【5】
「君ね、常識を覚えた方がいいよ。常識を!」
ロウシャンの大衆食堂、混雑している店内の片隅で向き合っている二人。
狭いテーブルの上に大盛りの焼き飯が運ばれてきた。リオンは恐縮しながら、「はい……はい、その通りです。ロマンさんの云うことが正しいです」と、ひたすら頭を下げながら相槌を打っていたけれど、「とりあえず食べなさい、君。食べながら説教を聞きなさい、ほらほら」とロマンに急かされてしまった。
午後の昼時をやや過ぎている。
モンスターにやられたリオンは気を失い、ハッと目覚めた時には自由都市ロウシャンにたどり着いていた。見慣れない大都会の街並みに呆然としたのも束の間である。「君! ようやく起きたね。さあ、文句を云わせてもらおうか!」と、半日の道のりを人ひとり担ぎ上げて来たロマンに、それはもう、ものすごい勢いで詰め寄られてしまった。
「だが、しかし、君に説教しようにも、往来のど真ん中では邪魔になる」
街の入口たる大門は出入りが激しい。
「さあ、付いてきなさい!」
連れていかれたのが、この食堂である。
「さあ、食べなさい!」
誰かと共に食事することが久しぶりのリオンは、ロマンの小言を聞いていればいいのか、次々とやって来る料理に手をつければいいのか、大混乱の最中である。焼き飯を口の前まで運びながらも、ズバズバと話し続けるロマンをぽかんと見つめていた。
一瞬、見つめ合うような感じになる。
「ところで、君、その、なんだ……」
ロマンはなんとも難しい顔で尋ねてくる。
「本当に男か? どう見ても、だな――」
「男ですよ、ほら」
リオンはシャツをはだけて、肌着の首元を引っ張る。平たい胸元を見せてやった。すると、ロマンは両手を突き出し、「待て。わかった。わかったから、やめなさい」と盛大に慌て始める。
「みんながこちらを見ている。これでは誤解されてしまう。公共の場で、勇者が少女に卑猥なことをしていたというのはマズい」
「だから、ボク、男ですけど?」
「そう見えないのが問題だと云っている」
ロマンはお手上げとばかりに全身の力を抜いた。
「やっぱり、君は常識を覚えるべきだ」
ロマンの言い分には、リオンも素直にうなずく。
一人だけで生きて来たから、世間の常識とズレがあるのは覚悟していた。
「そもそも私はロウシャンに来る予定ではなかった。ここは私にとって厄介事がある街なので、あまり近寄りたくなったのだが……。ああ、ほら! 手が止まっているぞ。食べなさい、食べなさい。ライフが減った時はぐっすり眠るか、たらふく食べるかだ」
そう云いながら、ロマンは通りがかった店員に注文を追加する。
鶏の揚げ物、野菜と卵のスープ、お茶のおかわり――「他に、なにか食べたいものはあるか?」と尋ねられたので、リオンは笑顔で、「それでは、食後のデザートもお願いします」と答えた。ロマンはテーブルをバンバンと叩きながら、「君は遠慮がないな!」と愉快そうに怒った。
「こういう時は遠慮するものだ」
「なるほど、勉強になります」
「遠慮して、感謝の言葉だけ述べるものだ」
「ありがとうございます、ロマンさん!」
「うむ。筋が良い」
ロマンは拍手した。
「では、店員のマドモアゼル、メニューにある甘いものを一種類ずつお願いしよう」
ロマンは鎧を脱いでいた。
モンスターの出ない街中であるから、装備で身を固める必要はない。鎧やマント、それから剣も全て、【インベントリ】と呼ばれる便利空間に収納したらしい。いずれも一見してレアリティの高い装備だったが、普段着もまた仕立ての良い高級品のようである。リオンからすればロマンは大人であるものの、どちらかと云えば、彼もまた世間的には若い方である。素直に立派だった。
「ロマンさん、おいくつですか?」
説教の最中、リオンは素朴な疑問で口を挟む。
「ああ、嘘だろ? 君はやっぱり、私のことをよく知らないみたいだ。どこの田舎から出て来た? 私を知らないなんて馬鹿にされるぞ。よく聞きたまえ、私は【剣】の勇者、ロマン・ザ・レインボウ。もうすぐ22歳の誕生月を迎えるが、君からのプレゼントは遠慮しておこうか。私には世界中の女性ファンがいるからね」
「ロマンさん、恰好いいですからね」
「そう! やはり筋がいい。もっと褒めたまえ!」
「メニューの端っこにある、これ、頼んでいいですか?」
「ああ、いいぞ! 端から端まで持ってこい!」
話し込む程に愉快な人という印象が強くなるものの、見た目には好青年である。
背は高く、鍛え上げられた肉体は細く締まっている。全身から凛とした力強さを発していた。黒々とした髪はさっぱりと整えられているし、澄んだブルーの瞳は生気に満ちてキラキラ輝いている。リオンがのんびりと省コストで生きているのに対し、ロマンは全身全霊、全力の人であるらしい。
世界中の女性ファンというのも、あながち大言壮語ではないのかも知れない。
S級の冒険者であり、勇者。肩書きだけでも凄まじいのに、見た目も良ければ気前もいい。
「それで、君。ロウシャンに連れて来てやったが、ここからどうするつもりだ?」
面倒見も良いらしい。
二人の会話はほとんどロマンからの説教と自慢話で構成されていたが、リオンも己の事情をさわり程度は説明していた。田舎の村ではぐれ者として暮らしてきた過去の事情と、ロウシャンで新たに生計を立てていきたいという曖昧な展望である。
父親からの手紙は本来、リオンが十八歳になった時に渡されるべきものだった。
リオンは現在、十七歳になったばかり。『ロウシャンで待つ』という一文は、そもそもロウシャンに父が居るようにも、そのタイミングで父がロウシャンにやって来るようにも、どちらにも取れる。どちらにしろ、ロウシャンは莫大な人数が暮らす巨大都市であるから、リオンの方から父を探すのは不可能に近い。
一年後の約束の時まで、リオンは待たなければいけない。
それはすなわち、ロウシャンで一年間暮らすという意味にもなる。
「どうしましょうね?」
リオンは焼き飯をモグモグしながら答えた。
「正直に云うが、バニラドッグにやられる弱さは異常だ」
「ですよね」
「ロウシャンにやって来る田舎者の大半は、最初に冒険者を志す。君が実際、どんなステータスなのかは知らない。だが、バニラドッグにやられるレベルではたかが知れている。冒険者は向いていないだろう」
「でも、冒険者には必ずしも強さは必要ないとか?」
「一生を最低ランクで終えるつもりならば、それでもいい。だが、そんな人生に意味はあるのか? 私は、強くなろうとする意志こそが人を強くすると考えている。志を低くして生きるよりも、周囲からバカにされても上を見続けるべきだと思うね」
ロマンは真面目な顔で続けた。
「冒険者には向いていないと、私は断言する。だが、アドバイスを聞き入れるかは君次第だ。街中の雑用をこなして回るだけの冒険者になるならば、私が君と会うことは二度とないだろう。だが、S級を目指して冒険者になるならば、その時はまた違ったアドバイスができるはずだ」
食事を終えて、リオンはロマンと別れた。
支払いは当然のようにロマンが済ませてくれた。
「ありがとうございました」
「必死に生きたまえ、少年」
現れた時と同様、颯爽と去って行くロマン。
リオンは深々とお辞儀して、後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
「いい人っているんだな」
基本的、初対面の人間は自分を見下してくるのがデフォルトの人生である。
リオンにとって、ロマンは初めて出会うタイプの人間だった。
さて、一人きりになったリオンは改めて、ロウシャンの活気ある街並みを眺める。
田舎の村や森の奥深い所ぐらいしか知らないリオンには、何から何までが刺激的で、立ち並ぶ商店の数にまず圧倒されてしまう。そして、建物が高い。平屋はそもそも見当たらず、巨人の建物のような集合住宅ばかり規則正しく建っている。土埃にせき込む必要がないのは、地面が全て舗装されているからだ。
きょろきょろと視線をさまよわせるリオンの姿は、お上りさんそのもの。時折、都会らしいシャレた衣服を着た人にくすりと笑われたりしていたが、リオンはそれにも気づかないぐらい街並みに心奪われていた。
しかし、雑踏の中で突っ立っていると、足早に歩く人々に次々とぶつかられてしまう。舌打ちまでされた。リオンは慌てて歩き始めながら、やっぱり都会は怖い所でもある、とドキドキしながら感想を抱く。
どこに行く当てもない。
人の波に流されるように歩いた。
「あれ……?」
偶然なのか、それとも運命か。
人混みから吐き出されるようにして行き着いたのは、比較的新しい建物が多い街の中で一番古めかしく、まるで新参者を威圧するかのように威厳たっぷりのギルドホールだった。大きく開かれたままの入り口はどこの商店よりも人の出入りが激しく、まるでリオンのことも吸い込もうとしているかのようだ。
立て看板には、無数のビラが貼られている。
ひときわ目立つのは『新人冒険者大歓迎』の一文である。
「うーん、どうしよう?」
お膳立てが過ぎていて、運命という名の罠にも思える。
「でも、信じようかな。……ロマンさんは、信じられるかな」
ロマンからは、冒険者になってはいけないと云われた。
一方で、彼の口振りは『冒険者はいいぞ』と云っているようにも思われた。
たくさんの本を読んできたリオンは、当然、冒険譚も飽きるぐらいに読み込んでいた。古今東西の様々な英雄、英傑には冒険者であった者も数多い。そうした物語による冒険者のイメージは、たぶん、現実の冒険者のそれとは大きな隔たりがあるはずだ。現実はもっと、退屈で、泥臭い。そう思ってきた。しかし、ロマンはまさに物語の主人公のような人だった。
リオンが冒険者になったとして、ロマンとは二度と会うことはないだろう。
高みを目指すことがそもそも不可能なのは理解している。
それでも、光があるというのは良いことだ。
太陽に手が届かなくても、大抵の人々は地に這いつくばるようにしながらも生きていく。
「ダメで元々だ」
リオンは決意して、ギルドの中に足を踏み入れる。
いつも通りの笑顔で気負うものなく、受付嬢のいるカウンターに進んだ。