第34話 雨の記憶
沼地の捕食者であるスワンプトードの群れが飛び交う。
高い跳躍力と環境を利用して僕たちを伸びる舌で狙ってくる。
粘着性の舌に捕まれば、そのまま胃袋に閉じ込められてしまう。
生きたまま消化される恐怖。やられる前にやり返さないと。
「穢れを纏った卑しい生物め……私めと共に深淵へ落ちろっ!」
長く伸びた舌を手刀で一閃、切れ目に闇の炎が残る。
舌から全身に炎が回り、スワンプトードの丸焼きが転がった。
前髪を翻しながら、コクエンは足を止めず潜伏する敵を斬り付けていく。
「はぁ……この劫火で己も焼け爛れ灰となればいいのに」
周囲の魔物を灰に変えて、濁った瞳で怖い事を呟いている。
「言動はともかく実力はありますね。優秀な部下です」
雨の中だというのに相性不利を覆す闇の力だ。
流石にストブリと比べると破壊力は落ちるけど。
その分、小回りが利いて最小限の動きで結果を出してくれる。
すべてにおいて無駄がなかった。見た目通りの暗殺者みたいだ。
「こくえんさんすごいです! エルも倒します!」
潤沢な魔力を蓄えたエルが雷光弾を連発する。
雷属性が有効的に働いて、沼地の魔物を焦がしていく。
「二人の活躍で魔物は退けられたけど……これは厳しい。上層は難易度の次元が違うよ」
前方に沼地が広がっていて前に進むのも困難だ。
下手に足を踏み入れると、どこまで沈むかわからない。
かなり遠回りを強いられるし、随所で魔物も襲ってくる。
「しかし厄介なのは天候ですかね。事前に対策をしていても。雨風を完全に防ぐ手段はありません」
「そうだね……ちょっと寒くなってきたかも」
三十二階から天候が荒れ雨が続いている。雷雲で視界も最悪だ。
木々を傘にして進んでいるけど、濡れた服が冷たく肌を突き刺してくる。
想像以上に体力が消耗する。足元だけでも固めておいて正解だった。
これで移動速度も失えば、魔物との戦闘以前の問題だったかもしれない。
「ごほっ、ごほっ。ごめんね、泥が口に入って。ごほっ……下を向いていたからかな?」
悪化する体調を誤魔化すように笑ってみせるも。
ライブラさんは僕の額に触れて異変に気付いてしまった。
「いけません高熱です。早く次の安全地帯を探さねば、ロロアさんが倒れられてしまいます!」
「はっ、ご主人様の危機。この私めが命を賭して寝床を探さねば……!」
コクエンが泥を飛ばしながら先行していく。後ろに消えない炎を残して。
炎の目印を頼りに霞む視界の中を進んでいく。耳も聞こえ辛くなってきた。
長期間の魔塔探索では体調を崩す機会は必ず一度は訪れる。
それを危険地帯で引き起こすなんて、ここまで順調だったのに。
「はぁ……はぁ……ごほっごほっ」
「もう少し、もう少しですからどうかお気を確かに。倒れられるとしても安全な場所でお願いします」
「癒しの水では病気は治せないみたいです、あるじさま……ごめんなさい」
「エルは……それでいいんだよ。病すら治せたら不老不死になっちゃう」
癒しの水の効果で身体の痛みは感じない。ただ全身が寒いだけ。
「二人の方こそ体調は大丈夫……? 人の肉体なんだから、無理をしたらダメだよ」
「同じ言葉をそっくりそのままお返しします! くっ、黒炎ちゃん安全地帯はまだなのですか!?」
「あるじさまが冷たくなっています……エルは、ど、どうすれば!」
冷静さを失って、二人が僕の手を強く握っている。
気張れ。立ち続けろ。ここで倒れたら僕だけの問題じゃないぞ。
ゆっくりと歩みを続ける。木の根元で滑った、身体が傾く。
「――はぁ、何をしているのよライブラ。貴女が取り乱していたら、誰がロロアの代わりを務めるのよ」
背中が急に軽くなる。腕に支えられる。
盾が消えて懐かしい顔がそこに立っていた。
「アイギス……久しぶりだね……」
「遅れてごめんなさい。私が戻ったからにはもう安心していいわ。ゆっくりと休んで……?」
優しい言葉に包まれて、緊張が抜けたのか全身の力が緩んでいく。
僕はアイギスの胸の中で落ちた。雨の音も次第に聞こえなくなっていく。
◇
「やだよ、おいていかないで、ぼくもつれていって!」
雨が降っていた。周囲には瓦礫の山。
たくさんの血が流れている。遺体が転がる。
僕は泣いていた。目の前に傷付いた誰かが立っている。
その人は僕にとってたった一人の味方で。他は全部敵だった。
「すまない。俺はもうお前の傍には居られないんだ。敵があまりに多すぎた。もう守り切れないんだ」
「やだよ――までいなくなるなんて。もうひとりはいやだ……くらいばしょにいれられるのも、いたいのもつめたいのも……みんなぼくをいじめるんだ。ぼくはいらないこなんだよ」
「安心しろ。お前を傷付ける者はもういない。辛い記憶も徐々に薄れていくはずだ。だから……これからは今までの不幸を忘れて、幸福に暮らせ。あとは、すべて俺が片付けておく」
そう言って、血に濡れた大剣を抱えたまま誰かが歩き出す。
引き留めたかった。僕の為に犠牲になろうとしている。
生きている価値もなかった僕を生かそうとして。
「――しにたかった、ずっとずっと。はやくしんでらくになりたかった。どうしてたすけてくれたの? ひとりにするなら、ぼくもころしてほしかった。ずっといきていても……つらいだけだよ」
「ロロア、それ以上は言うな! それ以上自分を苦しめるなっ!」
戻って来て強く抱きしめられる。男の人も涙を零していた。
僕を助ける為に、たくさんの人間を殺したんだ。どうして……。
「ロロア、俺の代わりに強く生きろ。お前が欲しがっていた瓶を置いて行く。これを俺だと思って大切に――いや、もう俺の事も忘れるんだったな。これはお前の半身だ、お前の相棒だ。決して一人じゃない」
渡されたのは見覚えのある瓶。だけど中身がなくなっている。
以前見せてもらった時には液体が――思い出そうとすると頭が痛い。
「やだ……わすれたくない……いかないで……いっしょにいて……」
「今は安らかに眠れ。お前を苦しめる者は、たとえ異界の神だろうと――すべて破壊してやる」
最後に届いた言葉は、深い憎悪に包まれていて。血の雨で染まっていた。
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「あれ……ここは?」
目を開けると岩の天井が映った。幼かった僕も、男の人もいない。
代わりに目元を真っ赤にしたライブラさんと、アイギスの顔があった。
「目を覚まされました! ロロアさんが目を覚まされましたよ!」
「病人の前で騒ぐな変態妖精っ!」
「あいたっ、アイちゃんは妖精相手でも容赦ないですね……頭にコブが……!」
頭がぼやけている。夢を見た気がするんだけど。
すぐに思い出せなくなる。きっと大切な記憶なのに。
誰かが僕に思い出させないように、固い蓋をしてしまう。
「ライブラはうるさいからしばらく頭を冷やしていなさい。ほらっ、エルなんて目を覚ましたばかりのロロアが食べやすいよう、スープを作っているのよ? ああいうのが本来の参謀の役目でしょうが!」
「アイちゃんの正論口撃も久々です。何故か悔しさ以上に安心感が――本当にご無事で良かった」
ライブラさんが頭を冷やしに外に出ていってしまった。
「……ひぐっひぐっ。愚図な私めがいけないのです。ご主人様の不調を見抜けずして懐刀を語るだなんて。もうやだ灰になって散りたい……」
「癒しの水! こくえんさん炎をもっと強くお願いしますっ。温かい食事であるじさまに元気になってもらうんです!」
「ぶふっ……了解しました。今日もまた無駄に生き長らえてしまった……」
隅っこの方でコクエンが泥だらけのまま正座して泣いている。
鼻血を出しながら炎を生み出し、エルと一緒にスープを温めていた。
ここが洞窟の中という事は、彼女が懸命に探し出してくれたんだね。
コクエンにお礼を言いたいけど、身体が重くてそこまで歩いていけない。
「変わり者の子がまた一人増えているわね……しかもあの子、ライブラの手下なのでしょ?」
「変わり者で済むかな? 手下は可哀想だよ、せめて部下と呼んであげてね」
大人しくアイギスの膝の上で休む事にした。
柔らかくて大きくて暖かくて、とても寝心地がいい。
「私も随分と眠っていたようね。約束では三十階層で合流する手筈だったのに。これじゃトロンをのんびり屋扱いできないわ。ふぅ……まだ身体が固いから、私の膝を好きにしていいわよ?」
そうやって理由を作って、アイギスは僕をそのまま寝かせてくれる。
「夢の中で僕の活躍を見てくれた? ここまでライブラさんと、途中からエルも一緒に頑張ったんだ」
「ええ、フロアボス相手に果敢に挑んだところも見ていたわ。貴方は人の身体で無茶をしすぎなのよ」
アイギスがそう言って動けない僕の前髪を動かしてくれる。
そのまま僕の目元に指を乗せた。彼女の指が涙で濡れていた。
「もしかして……貴方の方こそ、怖い夢でも見ていた?」
「わからない。忘れちゃったから。今はみんなといられるだけで十分だよ」
大切な記憶だけど。今の時間の方が重要なのだと。
誰かがそう伝えてくれている。過去を振り返るなと。
「何それ。……そうね。私も細かくは見れていないから。ここまでの道中であった事を、一つずつ、ゆっくりでいいから聞かせてくれる?」
「うん、わかった。僕の冒険譚をアイギスに語ってあげるね」




