第3話 ずっと貴方の傍にいた
「もしかして、これが【擬人化】なのかな?」
今も尚、眠り続ける少女の前で、僕は一つの可能性を導き出していた。
更新された【情報板】と瓶の消失。
【擬人化】が発動したとしか考えられない。
「すぅすぅ……」
それにしても彼女の容姿は子供だった。僕より二つか三つは年下に見える。
光沢のある銀髪は月光のようで、神秘性がありながら愛嬌も残す幼い顔付き。
本当に人間と瓜二つで、触れ合った時の熱も作り物じゃなかった。軽くて暖かい。
エリクシルは古代異世界人によって調合された、古の秘薬と聞いていたから。
【擬人化】したらきっと、威厳ある老人姿になるものだと予想していたんだけど。
「実際に発動してみると、こう、命そのもので……罪悪感がっ……!」
望みが叶ったというのに、嬉しさはあまり感じられない。
ここが安全な地上であったなら、僕は今にも踊り狂っていたはず。
冷静に考えて瓶が【擬人化】したところで、この状況を打開できるとは思えない。
「ごめんね……大切にしていたはずの君を、僕の我儘で巻き込んでしまった」
一人で孤独に朽ちるところ、相棒を道連れにしてしまった。
エリクシルの空瓶が子供の姿だった事が、余計に罪の意識を強める。
「ふぁ……あるじさま?」
毛布が僅かに動いて、愛らしい顔がチラッと飛び出してくる。
少女と視線が合った。一秒、二秒、十秒。そして可憐な花が開く。
「わぁあ、あるじさま。私、私わかります? ずっと、ずっと一緒でした!」
「エリクシルの空瓶でしょ? 姿形が変わっても、僕が君を見間違えるはずがないよ」
実はちょっと取り乱したのは内緒だ。
「うれしい、嬉しい! ふぁあ、足があります、腕があります! あるじさまとお揃いで、言葉と言葉で通じ合えるなんて、まるで夢見たい!」
毛布を纏いながらぴょんぴょん飛び跳ねる少女。
大事なところがはだけてしまい、僕は思わず顔を背ける。
「ま、待て、裸のまま飛び跳ねないで! えっと、そうだ。着替えがあったはず」
とりあえず荷物の中にあった白地のシャツを渡す。
僕の体幹は大きくないけど、彼女が着ると下半身まで隠れる。
これはこれで危ないような……? あとで腰回りを紐で縛っておこう。
「こちらは、あるじさまの衣服ですか? くんくん、すんすん」
「男物でごめんね。まだ未使用だから臭いはしないはずだけど」
「それは残念、あるじさまの匂いがあると安心できるのですが」
嬉しいような、恥ずかしいような台詞を平然と呟く少女。
「――エル。うん、エルがいいな」
「エル?」
僕の言葉に、少女が小さく首を傾げる。
「せっかく人の姿を得られたのに、エリクシルの空瓶って呼び名じゃおかしいと思って。エリクシルから取ってエル。……ダメかな?」
「エル、エルエル。私はエル……えへへ」
とろけるような笑みを浮かべて、エルが抱き着いてきた。
「あるじさまにお名前をいただけました。エルは世界で一番の幸せ者です!」
「うっ、その恰好で密着されると目の毒……あっ、でも暖かい……!」
いちいち大袈裟な表現をする子だった。
だからこそ、本心から喜んでいるのだと伝わる。
僕たちは置かれている状況を忘れて、しばらくの間この奇跡の出会いを堪能していた。
◇
「僕たちがここから生還する為には、魔物から逃げつつ五階層も移動しないといけないんだ」
現在の状況を改めてエルにも説明する。
お利口に聞いていた彼女はすぐ吞み込んでくれた。
【擬人化】前は僕が大事に鞄の中にしまっていたので、
これまで起こった出来事をある程度把握しているみたいだ。
「私は、エルは、ずっとずっとお傍にいました。あるじさまの苦労も孤独も悩みも、全部、全部、知っています! これからはエルがお助けします!」
僕の人生の大半は彼女と共にあった。
隠し事はできないねと、苦笑するしかない。
そして、彼女の想いの大きさにただただ圧倒される。
「どうしてエルはそこまでしてくれるの? 僕たち今まで意思の疎通もできなかったのに」
「エルは――元は神話級のアイテムで。有力な権力者さんたちがエルを巡って、大きな戦争の火種にもなりました」
何といっても死者すら蘇らせる古代の万能薬だ。
一説によれば生者が使うと不老不死になるんだとか。
「でも、中身を失ってからは……エルはその価値を失ったんです」
そうだ。頑丈である以外は、エルは普通の瓶と性質は変わらなかった。
小さい頃の僕が、尊敬していた人物に譲って欲しいと頼んだら貰えたくらいで。
多分、空瓶だけでも市場ではそれなりの値打ちは付いたのだと思う。
それでも本来の価値から考えると、殆どなくなったに等しいものなんだろう。
最初に空っぽのエルを見つけた人は酷く落胆したはず。
当然、それは彼女自身も。神話級から落とされたのだから。
「道具に価値を与えるのはいつだって人間さんです。元は神話級で、今は無価値の存在。ですが……あるじさまだけは違ったんです。いつだってエルを見捨てず傍に置いてくれました」
僕は――彼女を、エルを心の支えにしていた。
辛い時に抱いていると、どうしてだか心が安らぐ気がして。
そこには夢があった。今は無能と呼ばれる僕だって、見返したいと。
僕が頑張って有名になれば、きっとこの空瓶にだって新しい価値が生まれるはずだと。そう願って。
「空っぽだった私という存在に、あるじさまは新しい価値を見出してくれました。そして隣に立つ機会を、ご恩をお返しする手段を与えてくれて。エルはこれからも、ずっと一緒ですから。大好きです!」
「ぷっ、あはははは。こんなにも熱烈な愛の告白は初めて。その、嬉しいよ」
絶望的な状況だというのに、僕は心底満たされていた。
感動で流す涙があるという事を、久方振りに思い出していたから。