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花が育つ過程

「彼岸がいない?」

着物を着付けられ、髪を結われながら月の華花魁基、鬼灯は訝しげに眉を寄せた。

女のような細い眉毛に目尻を長くし、まつ毛を上げる。

その上から眉を寄せたことを叱るように白粉を叩かれた。

「……」

鬼灯に化粧をする禿は口を開かない。

ここでは高貴な身分の者の前で口を開くにも許可がいる。

しかし、鬼灯と会話をしているのは扉の前で星座をしている女将、お月だった。

「えぇ、今日はどこからも彼岸様を見たという話が上がって来ませんの。今までこんなことはありませんでしたわ。それに……」

「魔女が来たって話か。」

不安そうに視線を泳がせるお月。

続きを引き継ぐように鬼灯は声のトーンを落とした。

あまねたち3人が迷い込んで来たことは周知の事実だ。

鬼灯はあまね以外の二人にはあっていないが彼岸が相対していたと聞いている。

その後、1度顔合わせをしているから彼岸が勝ったものと思っていた。

最近は城から出ることも滅多になく、娯楽に飢えている鬼灯の数少ない楽しみ、それは彼岸との時間であった。

「……死んでないよね?」

お月はその問いに返事をしなかった。


お月が去ってから鬼灯は紅を乗せた唇に小指を走らせ、はみ出た箇所を拭う。

形のいい眉に皺を寄せて長いまつ毛を伏せた。

両の手を下腹部に回し、大きくなってきたそこを撫でる。

産まれたら、自分はどうなるのだろうか。

産まれたら、この空間は維持されるのだろうか。

10年前、突如として現れた尾が4つあるお狐様。

村中で歓迎し、迎え入れた。

それに答えてお狐様は村人の中から嫁を取り、村を守る術を与えてくださると仰った。

何故自分なのですか。

妹の方がいいか?

その問いに鬼灯はすぐに首を振った。

鬼灯が選ばれた晩、お狐様と一緒に閨に押し込められた時尋ねたことだ。

なにか思惑があってのことだろう。

術を持つのが女では行けない理由があるのだろう。

きっと、男色の気があるのだろう。

女より男の方が丈夫なのだから。

そうだと頭を信じ込ませ、普段使われない柔らかい布団に横になったのだ。

俺の子を産んでおくれ。

閨の四方を取囲む障子の奥からワッと歓声が上がった。

本人たちはバレていないつもりのようだったが、鬼灯にも分かるのだ、お狐様にもバレバレなのだろう。

お狐様のご子息がいてくだされば安心だ。

お狐様とのご子息をうちの息子が。

なんと縁起のいい。

お宅の息子さんはなんと運のいい子だ。

誰も、鬼灯が男だということに疑問を抱かなかった。

鬼灯はお狐様に嫁入りし、子を成す。

営みを覗かれているというのにお狐様は気にする様子はない。

どれほど時間が経ったのかはわからない。

意識も朦朧とするなかで、妙に腹が膨れる感覚が鮮明に頭に残った。

気持ち悪い

吐きそう

不快

どうして

どうして自分が?

気がつくころには周囲の野次馬はいなくなっていて弱りきったお狐様が鬼灯に覆い被さるように力尽きた。

夫婦としての営みはこの行為だけ。

初夜は、お狐様が力尽きるまで続いた。

体に力が入らず、指先まで冷たいのに腹の奥だけが無性に熱い。

動く気力もなく、鬼灯はお狐様の下で暫く目を瞑っていた。

脱水のせいか頭が痛かった。

力尽きたお狐様を発見し、お狐様の殺害容疑を掛けられ一時は牢に入れられたが、吐気で食事が通らず、眠気が酷い。

体調が悪いということは見張り役に伝わり、処遇が決まるまでは死なせる訳には行かないと医者に診せられた。

「お狐様が宿っておられる。」

村中が大騒ぎだった。

お狐様殺しの罪はなくなった。

そもそも殺す手段もなく、繋がったままであったことからお狐様は転生なされたのだと村中の誰もが信じた。

漸く外に出ることができ、日付を知ったことで最後に日付けを確認した時から1ヶ月が過ぎていて、営みは五日間にも渡ったと知った。

通りで脱水症状を起こすわけだ。

これが十年前、鬼灯が十三の頃の出来事である。

あまねが城を尋ねてきた時、あまねは月の華花魁に尋ねた。

それ、産みたいの?

初めて自分の待遇に疑問を持ってくれたのが魔女だったとは、村人よりも魔女の方が人間のように感じられた。

自分の腹にいる子供がおぞましい。

あの狐の妖が宿っていると思うと恐ろしい。

子を堕ろせないものかと何度拳で殴ろうとしたかわからない。

なんと妖の妖術は恐ろしいものか。

男の尊厳を踏み躙られ、快楽などない行為に身を投じたというのにこの心は、体は、腹に宿る存在を産みたいと思っている。

鬼灯はあまねにことの全てを話した。

あまねは興味はなさそうだったが、なにか思うところはあるのか僅かに眉を寄せた。

「それが、自分の子だという愛着からなのかな。それとも無事に産まれてこないとこの空間が崩れさると思っているからなのかね?」

そう口にするあまねの頭にあるのは別のことのようでその場しのぎで口に出しただけのような口調だった。

月の華花魁から視線をずらし、腕を組んでそう告げた。

哀れまれているとは思わなかった。

何を考えているのか聞いてみた。

「あなたのその経験自体は珍しいものじゃない。でもそんなものだと思わなかったから、その事実を知らせたくない子を連れてきてしまったので今後の対応を考えている。」

と答えた。

意外とあまねとは会話が成立することに鬼灯は驚いた。

会話が困難な魔女もいると聞くがあまねは見た目は普通の少女で魔女には見えないが話し方から年端もいかぬ少女ならぬ存在の片鱗を感じる。

「私としては今ここでその胎児を殺したいんだけど、どうかな?」

君も死ぬけど。と付け加えるように言った。

目の前の魔女ならこの腹の子を殺してくれるという。

愛おしくて、おぞましい腹の子を。

理性は殺せと喚き、本能は母性を訴える。

悩む目をあまねは見逃さなかった。

「……この空間はどうなりますか。」

「崩れるだろうね。」

「そうですか。」

「でもそれは無事産まれても変わらないよ。天狐という種族には神の器はない。あれは繁殖に長けた種族なんだ。産まれてくる子共にこの空間を維持する義務も義理もない。今この空間は君の意思で保たれているだけ。そろそろ臨月だろう。胎動はどう?激しくなってきていない?時折、内側が痛むことは?」

「……」

答えない月の華花魁の沈黙をあまねは肯定と受け取った。

あまねは知っている。

内側が痛むのは胎児が腹の中側を噛んでいるからだ。

腹を食い破る準備をしている。

子が宿る。

この過程について敏感な子がいる。

その話を耳にする前に方をつけたかった。

産みたいのかと聞いたのはその譲歩のつもりだったのだ。

また、月の華花魁が時間が欲しいと思っていることも知っている。

しかしあまり時間はないのだと伝えたつもりだ。

恐らくは正しく伝わっているだろう。

「俺は、どうなっても構いません。……魔女さん、話を聞いて貰えますか。」

あまねはじっと耳を傾けた。

ここ30年、本来恐れられるはずのあまねの周りには人が増えた。

そして30年という時間は彼らに対してあまねが情を抱くには十分な時間であった。

その時間が、あまねが耳を傾けるという行いを誘った。

最後にあまねは月の華花魁と話を了承し、その場で月の華花魁を殺すことをやめ、立ち去った。

鬼灯は目を開いて腹を撫でる手を止めた。

どうしようもなく憎らしいのに、同じくらい愛おしい。

そんなことを思う自分が恨めしい。


「ねぇ、蓮ちゃん。」

「何、今忙しいんだけど。」

親がゲームをする子供に対して風呂に入るように言うも言うことを聞かない。

そんな会話に聞こえるが現実を見てみれば思わず笑ってしまう。

あまねは椅子に座って右手を蓮に差し出し、ぐったりと疲れを見せている。

蓮はと言えば差し出された右手を凝視してゆっくりとした動きで爪に色を乗せる。

漸くあと3本まで来たところだ。

こうなるともう話を聞かないことはあまねもよく理解していたから暫く好きにさせていたのだが好きにさせていたのがむしろ今の状況を悪化させているような気がする。

「私は、甘やかしすぎたのかしら。」

「俺の時とは大違いだな。」

代わりにあまねに同情の目を向ける真人が返事をした。

紅茶を渡そうにもあまねが左手で受け取ろうとすると

爪が乾いていないからと蓮が吠えるのだ。

すっかり紅茶も冷めてしまって美味しくなくなっている。

「そう?私もだいぶ丸くなったと思わない?シオンに聞いてご覧なさい。あなた達を羨ましがるわよ。」

「自覚があるのか…それはそうと、蓮にぃそれはいつ終わるの。」

「もう終わる!」

「さっきも聞いたなぁそれ。」

もうあまねが遠い目をしだした。

あまねを着せ替える度にこうしてネイルも蓮が付け替えるのだ。

今回は蓮に案内をさせて上手く逃げようと企んだが部屋を出ようとしたところで蓮が戻ってきたばかりに捕まったわけである。

「龍は?無事彼岸と会えた?」

「あまね様、感覚がとち狂ってしまわれたようですね。蓮にぃが帰ってきてから既に3時間が経過しています。龍ならとっくに夢の中ですよ。那由達と一緒に先に屋敷に帰しました。」

「……」

言葉を失ってしまう。

真人ももう疲れが隠せなくなってきたのか時折ふらついている。

いい加減蓮には厳しく言った方がいいだろうか。

ネイルをするのはいいがもう少しスピードを上げて欲しい。

座ったまま3時間いるのも疲れてしまう。

あまねはごきりと肩を鳴らした。

折角蓮がセットした髪もネイルが乾いて動けるようになるころにはあまねにほどかれてしまうのだろう。

蓮が納得すればそれでいいわけだがあまねにはどうにも時間の無駄にしか感じられなかった。

「はい!でーきた!」

あまねは手を前にかざし、ヒラヒラと振ってみる。

光の加減でキラキラと反射して光の筋が入った。

「マグネットネイルっての。やってみたかったんだよね。見てみて人差し指。ハート!」

確かに両手の人差し指が光の筋がハートのように見える。

あまねには器用だなぁという感想しか無いが蓮に言うと拗ねてしまうので言わないでおく。

「それで、どうしますか。彼岸は用意した部屋に大人しく戻っています。部屋からの動きはないようです。」

「そう。別に私は天狐の幼体を始末出来ればいいんだよね。月の華花魁の生死は正直どうでもいい訳だ。」

爪が冷える感覚に半分意識を持っていかれながらあまねは机の端に置かれた受話器を手に取った。

文字盤を回さなくてもコール音がしてきっちりサンコール目でガチャりと相手が受話器を手に取った音がする。

「こんばんは。魔女だよ。今しがた漸く一段落着いたんだ。月の華花魁を助ける方法があるとしたら、知りたいかい?」

電話越しに何やら喚いている声が真人の耳にも届いた。

龍なら音を拾えたのだろうが、生憎その龍は先に休ませてしまった。

大方想像は着くが、あまねが月の華花魁を助ける方法を知っているとは初耳だった。

これには真人も驚いてしまい、紅茶カップを落としそうになる。

「うん、うん。そうだね。あー、まず大前提として私はあの空間には干渉できない。さて問題です。空間の定義とはなんでしょうか。」

受話器が静かになった。

考えているのではなく、あまねの問に苛立ったからだと想像が着いた。

真人も考える。

空間。

言ってしまえば今いるこの部屋も空間になるのではないだろうか。

外の空間と中の空間。

限りのあるスペースと言えば分かりやすいだろうか。

天井を仰ぐ真人を見てあまねがくすくす笑う。

「難しいね。聞き方を変えよう。空間を構成するものは何かな?何があればそれは空間と言える?」

受話器は沈黙のままだ。

真人はまた考える。

机の中も空間というし、ポケットの中も空間という。

共通するものと言えば壁があり、容量があるということ。

あまねが求めている答えでは無いことは分かっているし、そもそもあまねの言う空間が机の中やポケットの中にないこともわかっている。

月の華花魁が作り出す空間とあまねが管理する空間の話だとわかっている。

答えに悩んでいるとあまねはまた笑った。

「答えは、時間。私が持つ権限。それは時間への干渉。物体の時間、空間の時間、時間の流れ、速さ。それらに干渉することができる。月の華花魁の空間とこっちの空間は時間の流れが違ったでしょう?1つの空間に時間の流れは2つ存在できないんだよ。時間の流れが2つ出来ればその間に必ず壁が生じる。川の流れが違うのと同じ。あの空間とこっちの空間の時差をこっちに帰ってくることでわかったでしょう?つまり、私なら、外からならあの空間に干渉することができるし、あの空間の時間とこっちの時間の流れを合わせることもできる。でもそれは時間がかかるからダメだね。急に時間の流れを変えたらひび割れちゃう。左回りのコマを右回りには回せないでしょう。それじゃあ月の華花魁は死んでしまう。だから、こちらからあの空間に干渉して無理やりこじ開けて月の華花魁を引っ張り出す。」

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