【23】
「リオンくん、お疲れ様でした」
先程まで岩場に座っていたアズクリッドが、スカートの砂ぼこりを払いながらやって来る。
肩に担がれた錫杖には光が灯っていた。ハーピーに放たれた攻撃魔法の残滓である。アズクリッド自身は顔色ひとつ変えていないけれど、錫杖の先端でゆらりゆらりと揺れる魔力の光は、まるでその心の内に秘めた殺気のようにも見える。
静かに一言、彼女は問いかけてくる。
「怖かったですか?」
リオンは青ざめたまま答える。
「……はい、怖かったです」
「そうですか。うん、そうですね」
なんだか納得したようにうなずくアズクリッド。
ただし、表情は変わらないため、何を納得したのかはわからない。
アズクリッドとの会話はいつも難解である。彼女は表情や仕草に感情の色を出さない。その上、口数も少ない。リオンは一緒に暮らす内になんとか理解したけれど、彼女は日常のどうでもいいような会話だろうと真意を隠しがちだ。なにかと意味深長に感じさせるアズクリッドだけど、実の所、彼女のそうした振る舞いには大した理由がない事の方が多かったりする。
『女子には秘密が多いものです』
とは、アズクリッドの弁である。
おそらく、それも深い意味のない冗談なのだ。
ひとつふたつの秘密が心にあるぐらいならば可愛いものだけど、アズクリッドは秘密という名の強力な全身鎧でも着込んでいるみたいだ。それでは他人から理解不能と判断されるのも仕方ない。
「では、帰りましょうか」
「え、帰っていいの?」
リオンは思わず目を丸くする。
やはり、今日もまた彼女は難解だった。
普段ならばその真意を読み取ろうと頭を必死に動かす所だけど、今は疲れ果てていた。リオンはもちろん、身体をたくさん動かした訳ではない。体力ならば残っている。尽きているのは精神力だった。
そもそも、ハーピー討伐のクエストを強制的に受注させられた時点で精神はかなり摩耗した。Fランクのクエスト、すなわち新米の冒険者がやるようなクエストを受注するつもりだったのに、アズクリッドにハーピー討伐のクエストで押し切られてしまった。
冒険者になったものの、リオンは経験不足であることを実感している。
モンスターと戦うなんて自信がない。まして、ハーピーなんて恐ろしい。
そんな風に大いに戸惑っている最中、脱がされた。
ギルドホールの更衣室(もちろん、冒険者のための更衣室なんて存在しない。そこは受付嬢たちの更衣室)に連れ込まれ、誰かが入って来るかもしれない恐怖に怯えながら、リオンは生まれたままの姿にさせられてしまった。ロウシャンの大勢で賑わう雑踏の中に手を引かれて行く時も、身に着けることを許されたのは靴下と靴、マントの一枚だけ。羞恥に赤面し、涙目になり、全身汗だくになりながら歩き続けた。途中で倒れなかった自分を褒めてやりたいとすらリオンは思った。
クエストの目的地である岩山に着いてからの顛末はご存知の通り――。
詰まる所、リオンは今回何も成し遂げていない。
ひたすら恥ずかしさと戦っただけで、モンスターとは戦っていない。
「極端なことを云えば……」
リオンの戸惑いを見てか、アズクリッドは一言だけ告げる。
「リオンくんはモンスターと戦う必要ありません」
「それ、どういう意味……?」
ハーピーに襲われた恐怖と、一日中続く羞恥と、どちらか一方でもパニックを起こしそうなものがふたつ同時で、リオンはこれ以上何も考えられそうになかった。
アズクリッドと云えば、何も答えない。
だが、もはやどうでもいい。
彼女に手を引かれ、リオンは大人しく戦場を去ろうとした。
「おい! ちょっと待て。ちょっと待てよ!」
いきなりの怒鳴り声に、リオンとアズクリッドは足を止める。
振り返れば、数人の冒険者が二人をにらむように見ていた。
「話題のS級冒険者が何もしないまま帰るのか? そんなバカな」
「がっかりさせんなよ。巣から出て来るハーピーの数が多過ぎて、みんなピンチなのに……」
「戦わず、逃げるのかよ。さっきも見てたぞ。そっちの女に助けられただけじゃないか」
文句と非難の声。
最初に声を上げたのは数人だが、その波紋はすぐに周囲に広がった。リオンとアズクリッドに向けられる視線の数が増えていく。事実として、ハーピーと戦闘中の彼らは傷付いている者が多かった。命の危機に陥っているような者はいないけれど、ハーピーとの戦いはこれからさらに過酷なものになりそうだ。
S級冒険者は、伝説や英雄の位置付け。
圧倒的な強者であり、ヒーローである。
このような状況で、皆がS級冒険者に期待するのは明らかだ。
リオンはたくさんの視線にさらされて、これ以上なく混乱してしまった。
昔から、馬鹿にされるのには慣れている。最初から期待されないのが当然だった。世界最弱と云っても過言ではないステータス。何にもできない自分はそんな風に扱われるのも当然だと思っていたから、酷い仕打ちも笑ってやり過ごしてきた。
だが、この瞬間に向けられている感情はちょっと違う。期待を裏切られたことに対する失望、強者の癖に弱者を見捨てるのかという嫌悪。リオンはこれまで向けられた事のない感情を向けられて、なんと返事をすれば良いのかわからなかった。
「くだらない」
返事をしたのは、アズクリッドの方だった。
「……え?」
聞き違いかと云うように、冒険者たちから戸惑いの声が漏れる。
「泣き言ですか? 仮にも、ハーピー討伐のクエストを受注するような経験豊富な冒険者が、そんな子供みたいな事を云うとはがっかりしました。だから、私はくだらないと云いました。他人の助力を期待するだけでなく、自身の力不足を棚に上げて、文句だけ一人前とは笑うこともできません」
アズクリッドが淡々と告げる間、顔を見合わせる冒険者たちが幾人か。
もしかすると、そもそもお前は笑ったことがあるのかと云いたかったのかも知れない。
「冒険者とは孤独なものです。頼れるのは自分だけ。自分の力だけ――」
アズクリッドは無表情に繰り返した。
「自分以外に頼るぐらいならば、冒険者を辞めた方がいい」
リオンだけが気付く。
表情が変わる事なく、感情が存在するのかと疑われるアズクリッドだけど、彼女は実の所、普通の女の子だ。リオンはそれを知っている。それゆえ、今、彼女が猛烈に怒っていることに気付いた。
「あ、あの……アズクリッドさん……」
リオンは彼女の手を引こうとした。この場を離れた方が良い気がしていたからだ。
先程までは、リオンの方が彼女から手を引かれていた。立場が逆になったものの、大人しく従うだけだったリオンに対し、アズクリッドはあっさり手を振り払ってしまった。
彼女は大きな錫杖を両手で構える。
「それから、リオンくんを馬鹿にするのは許せません」
「……あ、そこなんだ」
理解が難しい彼女だけど、感情のスイッチが何処にあるかも、やはり見極め難い。
苦笑いを浮かべるリオンだけど、次の瞬間、表情は文字通りに凍りついた。
「大々魔法『そして、誰も動けなくなった』」
アズクリッドが魔法を唱えた。
岩山に広く散開しているハーピーの群れ。それらをぐるりと取り囲むような形で、冒険者たちは戦闘を繰り広げていた。戦場の中心にあるのは巨大な老木に作られたハーピーの巣であり、樹洞から次々と新しいハーピーが飛び出して来ていた。
アズクリッドの魔法はあっさりしたものだ。
一瞬で発動していた。
皆が気がついた時には、ハーピーの巣は凍りついていた。
巣から飛び出そうとしていたハーピー数体も氷の彫像のように固まっている。
「忠告します。誰も近付かない方がいい」
アズクリッドは冒険者たちに冷たく告げた。
あちこちに散らばって戦闘を繰り広げていたハーピーたちが巣の異変に気付き、慌てて舞い戻ってくる。仲間を助けようとしたのか、凍りついた巣に次々と舞い降りるものの――ハーピーのかぎ爪が凍った枝に触れると、極寒の冷気が襲いかかる。氷に一度でも触れると、離れられない。必死にもがく間にも、じわじわとその身体は凍りついていく。わずかな時間で、ハーピーの氷の彫像が無数にできあがっていた。
「これぐらいかしら?」
しばらく経つと、生き残っているハーピーも警戒心を強め、凍りついた巣や仲間たちを遠くから見守るだけで近付こうとはしなくなった。状況は停滞し、冒険者もハーピーもその場から微動だにしない。アズクリッドは誰もかれも動こうとしない景色を見つめながら、大きな錫杖をゆっくりと薙いだ。
すべて、爆ぜる。
凍りついた巣も、氷の彫像となった無数のハーピーも、錫杖のひと撫でするような動きできらきらした雪の結晶に変わっていく。岩山の吹き抜ける風で、それらの雪の結晶も空に舞い上がって見えなくなる。後には何も残らない。わずかに生き残ったハーピーたちと、呆然としたままの冒険者たちを残し、アズクリッドはやはり表情を一切変えることなく帰路に着く。
「もうひとつ、忠告しておきます」
アズクリッドは元S級の冒険者である。
その事実を知る知らないに関わらず、この場で彼女の実力を疑う者は一人もいなかった。レベルが違う――否、レベルだけでは埋まることのない、そもそものステータスの高さ、スキルや装備品という総合的な実力。常人にはたどり着く事のできない位置にいる彼女に対し、ぶるぶると震え出す者が幾人もいた。
「私が足元にも及ばないぐらい、リオンくんは強いですよ」
アズクリッドはそれで満足したのか、もう振り返ることなく歩み去って行く。
彼女に強引に手を引かれるリオンは、『なんかごめんなさい』と心の内で叫びながら頭を下げた。




