第4話「脱出」
「――大丈夫? 怪我はありませんか?」
その言葉に、レストは固く閉じていた目をゆっくりと開いた。
眼前には、襲い掛かってきていた魔獣の姿はなく、黒い外套を纏った人が立っている。その頭にはフードを被っており、周囲の暗さもあって顔は見えない。
「立てますか?」
その言葉と共に差し出された手を、レストは小さく頷いて握る。
引き上げられるように立ち上がると、相手が自分より小柄な事に驚くが、それよりも、
「ありがとうございます。――あの、魔獣は貴方が……?」
「んー、退治したって言いたかったけど、浅かったみたい」
そう言って指さされた方向を見ると、先程までレストの眼前にいた魔獣が、少し離れた木の側で血を流しながら悶えていた。
「今のうちに逃げて森を抜けましょうか」
「あ、あの!」
手を引いて歩きはじめようとしたのを、レストは静止し言葉を続ける。
「騎士は――僕と一緒にいた人は、助けられないですか……?」
「あの人たちは、助けられないよ。もう――」
そこまで言うと、続きの言葉を遮られた。
咆哮だ。
振り向くと魔獣が立ち上がり、全身から敵意を溢れさせている。
距離は離れているが、その殺意に思わずレストは足がすくんでしまう。
「今は自分が生き延びることを考えて」
繋いだ手を強く握りしめられ、レストは頷いた。
「それじゃあ、逃げるよ!」
「は、はい!」
言葉とほぼ同時に、二人は走り出す。レストは手を引かれ、無理矢理動いた形だったが、かろうじて走る速さに付いていく。
魔獣の様子は? とレストが頭だけ振り返り見るが、どこにもいない。
「どこに……」
「振り返る余裕なんてないよ!」
え? と疑問の声を上げるより先に体が強引に横へと引っ張られる。
急な出来事にレストは倒れそうになるが、それよりも引っ張られる力が強いせいか、身体が宙へ浮いた。
その直後、レストが先程までいた場所に衝撃が生まれる。
そこには魔獣が立っており、前足の下の地面は大きく抉られていた。
それほどの威力を、自分が受けていたらと考え、レストは恐怖を感じる。
「このままだと逃げ切れないかもだから、ちょっとごめんね」
その言葉より先に、宙を舞ったレストの身体が両腕で抱きかかえられた。
「舌噛まないように気を付けてね」
同時、レストの身体を衝撃が襲い景色が加速する。
先ほどの魔獣が後方、小さくなるのを見てレストは小さく口を開く。
「すごい……」
「まぁ、魔術で身体強化してるだけだから何時までも続くわけじゃないけど、森を抜けるまでは何とかなるかな」
そう言うと、更に踏み込み加速した。
後方に見えていた魔獣の姿は全く見えなくなり、咆哮が小さく聞こえるのみだ。
身体強化魔術――自身に付与する魔術で、短時間だが筋力、反射速度など身体機能を飛躍的に向上させる魔術だ。
剣士などの戦闘職では、まずこの魔術の習得が必須と言われるほどの基礎魔術と言われているが、その熟練度次第では持続時間も力も段違いになると言われている。
「――あ」
無詠唱で発動させていたという事は熟練者なのだろうと考えていたレストの耳に、間の抜けた声が届いた。
声の主を見上げると、フードで顔は良く見えないが雰囲気で察する。
「ごめんね、もうすぐ時間切れ――」
申し訳なさそうに言うと立ち止まり、レストの身体を抱え直す。
「でもでも! あと少しってところだからとりあえず君だけでも先に森から出してあげたいから、こうするのが一番だと思うんだ」
「え? あの、何で槍を投げるような姿勢で僕を構えて――」
思わず早口になるレストだが、
「じゃ、時間も少ないし行くよー! 受け身は忘れず! に!」
レストの言葉に一切耳を傾けず、振りかぶり――
投擲された。
「うわあああ!」
先ほど抱えられていたよりも圧倒的に速く、そして自身の身長ほどの高さを飛ぶ。
ギリギリの位置を高速で通り過ぎる木々に、レストは恐怖のあまり目を閉じた。
風切り音だけが耳に届く。その音だけでもかなりの速さで飛んでいるのが分かる。
「――っ!」
と、周囲が明るくなった事を感じ、レストは目を開けた。
先ほどまで見渡す限り木々で、陽の光もほとんど届かないような森だったが、一転して草原が広がっている。その先には王都の城門が見える。
「って、落ちる落ちるー!」
今にも地面に激突する、という状況にレストは慌てて身体を捻じり、背を地面に向ける。
直後、背中から全身へと衝撃が走り土埃が上がった。
「――痛ぅっ!」
思わず悲鳴を上げ、頭を守るように身を丸める。
その態勢のまま数回転がり、止まった。
「生き……てる……」
レストは小さく呟き、仰向けに両手足を広げ倒れこむ。
「眩しいなぁ…」
一時は助からないと思ったが、予想外の助けに感謝しながら安堵の息を漏らす。
「でも、投げ飛ばされるなんて思わなかったなぁ…」
そう呟くと、レストは全身の痛みに少し顔を歪ませ、合流するまでこのまま待たせてもらおうと決め、目を閉じた。