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誰も花が散る瞬間を見たことは無い

彼岸は呆気に取られた。

事の発端はあまねが脅してきたことにある。

「ノコノコと着いてきちゃって。人質に取られると思わなかったの?」

彼岸を馬鹿にするような口調で言うものだから彼岸も腹を立てた。

その考えがなかった訳では無いが彼岸はあくまでもあまねを信じてきたのではなく、真人の理想に着いてきたのだ。

真人が人質を取ることに納得はしないと考えたからこうして真正面から手を取ったつもりだった。

やはり魔女は魔女なのだ、事態が収まれば必ず殺す。

そう誓ったはいいものの、あまねは一向に彼岸を縛る気配を見せない。

「だってさ、真人。この人たらし〜、女の子侍らしちゃってさ。」

「そんなんじゃないし、あまね様が命じたんだろ。こいつを連れて来いって。」

「うん、言ったよ。言った言った。でもさ、まさか色仕掛けっての?ここまで心酔させてくるとは思わないじゃない?」

「はぁ!?人聞きの悪いこと言うなよな!第一嘘しか言ってない訳じゃないから!」

これには真人は顔を真っ赤にして怒った。

拳を振り上げてあまねに掴みかかり、怒鳴り散らすがあまねはヘラヘラと笑って真人を落ち着かせようと手をヒラヒラさせる。

龍は彼岸の隣に座って、大人しく待機している。

なんでこいつはこんなに落ち着いてんの?

彼岸は開いた口が塞がらず、真人に真偽を求めた。

「は?嘘だったの?」

「あ?彼岸が信じたんだろ?全部が嘘ってわけじゃないぜ?まぁ、嘘に真実を混ぜることで真実味が増すって言うからな。そんなけだが…まさか、こんな簡単に信じてくれるとはな。逆に想定外だったぜ。」

噛み締めるように笑う。

ここで漸く彼岸は気がついた。

あまねの開口一番。

『おかえり、人たらし。』

この意味を。

最初は彼岸、女の子を連れてきたからだと思っていた。

もしくは敵が寝返ったことへの皮肉だと。

まさか、まさか文字通りだったとは。

どこまで本気だったのか気になるが彼岸は今、目の前で愉快そうに笑っている魔女にしか関心がなかった。

それから真人は訂正する。

色仕掛けではない。断じて違う。

必死になって訂正するがあまねは話を聞かない。

言えば言うほど笑うだけだ。

真人が頭を掻きむしって苛立ちを隠す気もなくあまねの肩を掴むと無理やり自分の方を向かせてより大きな声で騒いだ。

そこでようやく龍がピクリと反応する。

それに反応するように笑い声がピタリと止み、それを見て真人の怒鳴り声も止まった。

じっとあまねが龍を見つめていると龍は座っていたところで膝を抱えて小さく、小さくなってしまう。

これには真人が慌てて龍の背中を摩った。

なにやら小声でボソボソと声を掛けているがなかなか龍は顔を上げない。

「……ちょっと、やりすぎたかな。反省反省。じゃあ、彼岸、ビジネスの話をしようか。」

そう言って足を組み、彼岸に向き直る。

「ここでは私の権限、この世界に干渉する権限というものがない。私の管理する世界ではないからね。でもこの世界にある命というものは私たち魔女が管理するものだ。つまりは、他人の家に自分の私物が運び込まれている、というふうなんだよ。物のように扱うようで気を悪くするかもしれないがこれはわかって欲しい。こっちだって仕事なんでね。」

「……仕事だからって納得できることとできないことがあるわ。あなたにはその仕事とやらをこなさなければならない理由があるの?」

「いや、そうだね……魔女っていうものは、そう言うプログラムなんだよ。管理者としてのプログラムを組まれてそれに反する行動は取ることができない。

私が干渉する権限がないっていうことは、誰か他にこの世界の支配者がいるってことなんだよね。それが月の華花魁。正しくはその胎児。今は自我がない赤子だからこの世界も問題なく稼働しているけれど、産まれたらそうはいかない。月の華花魁の腹を食い破って出てくれば胎児がこの世界を好きにすることが出来るわけだ。……しかし、彼岸、君は権限の一部を所持しているね?」

彼岸は押し黙った。

尋ねるのではなく、事実の確認としてあまねは答えを求めている。

彼岸にとってそれはあまり話したいものではない。

能力を開示するということは自分の弱点、できることできないことを探られることだからだ。

大きな力を持った者は威圧も兼ねて開示することもあるが大抵は話すことはしない。

しかしここでの正解は知らないフリだった。

沈黙はすなわち肯定。

あまねはもとから話を聞く気はないようで真人に背中を摩られている龍を見ていた。

「あなたなら、月の華花魁に会うことは出来るの?」

「……できる、と思う。私のことは多分警戒していないから。」

「そう。月の華花魁を殺して来てって言ったら、そうしてくれる?」

「……しない。」

あまねは肘を着いて手のひらに頬を置き、彼岸に視線を戻した。

億劫そうに瞳を揺らす。

「…少し悩んだね。月の華花魁が特別大事だって感じじゃないのかな。……この世界が崩れて無くなることを危惧している?」

見透かすような瞳に彼岸は口を閉じた。

適当なことを口にするよりは何も言わない方が得策だと考えての事だった。

しかしあまねはそれすらもお見通しだった。

「んふふ、この世界が無くなることじゃなくて、この世界の住人の心配をしているのね。わかった。じゃあこうしましょう。彼岸が手を貸してくれるなら私も不必要な殺傷はしない。その代わり、月の華花魁が死ぬことは許してね。」

「………月の華花魁が死ぬことは決定なのね。」

「月の華花魁を殺したい訳じゃないの。その胎児を殺したい。産まれる前でも産まれたあとでも月の華花魁が死ぬことは変わらない。どうせ腹を破るしかないんだからね。」

あまねは一呼吸置いて続ける。

「女ならまだ可能性はあった。でもほら、月の華花魁はもともと子供を産む体じゃないでしょう?腹を食い破って産まれてくるのよ。あれは。」

「堕胎することは出来ないの。」

顎に手を添えてふむと、考える。

少し上の方に視線を彷徨わせ、やがて申し訳なさそうな声色で彼岸に告げる。

「胎児が人間じゃないからなぁ。相手は神通力を持っている化け物だ。今は胎児に栄養をやっている都合で月の華花魁が神通力を使えるけれど、胎児が産まれたらその力を奪い返すために丸ごと喰うでしょうね。まぁ、一旦引き上げることにしましょうか。天狐を始末出来れば、月の華花魁が死んだ後でも言い訳だしね。」

「……帰る?どこに?」

彼岸はキョトンとして首を傾げた。

龍の背中を摩っている真人も同様に首を傾げている。

二人を見てご機嫌なあまねは笑顔で言い放った。

「私の子供たちは存外優秀なんだ。」

その数秒後、あまねの背後に空間の歪みが出現する。

割れ目を裂くように徐々に歪みは拡がり、あまねの身長ほどにまで上下に割れた。

無理やりに拡げるように二つの小さな手がねじ込まれ、左右に力任せに拡げる。

「あまね様!」

ふわふわの蓬髪に大きな猫の耳。

右目を眼帯で覆ったチャイナ服の子供。

彼岸が子供だと最初に感じたのは性別がパッと見で判断がつかなかったからである。

少年にしては声が高く、少女にしては低い。

猫の獣人であることはわかったが言ってしまえばそれだけである。

長いしっぽを揺らしてあまねに苛立ちをアピールする子供。

「お迎えありがとう、那由。よくここがわかったね。」

「悠長なこと言ってる場合ですか!一体何日居なくなるおつもりです?」

「んー、数日くらいならいつもと変わらないじゃない?」

「そうですけど、そうなんですけど!そうではなくてですね!」

歪みが閉じないように体をねじ込ませ、あまねに不満をぶつけながら必死になっている。

はやく済ませてくれと訴えかけていた。

「もう少し拡げてくれる?龍が動けそうになくてね。」

「この状態を見てよく言えたわね?」

「龍にぃは大丈夫ですか!?怪我ですか!!救護班を連れてきていませんが…国まで持ちますでしょうか?」

「あぁ、そっちじゃないから。」

「?あぁ、わかりました。では、拡げますので少しお下がりくださいませ。」

那由と呼ばれた子供は手を残して歪みに引っ込む。

あまねが数歩下がり、彼岸の前に立つ。

庇われるようで嫌だったので隣に立ってやるとあまねは驚いたように目を丸め、それから笑った。

何が面白いんだと文句でも言ってやろうと思ったが、その瞬間、歪みからトゲの着いた鉄球が派手な音を立てて飛び出してきた。

「!!!!!」

チャラチャラと鎖に繋がれたそれは明らかなモーニングスターである。

拡げるというより、ぶち破るといった方法で拡げられた歪みは彼岸が両手を広げて通れるほどになり、徐々に閉まり始める。

歪みの向こう側では那由がはやくはやくと手招きをしていた。

「よし、真人、龍をおぶってやって。」

「言われなくてもそうしてる。」

軽々と龍を背負って一番に歪みをくぐっていく真人。

あまねもそれに続く。

彼岸が躊躇っていると、顔だけ出して不思議そうに声を掛けた。

「何してるの。早くおいでよ。」

「いや……でも…無茶言わないでよ……10年は外の世界に触れて来なかったんだから。」

「別に、どっちも同じようなものでしょう。家から出るか出ないかの違いだけよ。」

そう言い残してあまねは歪みの向こうへ消える。

徐々に閉じていく歪みに焦りを覚え、覚悟を決めてぴょんと歪みに飛び込んだ。


歪みの向こう側は大して雰囲気は変わっていない。

かつて家だった石の瓦礫があるだけだ。

彼岸が渡ったことを確認して那由は手に持っていた石を捨てる。

真人が広い、あの空間へと引きづり込まれたあの石である。

「どうやってあの空間に穴を開けたの?今まで誰も成功したことはなかったのに。」

「?あの石、あの空間とこちらの世界を繋ぐパイプなんでしょう?私が触れたらパイプは機能しない。お風呂の栓みたいなものでしょう?あれ。パイプが機能しなくなったことで穴が空いたんだ。それを無理やり広げただけです。」

一体何を言っているんだと言いたげな那由。

さも当たり前のように言っているが馬鹿にされている感じはない。

ただ本気でなぜ分からないんだと思っていることは窺えた。

「わぁぁぁぁあ!あまねさまぁぁぁあ!会いたかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」

耳を劈く悲鳴のような一斉。

那由のものではない、少年の声だ。

那由とはまた違う大きな耳に犬のようなしっぽ。

那由と色違いのチャイナ服を着たオレンジ色の癖毛の少年が、あまねに飛びかかっていた。

その勢いで握られた鎖の先についている鉄球が揺られ、彼岸の頭をすぐ上を通過する。

かなりの風圧にもう少しズレていたらどうなっていたかと彼岸は身震いした。

「牙狼、いい子にしていた?那由を泣かせていない?」

牙狼と言うらしい少年を抱き抱えて頭を撫でてやる。

ニッコニコでご満悦なことが一目瞭然な牙狼。

もう離さないとガッチリあまねをホールドしている。

ぶち破ったのは牙狼だということはわかった。

「牙狼、これから帰るけど、降りて欲しいなぁ。」

「嫌!!!!!」

「ほら、お客さんがいるんだよ。那由が不安になっちゃうから。ね?那由と手を繋いで帰ってあげてくれる?真人と龍を背負っていかないといけないし。」

「んぅぅぅぅぅ、わかった!!!那由が一番大事だから!」

少し葛藤したあと、満更でもなさそうに那由と手を繋ぐ。

その手をブンブンと回すと肩が痛いのか那由が顔を顰めた。

「ほら、危ないからそれはしまってね、牙狼。」

那由に諭されると自分の左手に握られた鎖を見て、忘れてた、と零して右の大きめな袖の中にスルスルと閉まっていく。

やがてすっぽりと収まると那由と腕を組んで準備ばんたーんとまるで遠足気分である。

歩き出すあまね一行。

勢いで着いてきてしまったが、自分は果たしてついて行ってもいいのだろうか。

歪みは既に閉じており、ここで野宿するか、ついて行くかしかないのだが、これから先はあまねの領地である。

捕虜と扱われる可能性がある以上、ついて行くことは得策ではない。

悩んでいるとあまねが一度振り返った。

「何してるの?早くおいでよ。置いてっちゃうよ。」

「…………」

「じゃあ、捕虜にはしませんって、約束するから。どう?」

単なる口約束だ。

本来なら信用出来ないが、相手が約束の魔女である。

上手く転がされている気がするが、野宿するよりはマシかもしれない。

彼岸は急いであまねの後をおった。


城の最上階にある真っ白でキラキラと光に反射する一面シルクの部屋。

外国のお姫様の部屋そのものである。

彼岸はまずその部屋に通された。

早々にあまね達とは別にされたが、メイドらしい人物が足音1つ立てずにこの部屋まで案内してくれた。

見張りは着くだろうと思っていたがドアの前どころか同じフロアに人の気配を感じない。

たまに人が来てはクローゼットの中身やタンスの中に衣類を入れたり、紅茶を置いていったり、ランプを置いて言ったりと部屋として完成させていく。

電話すら置いてあり、いくつか番号が書かれた紙も置かれていた。

「これ……ホテルの内線だわ。」

少々アンティーク調のものではあるが用途は完全にそれである。

土で汚れた着物を着替えようとクローゼットを開けるが中は洋服はマシな方で、明らかに膨らんだスカートのもの、所謂ロリータやドレスが多く並べられている。

ロリータは着方すらわからない。

注文したら届けてくれるだろうか。

流石に肝が座りすぎている要望だが、わざわざ服を運び入れているところから察するに、好きにしろと言うことだろう。

もう何度目かもわからない、見張りの有無を確認すると部屋を出て階段を降りる。

誰か人がいればあまねのところへ連れて行って貰おうと思ってのことだ。

電話もいいが、直接伝えた方が寛ぎたい訳では無いと口実ができるからだ。

3階ほど降りると一番大きな棟へと続く渡り廊下を発見し、渡る。

最上階にいるだろうかと階段を上ると彼岸が通された部屋とはまた違う豪勢な半開きの扉を発見した。

思い切って開くとまたすごい状況になっており、彼岸は固まってしまう。

「あら、彼岸。どうしたの?届けさせた服は気に入らなかった?」

「あぁ!ちょっとあまね様動かないでよね!ほんっと、あの着物着せたヤツわかってないなぁぁぁ!あまね様はなんでも似合うけど、着物は解釈違いなんだよ!着物は凹凸がない方が綺麗なの!それをこんなに気崩しちゃって……ほんっと信じらんない!あまね様には凹凸をはっきりと見せたコルセットドレスとか、顔立ちからしてロリータとかのが似合うのぉ!!」

あまねの周りを忙しなく動きながら紺色のロングロリータを着せる少年がいる。

毛先を金髪に染めたロングヘアはキツめのパーマをかけていて長い前髪を今は後ろの髪とまとめてポニーテールに縛りたげている。

スラリとした体躯に、黒色のサイバーパンクコートがよく似合っていた。

完全に自分の良さをわかっている見せ方である。

「蓮ちゃん、お客様よ。」

「ん?あれ、着替えてないの?あんたに似合う着物も用意しといたでしょ?」

「え?洋服しかなかったけど…」

「え〜?そんなはずはないよ手配したし。まだ届いてないのかな?まぁ、すぐ届くと思うから。今は邪魔しないで。」

そしてまた忙しなくあまねの周りをクルクルと回る。

髪を巻いたり、飾りをつけたり、カフスボタンを選んでボロレも引っ張り出す。

以前と比べるとげっそりとして見えるのは気のせいだろうか。

「あー…魔女、ちょっといいかしら。」

「……蓮ちゃんの邪魔をしないならいいわよ。」

どこか遠くを見つめながらあまねは了承した。

フランス人形のような顔立ちのあまねを着飾るのは確かに楽しいだろう。

かと言ってここまで力を入れられてはあまねも疲れてしまう。

来ていた着物はソファに乱雑に脱ぎ捨てられていた。

「私のこの待遇は何?見張りもつけないなんてどういうつもり?」

「???なんで見張りがいるのさ?」

「ちょっと、私を信用しすぎじゃない?一応あなたを殺そうとしたわけだけど。」

「うん。それで?ん?んー、あ、そういう事ね。はいはい。大丈夫。信用してるっていうより、見張りをわざわざつける必要はないってだけで見張りがいない訳じゃないのよ。貴方がどこへ行ってもわかるわ。この国を出た瞬間取り押さえるように言ってあるし。もちろん、その心配はしてないけどね?」

言葉を失う彼岸を見かねた蓮が一度手を止めて口を挟む。

その手に握られたヘアアイロンをカチカチと鳴らした。

「この国の警戒部隊を甘く見ちゃダメだよ。何万もの目で見られてると思わなきゃ。」

彼岸は、あの部屋に身を置かされたと思っていたがどうも違うらしい。彼岸を捉える檻は部屋ではなく、この国そのものだと言いたいようだ。

彼岸はますます言葉を失ったが蓮は最後の一房を巻き終えてあまねの肩を叩いた。

終了の合図である。

あまねの足元に4足ほど靴を置いて好きなものをどうぞと声を掛ける。

1つはヒールがものすごく高い煌びやかなもの。

二つ目は1つ目と比べればヒールは標準的な高さだが宝石の装飾品が大きく、ガラス製でさも御伽噺に出てくる靴のようだった。

三つ目はほとんどヒールはなくエナメル製のツヤツヤとした靴。

四つ目は標準的なヒールに、足を通すだけのサンダル調のもの。しかしキラキラと光に反射する表面はおそらく小さな宝石が細かくあしらわれているのだろうことが窺える。

あまねは迷わず3つ目のヒールがほとんどない靴を選ぶと他を片付けさせ、その間に履いて留め具を留めた。

「お待たせ。蓮ちゃんに捕まっちゃってね。部屋はどう?気に入った?わざわざ出て来なくても電話置いていたでしょう?」

「いや、あまりの好待遇にちょっと困ってる、かな。拍子抜けっていうか……」

「ふふ、私からしたらあなたはお客さんだもの。好きに過ごしてもらって構わないわ。あなたが望むなら街に宿を用意してあげるし。服も着物を時期に届くと思うからもう少し待ってね。お風呂は?部屋に簡易的なものは備え付けてあったと思うけれど……」

「………………風呂まで誘うのはどうなの。」

もっともである。

敵でも味方でも無い関係で、全裸になるのは少し、いやかなり厳しい。

それを配慮して風呂付きの部屋にしてくれたのだろうがあまりにも扱いがおかしいのではないかと彼岸は混乱していた。

「あら、地下牢の方がいいの?あ、そうそう、地下と言えばもう龍には会った?そろそろ落ち着く頃だと思うから、見に行ってみたらどう?あなたも気になっていたんでしょう?」

見透かされたようなセリフに彼岸は半歩引いた。

背後でお茶を淹れる蓮に案内するよう指示するとティーポットを受け取って軽く混ぜるように振る。

蓮は軽く肩を竦めて細身の体躯を折りたたみ、彼岸の手を取った。

「こちらへどうぞ。」

恭しく頭を下げる蓮。

手を引かれながら彼岸は考える。

どう見ても捕虜の扱いではない。

本当に客人のような扱いに彼岸は困惑を隠せそうになかった。

あまねが捕虜にはしないと約束をしているとはいえ、あまりにもゆるすぎないだろうか。

完璧な動きで上品にエスコートをする蓮。

段差があれば手を差し出すし、人が通れば話をつける。

ずっと階段を降りて、入り組んだ廊下を抜けると一際古びた扉があった。

「さーて、どうかなー?」

そーっとまるで中の獣を刺激しないように扉を開けて中を覗いた。

ツンと鉄の匂いが鼻を突く。

何やら黒いものがモゾモゾと蠢いている。

「おーい。お客人だよー。」

蓮が声を掛けると『何か』はこちらにゆったりとした動きで向きを変え、立ち上がった。

黒い着物に毛先の白い髪、額には細いツノが2本生え、着崩れした着物の裾からは血にまみれた手足が覗いていた。

ぎょろりと血走った瞳で蓮と彼岸を捕える。

「おうおう、龍。また派手にやったなぁ。うんうん、どうだ?安心できた?」

「ん。」

蓮が無遠慮に肩を叩くと龍は落ち着いた様子で短く返事をした。

辺りには人の形であったであろう残骸が散らばっており、時折ピクピクと痙攣を繰り返す。

「え、何なにこれ。どういう状況なの。」

「ん?あ、誰だっけ……」

「え、龍の知り合いじゃねーの?あまね様の口調から俺ぁてっきり……」

「……知ってる顔な気がするけど…名前まで覚えてない。」

流石にショックだった。

まさか名前を覚えられていないなんて、と彼岸は呆然とした。

殺し合ったと思っているのは自分だけなのか、龍にとっては大した相手ではなかったというのとなのだろう。

かなりショックである。

黙っている彼岸に気を使ったのか恐る恐るといった風に龍が彼岸に声を掛けた。

「……えっと……誰ですか?」



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