【1】
冒険者ギルドの受付での口論は日常茶飯事である。
本日は晴天、風は穏やか、万事に変わりなし。
鶏が朝を告げるように、ギルドでは冒険者が声を荒げていた。
「バカな! 俺のランクが上がらないって、どうしてだ!」
筋骨隆々とした大男がカウンターテーブルを拳で叩きつける。
普通の街中であれば喧噪がぴたりと静まり、注目が一身に集まりそうな荒々しい振る舞いだが、ギルドでは誰一人として振り返る事もない。これが日常の一コマである。
自由都市ロウシャンの冒険者ギルド。交易地の中心地であるから、このギルドは大陸でも最大級の規模を誇る。受付窓口はピアノの鍵盤のようにずらりと並んでおり、どこもかしこも冒険者が長い列を作っている。彼らと向き合う受付嬢たちは身なりの美しさが目を引くけれど、それ以上に、どれだけ忙しくとも笑顔と慈しみの心で冒険者を出迎えるという点でプロフェッショナルだ。
しかし、一人だけ例外がいた。
「どのように仰ろうと、結果が変わる事はありません。こちらの装備品を鑑定した結果、レアリティはアンコモンでした。貴殿自身のレベルも上がっていないため、冒険者ランクはDランクのまま変更ありません」
「そんな! こいつをどれだけ苦労して手に入れたと思っているんだ」
「ギルドの評価指針に努力の項目はございません」
嗚咽を漏らす冒険者に対し、その受付嬢は顔色ひとつ変えない。
スマイルが基本の受付業務なのに、ひたすら無表情を貫いていた。
堂々としたベテランの貫禄に、荒くれ男も黙らせるだけの威圧感。ただし、体躯は小柄である。髪は長く、艶めく黒色。刃のように鋭利な目元に、瞳の色は濁ったブルーで底知れない。
「冒険者は結果が全てです。お帰りください」
冷淡な仕事ぶり、辛辣な物言い。
無数に居並ぶ受付嬢の中で、一人だけ異質な存在感を放っている。
彼女はベテラン冒険者からは特に恐れられる存在であり、その筋ではかなりの有名人だ。そのため、定位置である端っこの窓口だけは混雑時でもぽつんと空いており、事情を知らない新米冒険者がそれでほいほいと並んで餌食になる。「アズクリッドのお嬢はヤバい」という泣き言が街の酒場で聞かれない日はなく、それゆえロウシャンの【氷雪女王】の異名は広まり続ける。
「はい、次の方」
屈強な男にベソをかかせた後でも、アズクリッドの表情に変化は見られない。
誰が云い出したのか、彼女の周囲は気温がグッと下がるそうだ。ただの冗談には違いないが、隣の受付嬢はなにかと肝が冷えることが多いらしく、制服の上にカーディガンを重ね着していた。
「はじめまして、冒険者の登録をお願いします」
アズクリッドの前に、彼女と対照的な少女が進み出て来る。
ホワイトブロンドの透き通るような髪がふわりと軽やか。アズクリッドの黒髪はストレートで、艶めいて美しいものの、本人の気質を象徴するかのように重々しい。ブロンドの少女はニコニコと人好きのする笑顔を浮かべており、やはりアズクリッドの無表情とは正反対である。
アズクリッドは普段、他人の容姿に興味を抱かない。美しかろうが、格好よかろうが、冒険者としての強さには関係ないからだ。ギルドの受付嬢として、アズクリッドはいつも淡々と仕事をこなしている。だが、この瞬間は思わず目の前の相手をじっくり見つめていた。それだけ整った容姿の持ち主であり、大輪の花のように自然と視線を惹き付ける魅力を感じさせた。
「あの、なにか……?」
アズクリッドに無言、無表情でしばらく見つめられ、戸惑いの声が上がる。
その声には緊張も含まれていた。カウンターの椅子に腰かけた後も、居心地悪そうに身じろぎしていた。飾り気のない純朴な服装も相まって、田舎から出て来たばかりの若者という推測は簡単にできる。
「いえ、失礼しました」
アズクリッドはやはり表情を変えることなく、気持ちを入れ替える。
ただし最後に、ちらりと視線をやった。
多少の違和感。美しい少女の左腕にはアクセサリが付けられていた。
竜の紋様が刻まれた、蒼の腕輪である。女の子には少々厳めしいアイテムだ。
「ギルドへの新規登録ですね。それでは、システムウィンドウを開示してください」
アズクリッドの仕事は相手が誰であろうと、あくまで機械的だ。掲げた右手の先には自身のシステムウィンドウが瞬時に展開していた。コマンドを素早く入力し、次々に表示されていくスクロール式のアイコンから冒険者の登録のための項目を呼び出していく。
「うわー。やっぱり、都会の人は操作が早いですね」
感心する声を向けられても、アズクリッドは特に反応しない。
一方で、目の前の相手もニコニコと愛想のよい笑みを崩さなかった。
「システムウィンドウを開いた後は、プロフィール画面を選択してください」
「あ、はい……。ごめんなさい」
別に怒っていないのだけど、謝られる。
いつものことであるから、アズクリッドは反応しない。
「できました。これでいいでしょうか?」
二人の間には、システムの光が浮かんでいた。
はるかな昔――。
それは、神無き暗黒の時代とも呼ばれる。
モンスターが生態系の頂点に君臨し、人間がちっぽけな生物のひとつに過ぎなかった大昔の世界では、肉体の強さが力関係の全てを決めていた。人間が今日の繁栄に至ったのは、創造主に選ばれたからに他ならない。
創生神話の最初のページには、創造主が人間に三つの贈り物を与えたことが記されている。
ひとつは、言葉。
ひとつは、歴史。
そして、最後に【システム】である。
創造主と同じ名を持つ【システム】は、暴力が支配していた暗黒世界を真っ白に上書きした正しきルールである。神の顕現と共に、この世界には新たな法が生み出された。人間が自分たちの社会を法律や規則で縛り、守るように、神は【システム】で世界を覆うことで闇を拭い、光をもたらした。
ギルドの受付で向き合う二人が、それぞれの眼前に呼び出している【システムウィンドウ】――半透明の輝きが空中に描き出す様々な文字列は、この世界の人々がシステムの恩恵を受けていることを示す一番の具体例である。
ウィンドウに表示される情報は非常に様々だ。
その中で、プロフィール画面はとりわけギルドの受付作業を効率よく進めてくれるものだった。
【SYSTEM >> OPTION >> PROFILE】
>> 名前:リオン
>> 年齢:17
>> 性別:男
アズクリッドは相手のシステムウィンドウからデータをコピーしていく。
「……?」
作業の途中、ほんの一瞬だけ手を止める。
それは誰にも感づかれない程度のささやかな動揺である。アズクリッドは横眼でちらりと、可愛らしい冒険者志望の少女――否、少年のことを再確認していた。
システムに基づいたプロフィール画面に嘘や偽りはありえない。
性別に【男】とある以上、見た目がどれだけアレだろうとそちらを信じなければいけない。
確かに、スカートを履いているわけでもなければ化粧をしているわけでもない。最大の原因は器量の良さであるけれど、優しい物腰や鈴を転がすような声色も相まって、本人にその気はないだろうに騙されてしまった。
少女ではなく、少年、リオンである。
よくよく見れば、まあ、ちゃんと男にも――。
いや、見えない。
無理だ。
見た目は、これ、女の子でしかない。
アズクリッドは無表情のまま、心の内でため息をもらした。
>> 出身:イシャンテ
さて、気を取り直して次の項目に向かおうとしたアズクリッドだが――。
「イシャンテ?」
聞き慣れない地名に、再び手が止まってしまった。
ロウシャンは自由都市である。どこの国家や組織にも属さない交易の中心地で、あらゆる民族や種族が行き交う。ギルドの受付嬢をやっていれば、当然ながら世界中の国や地域の名に詳しくなる。
それなのに、アズクリッドはイシャンテという名前にまったく聞き覚えがない。
「あ、あの、すみません。イシャンテというのは生まれた所なんですが、ボクもよく知らないんです。もしかして、何か問題がありますか? 物心つく前にこちらの大陸に移って来て、これまで暮らしていたのもロウシャンからそう遠くない村の――」
少年が口にした村の名はアズクリッドもよく知っているものだ。
「いえ、わかりました。特に問題ありません」
世界が狭くなったと云われることも多い時代であるけれど、知らない事だって当たり前に存在する。少年の生まれ故郷が何処にあるのか、アズクリッドには想像も付かないけれど、たぶん世界の果てにそんな街か村が存在するのだろう。
ひとまず、プロフィール画面のコピー作業が終了する。
「冒険者を志望される理由は?」
これは全員に行っている問いかけだった。
アズクリッドは特に意識することもなく尋ねた。
「ボクは、他に何もできそうにないので……」
リオンは表情を曇らせた。
隠し切れない感情の色を見て、アズクリッドは『おや?』と疑問を持つ。
冒険者は若者に人気のある生き方である。特に、一攫千金の夢を追い求めるような若者には。
ギルドが管理するクエストの中には、運が良ければレアリティの高い装備を報酬として得られるものもある。レアの装備をいくつかゲットすればひと月は余裕をもって暮らしていける。SSレアを手に入れようものなら、それだけで一気に金持ちの仲間入りだ。
伝説や神話の類になるが、レジェンドという最上位のレアリティも存在する。
レジェンドの装備は金銭では計り得ない価値を持つ。歴史上でわずかに十二個しか発見されていないため、大半は国宝に指定されていたり、教会の下で厳重に管理されていたりする。レジェンド級のアイテムを入手するという奇跡を起こした場合、歴史に名が刻まれることになるだろう。
何にしろ、若者の大半はそうした夢を求めて冒険者になる。
「他に何もできないから、冒険者ですか……。貴殿ぐらいの年齢では珍しく、とても消極的な志望理由ですね。それが悪いとは云いませんが、ええ……。前職を望まぬ形で失った中年男性が、『その道一筋でやってきた私には他に何の取り柄もない。妻と子を養うためにはもう冒険者になるぐらいしか道はないんです。うわーん』と、滑稽なぐらい悲劇的にやって来るのはそう珍しくありません。貴殿の態度はそうしたおっさんに似ています」
アズクリッドは容赦なくズバズバとリオンの心を攻撃していた。
さすがに、リオンも目を丸くする。
「おっさん……」
見た目には、可憐な少女にしか見えない少年である。
おっさんと同列に扱われるのは初めてだろう。
しかし、怒った様子はない。リオンはただ苦笑する。
「冒険者って格好いいな、とは思っていますよ。だから、ここに来ました」
「左様ですか。しかし、貴殿は上を目指すわけではないと?」
「はい。ボクにはそんな能力はありません」
堂々と情けないことを云うものだ。アズクリッドは呆れるのではなく感心してしまう。
ギルドには一般人からの依頼もたくさん持ち込まれる。農作物を荒らすモンスターの駆除や夜間警邏の応援など、冒険者の戦闘能力に期待するクエストはもちろん多い。その一方で、迷い猫探し、引っ越しの手伝い、手紙の配達、そうした特別な能力やスキルを必要としないクエストも多数存在している。
ランクが低い冒険者は、そうした簡単なクエストしか受けられない。
ただの便利屋に過ぎない扱いを嫌う者もいるが、とにかく生きていかなければいけない者にとっては、冒険者という職業は最後の砦にもなり得るのだ。そして、リオンという少年はそちらを望んでいるらしい。
どうにも違和感ばかりだ。
アズクリッドは細い目をさらに細めた。
リオンの恰好や雰囲気は、まさに田舎から夢を抱いて上京してきた未熟な若者そのものだ。しかし、口にする言葉は世知辛く、現実という沼に膝まで埋まっている。
妙に、興味を惹かれる。不思議な少年である。
しかし、これ以上の詮索は業務上必要がないのも事実だった。
「まあ、いいでしょう。必要な所は確認できました。それでは、次にステータス画面を表示してください。ご存知かも知れませんが、ステータスはプライバシー保護の観点で近年は最重要の項目となっています。ギルドでも厳密に情報管理し、漏洩のなきよう――」
創造主を信仰の対象とする世界的組織【教会】は、最近何かと個人情報の取り扱いに関してうるさい。ギルドでもここ最近は冒険者に対し、『ギルドはちゃんとやっていますよ』『大丈夫ですよ、流出させませんよ』とアピールすることに余念がなかった。
アズクリッドが一通りの説明を終えると、リオンはなぜかそわそわし始める。
「どうされましたか? ステータス画面を――」
「はい。……わかっています。はい……」
なぜか、消え入りそうな声である。まるで己の秘めた罪を告白するかのような調子だ。
リオンはゆっくりとウィンドウに指を伸ばした。撫でる仕草で、次のページに表示を切り替える。
鮮やかな光と共に浮かび上がる【ステータス】。
システムという神さまは人間を数字だけで語ってみせる。腕力や素早さ、魔力、運の良さ――その人がどんな人物であるのか、システムは本人以上に知り尽くしていた。ステータス画面を見れば、冒険者としての将来性は一目瞭然であるし、これまでどんな経験を積んできたかもある程度は推測できる。
アズクリッドはリオンのステータス画面をのぞき込む。
「……」
最初は、沈黙。
「……はい?」
次には、疑問の声。
そうして、最後には――。
「はあああぁあぁぁあぁあ!?」
アズクリッドは絶叫した。
それは、信じられないものを見てしまった悲鳴に近かった。