が悪いという大きすぎる欠点は消える。
これならダチョウが馬に劣ることはない。
俺がそう思い込んでいるのだからそれが事実だ。
強いて言うなら積載量の問題くらいだろうか。
それも今回ばかりは問題無い。
人が乗るだけなのだから。
「これで行きませんか?」
「なんですか、この大きな鳥は」
ハッチさんが興味深そうに質問してきた。
ヤブラも興味深そうに観察している。
「ダチョウです。飛ぶことはできないですが、かなり速いですよ。それに馬より小回りも効きます」
「面白いですね。ならそれで行きましょう」
「近道も大丈夫そうですか?」
念の為ハッチさんに確認した。
「これなら問題無いでしょう」
役に立てたようで少し嬉しかった。
この後もう2羽ダチョウを召喚し、全員でその背中に乗って霊廟を目指す。
「これ、首に掴まればいいの?」
そう聞いてきたのはヤブラだ。
「いや、体にしがみ付く方がいいと思う」
「分かった」
3人でダチョウの体にしがみ付き、腹部をべったりとダチョウの背中にくっつけながらダチョウを走らせる。
ハッチさんが先頭を走り、自分とヤブラがそれに続く。
不格好だったが、体にしがみ付くのは正解だった。上体を起こしていたら振り落とされていたに違いない。
風が気持ちいい...と言うよりも痛い。
誰も何も喋らない。というか喋れない。
とにかく皆んなダチョウにしがみ付くので必死だった。
初めて知ったことは、ダチョウの羽に捕まると体が安定するということだ。
ダチョウが走る時、少し羽を横に広げる。
これに捕まると安定する。
召喚してみると色々な発見がある。
ダチョウに乗って思ったことなのだが、召喚魔法の良いところとして獣臭さが全くしない点が挙げられる。
臭いまで想像できなかった俺の想像力不足でもあるのだが、臭いに限って言えば想像力不足で助かった。
しばらく走り、太陽も完全に顔を出した頃、少し開けた場所で休憩をした。
想像通りダチョウの走り方は激しい。二足歩行だからだろう。
揺れるなんてもんじゃない。
あんまり酔わない体質で心から良かったと思う。
他の2人も大丈夫みたいだ。
振り落とされないよう体に掴まっているのは疲れた。
明日はきっと全身筋肉痛だ。
それでもヤブラは何ともない顔をしている。強いて言えば髪が乱れているが、それをわざわざ整え直そうとしないのがヤブラっぽい。
まぁ乱れているというほど乱れているわけでもないか。
前髪が風で綺麗に分かれ、少し髪にウェーブがかかっただけ。
スィアさんの髪型はいつもこんな感じだ。
それより驚くはハッチさんだ。
「ダチョウでしたっけ!どこで見つけたんです!私も是非召喚したい!もう毎日使いたい!」
「いや、その...どこで見たかよく覚えてなくて」
妙にテンションが高い。
こんな人だったっけ、ハッチさん。
「そうだ記憶喪失でしたね。失礼。ダチョウ一度でいいから見てみたいですね!この速さは素晴らしい!」
そんな感動するものか?
というか俺のを見たのだからそれで召喚すればいいのでは?
他人の召喚獣を見ても召喚魔法の条件は満たされないのだろうか。
「直接見ないと召喚できないんですか?」
俺の質問にハッチさんは丁寧に答えてくれた。
「召喚獣を見てもその生物を召喚することはできないんです。実物を見た時の情報量は言葉で表すより凄まじい。それに比べ、召喚獣は所詮人が作り出したもの。どんなに想像力が豊かでも実物との差は埋まらない」
「なるほど」
やはり前の世界の恐竜を再現する技術はすごかったんだな。
「貴方はそういう意味でも貴重です。珍しい生物を知っているんですから」
ーーー
森の中に似合わない石で敷き詰められた道が現れた。
1日かける道のりが昼前には着いていた。
召喚獣は休憩無しでもぶっ通しで走り続けられるのもすごいところだ。
それにスピードも落ちない。
召喚魔法で使った魔力分、その生物の働きをし続けるだけ。
改めて召喚獣が魔法だと分かる。
「本当に速い。こんな早く着くなんて」
ハッチさんはまたダチョウに感動していた。
俺はダチョウから降り、石の道を歩いて奥へと進む。
石の道は一切植物が生えていない。
下だけをを見れば、森の中の道とは到底思えないほどだ。
柔らかい風に揺らされ、木の枝と葉っぱが優しい音を立てて触れ合う。
森の音色を一切邪魔することなく、聞き慣れない鳥の鳴き声が辺りに響く中、3人の不揃いな足音響くことなく聞こえる。
静かだ。
石の道を抜けると、目の前の光景に呼吸が止まった。
成熟した濃い緑の中、不自然な灰色の建造物が聳え立つ。
雲の切れ間から射す光がその不自然さを際立たせ、不自然さは違和感となって全身をくすぐるように駆け巡る。
音が消えた。静かに騒めく森の音が。
時は止まり、この世とは隔絶された世界が目の前に広がる。
「何してんの?」
声に反応し、反射的に息を吸った。
ヤブラの声で時が動き出す。
「止まった時の中はひとり...ってこと?」
「何が?」
「ごめん、なんでもない。忘れて」
ロンカ霊廟。
少し離れたところにはロンカという街があるらしい。
思っていたよりもかなり広い。
キントの城の庭も含めた広さと同じくらいはありそうだ。
四角く大きさも整えられた石が無数に積み重なってできた、神殿のような建物が建っている。
神殿へと続く道はここに来るまでの石の道よりも幅があり、その周りには墓石とも思われる石板が無数に建てられている。
石板の文字は読めない。
俺はこの世界の文字の読み書きができないからだ。
もちろん前の世界の文字も思い出せない。
この世界に来て1番不便に感じていることでもある。
ただ、文字を書く機会や読む機会がほとんどないため、実生活ではほとんど影響がないのが救いだ。
「こっちです」
ハッチさんが神殿のような建物の中に案内しようとした時、1人の少年が穴を掘っているのを見つけた。
少年というよりは青年だろうか。
まぁそのくらいの微妙な年頃。
きっと墓荒らしをしているんだろう。
あるんだな墓荒らし。
その時、神殿のような建物が地響きを立てながら崩れた。
墓荒らしをしていた青年も驚いた様子で神殿の方を向いている。
太陽はいつの間に分厚い雲に隠れ、昼間にしては薄暗い。
「悪魔...」
ハッチさんがそう呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。




