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きみのすべてを解き放て  作者: シロタカ
◇ 第1話 最強と最弱
8/24

【7】

「目が覚めた?」


 気がついた時、ライフ減少のアラート音は静かに遠ざかっていた。


 リオンは自分がベッドで横になっていることに気づく。起き上がる気力はなく、うっすらと開いた目には死神が――黒い髪と濁ったブルーの瞳。凍てついた気配を漂わせる、怖ろしいものが自身を見下ろしていた。


「お、お助けを……」


 リオンは命乞いする。


「ええ、助けたのよ」


 噛み合ったようで噛み合わない会話である。


 死神ではなく、リオンを見下ろしているのはアズクリッドである。彼女はギルド受付嬢の仕事を終えての帰り道、偶然にも路地裏で行き倒れているリオンを発見した。それから一晩が経っている。早朝、カーテンの隙間からは優しい陽光が差し込んでいる。


 ロウシャンの市街地に建つアパルトメントの一室は、アズクリッドが一人暮らししている部屋だ。


 リオンはアズクリッドのベッドに寝かされている。アズクリッドからすれば、衰弱状態の半死人を一晩中世話して、どうにか窮地を脱したという状況である。彼女はやれやれと肩の荷を下ろしていた。


 一方で、リオンは状況が理解できず、混乱の極み。


「なにが、どうして……?」


「説明は後でもできる」


 アズクリッドはきっぱりと告げた。


「とにかく、食べなさい。ライフを回復させるには、寝るか、食べるか」


 どこかの勇者と似たようなことを云われてしまう。


 リオンが半身を起こしたまま呆然としていると、アズクリッドがキッチンの方から戻って来る。手渡されたスープは、野菜と肉を食べやすいようにトロトロになるまで煮込んだもの。


「……おいしいです」


「感想はいいから、食べなさい」


 食事を済ませるとライフが回復し、アラート音が完全に止まった。


 ようやく、リオンにも状況を呑み込む余裕が出て来る。


 ベッドから起き出し、キッチンで洗いものをしているアズクリッドに感謝と謝罪の言葉を告げようとするが、なんとなく無言の背中に圧力がある。声をかけるタイミングを見失っていると、「はい、退いて」と洗いものを終えたアズクリッドに追いやられる。


 彼女はベッドのシーツを剥がし、「洗濯してくる」と云い残して玄関の外に向かった。


「お風呂はそこ。着替えは用意してある」


 アズクリッドは玄関扉を足で止めながら、リビング横の扉を指し示した。


 リオンはそう云われて、ようやく己の状態に気づく。


 かなりの時間をふらふらとホームレス状態で過ごしていたから、身体も服も汚れ切っている。そんな状態でベッドを借りていたわけだ。さらに申し訳なさが募ってくる。やっぱり感謝と謝罪を――しかし、リオンが口を開くよりも早く、アズクリッドはさっさと出て行ってしまった。


 知らない家の中で、一人きり。


 どうするべきか迷うものの、ここは従っておいた方が良さそうだ。


「お風呂、借りようかな」


 ボロ小屋で一人暮らしていた頃のリオンは、温かい時期は森の湖で水浴びをして済ませていた。寒い時期は大きな桶に湯を張るのだけど、まあ、それがとにかく寒いし手間はかかるしで不便だった。


 都会の風呂。


 第一印象は、狭い。


 膝を曲げてようやく入れる程度の湯船とシャワーがあるだけの一室。「これがシャワーか」と、リオンは感動する。これまでウィンドウ越しの映像でしか見たことのない文明の利器である。


 風呂場は脱衣所と一緒になっていて、そこにはアズクリッドが云っていた通り、リオンのための着替えと思しき衣服が準備してあった。女物である。アズクリッドの持ち物の中から、リオンでも着られそうなデザインとサイズのものを選んでくれたようだ。


 つくづく、頭が下がる。


「でも……これ、いいのかな?」


 女性の服を本当に借りてしまっていいのか、リオンは今さら二の足を踏む。


 なぜか、意識すると緊張してきた。


 脱衣所の鏡を見ると、顔が赤くなっている。


 頭を切り替えて、シャワーを浴びた。


「綺麗になったわね。服はそれで大丈夫? ……まあ、私より似合っている」


 シャワーを終えてリビングに戻ると、ちょうどアズクリッドが帰って来ていた。


「ありがとうございました」


 リオンは深々と頭を下げる。ようやく感謝の言葉を告げられた。


 アズクリッドはそれには大して反応しない。リオンの近くに寄って来ると、服の裾を引っ張ったりズボンの丈を確認したり、「やっぱり無理があるか。明日にでも買いに行きましょう」と、一人で予定を立てている。リオンはどう反応して良いかわからず、自分よりも彼女の方が背が低いのだ、なんて関係のないことを考えていた。


 シャツの袖が足りてないのが気になるのか、アズクリッドはそこにも指を伸ばした。


 指で袖丈を測りながら、その途中で、リオンの左腕の腕輪に気づいたようだ。


「これは?」


 蒼の腕輪。アズクリッドは興味深そうに見つめてから、そっと指を這わせる。


「……取れない?」


 指を引っかけるようにしても、ビクともしない。


 首を傾げたアズクリッドに対し、リオンはあっさりと腕輪を外してみせる。


「そう」


 納得した様子のアズクリッド。


「行き倒れていたのに、いいものを持っているのね」


 今度は、リオンが首を傾げる番だった。


「気づいていないの? それとも、知らない? レアリティがレア以上の装備は、他人が勝手に外すことはできない。盗賊ならばそれ用のスキルを持っているものだけど、普通の人間には不可能。いいから、ちゃんと付けたままにしておきなさい。外している間に盗まれたなんて、バカみたいな話よ」


 レアリティが高い装備品は他人が勝手に外すことはできない。


 持ち主が装備している間、そのアイテムを所有する権利は絶対のものとなる。


 システムが定めたこの世界のルールのひとつ。リオンも当然知っていたが、蒼の腕輪がレア以上の価値を持つとはまったく想像すらしていなかった。貧乏人にはレア以上のアイテムなんて一生縁のない話だと思い、そもそも装備品に関するルールなんて今の今まで気にしたこともない。


 装備品のルールが存在するため、レア以上のアイテムは下手に金庫などに保管するよりも、自身で身に着けたままにしておく方が盗難のリスクは減るのだったか――。


 リオンは驚きから覚めないまま、そんな豆知識を思い出していた。


「私、今日は仕事があるから」


 アズクリッドが蒼の腕輪に興味を抱いたのは、ほんの一瞬である。


 彼女はリビングから奥の部屋に移動して行く。急いているようだけど、淡々とした雰囲気と静かな所作がそんな風には感じさせない。リオンも話に続きがあるだろうかと、そのまま何となくついて行った。


 アズクリッドは特に何も云わない。


 衣装棚を開けながら、部屋着を脱いで着替え始める。


 あっさり上着を脱ぎ捨てると、白い肌と、白い下着が見えて――。


「わっ!」


 リオンは慌てて後ろを向く。


 アズクリッドからは一切の反応がない。リオンは顔が赤くなったり青ざめたりと忙しかった。見てはいけないものを見てしまった。ドキドキと心臓が早鐘を打っている。


「どうしたの?」


 着替え終わったアズクリッドは、何事もなかったかのようにそう尋ねてくる。リオンがすぐ後ろに立っていたことはわかっていたはずなのに、彼女は何も気にしていないらしい。


「ああ、なるほど」


 アズクリッドが気づいたように云う。


「見苦しいものを見せてしまって、ごめんなさい」


 この人はすごい。


 リオンは頭が上がらないと思った。


「さっきのスープはまだ残っている。あちらの棚にはそれ以外の食べ物もあるから、お好きにどうぞ。夜には帰って来るから、それまでごゆっくり。……ああ、それと――」


 リオンは何も云えない。


 押し切られている、のとはなんだか違うのだ。


 反論はできないし、反抗をするつもりもないのだけど。とにかく、彼女の云われるがままに流されている。しかし、それで嫌な気分になるわけではない。


 昨夜まで、行き場もなくロウシャンの繁華街をさまよっていた。


 頼れる人はなく、孤独のまま死の気配を感じていた。


 ここに居なさい、と――。アズクリッドのこれまでの言動全てをシンプルに直せばそうなるだろう。ここに居て良いのだ。女性の一人暮らしている部屋だから、大して広くはない。でも、居心地は良い。十年暮らしたはずの森のボロ小屋がもはや思い出せなくなりそうだ。窓辺には花が飾ってある。キッチンに並ぶ調理器具や食材は温かな生活感を漂わせる。部屋の細かい所を飾っているレースの刺繍はアズクリッドのお手製だろうか。ギルドの受付嬢として接した時の彼女に比べると、まったく正反対の家庭的な面ばかり見られる。


 色々と考えてしまい、リオンは言葉に詰まった。


 アズクリッドはリオンのそんな様子に気づいた気配もなく、最後にこう述べる。


「あちらの部屋にいる子たちとは仲良くしてね」


 そして、彼女は仕事に出かけて行く。


 リオンは「行ってらっしゃい」すら云えなかった。


 後からよくよく考えれば、たぶん、この時、アズクリッドは一睡もしていない。リオンは彼女から気遣われるだけ気遣われながら、それらのありがたみをまだ全部は理解できていなかった。まるで、ままごとで使う人形みたいなもの。与えられるだけで、何も答えられず、何も返せない。


 彼女のことを逆に気遣えるようになるのは、もうしばらく先のことである。


「……あっちの部屋?」


 アズクリッドが行ってしまい、静かになったリビングで、リオンは閉まったままの扉に目を向けた。


 リビングと脱衣所・浴室、それからリオンが最初に目覚めた寝室。この家にはさらに、リビングから繋がるもう一部屋があった。リオンは一人きりで取り残されたと思っていたが、閉ざされたままの部屋には他にも誰かがいるらしい。


 ノックしてみる。


 だが、返事はなかった。


「……失礼します」


 恐る恐る扉を開けてみると、いきなり大歓迎された。


 にゃー。

 にゃー。

 にゃー。


 猫だった、三匹。


 寝室と同じ広さのもう一部屋は、普段特に使用されることもなく物置になっていた。昨晩はリオンが担ぎ込まれたため、猫が邪魔しないように隔離場所として使用されたというわけだ。


 リオンの足元に三匹の猫がまとわり付く。


 これはリオンが後々知ることだけど、三匹いずれも野良猫だったのを拾われて来たという経緯がある。猫たちの名前は拾われてきた順番に、一号、二号、三号というアズクリッドのネーミングセンスが若干疑われるようなものだ。もちろん、この瞬間のリオンはそれぞれの名前を知る由もなく、予想外に飛び出して来た猫三匹にひたすら翻弄されていた。


 これまた後々、リオンは唐突に気づくわけだ。


 リオンにはリオンという名前がちゃんとあったから良かった。


 下手をすると、四号にされていたかも知れない。


 詰まる所、リオンは野良猫のようにアズクリッドに拾われたのである。

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