6、ヒーローイエローは、気づかない
逃げないと言っても青柳くんは離してくれず、私をズルズル引きずっていく。ヒーロー契約の時に連絡先と住所はそれぞれ覚えさせられたので(プライバシーの侵害を訴えても特殊な仕事といわれればそれまで)、彼は迷わず我が家の方向へ進んでいく。
ムスッとした顔で。その顔をしたいのは私の方だ。次に黒森先輩と会う時どんな顔をすればいいんだ。青柳くんと帰ったことに関してどう言い訳をすればいいんだ。
「なんで皆、私の邪魔するの? 私生活まで口出しされる筋合いはないよ。青柳くんにも」
「筋合いならある」
立ち止まった青柳くんは上から私を見降ろす。口をへの字にして不機嫌そうに。
「俺は久坂を友達だと……、いや、友達じゃ……、友……今のところ、友達だと思ってる」
「私も青柳くんのこと、良い友達だと思ってるよ」
いや、思ってたよ。今はすごく恨めしい。せっかく、私の勝手を黒森先輩が補ってくれようとしたのに。
しかも私が友達だと思っているといったら青柳くんは嫌そうな顔をする。なんだこいつは。自分で言っておいて。
「……黒森先輩が好きなんだろ」
「好きだよ」
「……もっと濁すかと思った」
だって今更隠すことじゃない。本人以外にはバレバレだし、ばれたってどうってことない。人づてに私の気持ちが伝わっても黒森先輩がプラン変更して告白を適当にすることはないだろう。ここまで苦労してきているのだから。
青柳くんはグッと眉間に皺を寄せて俯く。
「でも、あいつは敵だ」
「敵って言っても、家の手伝いとしてやむなくって様子じゃない」
「久坂にあいつは向いてない。それにあいつはお前を駄目にしてる。黒森先輩自身は積極的に悪の組織に加担していなくても、他の連中はそれなりに本気に世界征服を企んで攻撃的だ。連中は立派な悪党なんだぞ」
でも無断欠勤で黒森先輩にシフトを交代してもらうような人たちだ。聞けばバイトやパートさんばかりだし。
私の思考を察したのか青柳くんは溜息をつく。
「他の三人より、久坂は明らかに真面目だ。けど黒森先輩が絡んだ途端気が緩んでる。欠勤で黒森先輩に代打をさせているのは幹部のごく一部なことも本当は気づいてるんだろう?」
ぐっと言葉につまる。
たしかに、仮面をつけて口数が過剰に多くなる黒森先輩の台詞から、黒森先輩の緊急出動はほとんどが子持ちの主婦パート幹部さんの代打。先輩、子持ち主婦パート、英子ちゃんと、他に幹部は二人確認している(二人のうち一人はおそらく英子ちゃんの元家庭教師)。この二人はそれなりに本気の攻撃をしかけて来るし、こちらが大きな損害を被る戦いもあった。もっとも、真面目な二人の幹部は出現数が少ないので時々危機感を失ってしまう。
つまり根っからの悪人でない黒森先輩が所属しているからといって悪の組織も能天気組織ではない。実家が悪の組織というのは楽観的になっていい問題ではない。
「あいつのどこがいいんだ? お前の友達まで悪の道に引っ張りこむような奴だぞ。あんな奴、お前にふさわしくない」
シルクハットが先輩だと気づくからには、私としょっちゅう一緒にいて、しかも美人の英子ちゃんにも気づいていて当然か。でも英子ちゃんは引っ張りこまれたんじゃなくて自分で飛び込んだんだよ。この辺りは恋する乙女の秘密保護法で口にはチャックを致しますが。
ぐっと青柳くんを睨み返す。
「そんなの、青柳くんに言われることじゃない」
「傷つくのはお前なんだぞ。俺たちはどちらかが壊滅するまで戦うんだ。俺は、お前が悲しむところを見たくない」
正論だ。言い返せなくてまた言葉につまる。今は私の正体に気付いていなくても、このまま戦い続ければいつか必ず正体がばれる。決着がつく時。もしばれる前に戦いが終わっても、戦いが終わるということはどちらかが姿を消すことになる。
長い目で見れば、私と先輩がうまく幸せになれるビジョンが浮かばない。
「でも、好きなんだよ。ずっと好きなんだよ」
初めからじゃなかった。ちょっとした切っ掛けで意識して、目で追って、やきもきして、浮かれたり落ち込んだりしながら、もうずっと黒森先輩のことが好きなのに。
黒森先輩のご両親は将来とか結婚とか、高校生には重すぎるほど重い話を本気でするけれどそれが嫌じゃないくらいには好きだ。ずっと一緒にいたいって、この気持ちが変わらないことに胸をはれるくらいには好きだ。
それなのに今更、どう頑張ってもずっと一緒にはいられないなんてそんな現実を受け入れられるはずがない。
「ずっと一緒にいたいって夢をみるのはそんなにいけないことなの?」
きっと方法があるだろうからって、問題を先送りにして目先の幸せを掴むことばかり考えるのはいけないことなの? まだ高校生なのに。同級生は来年の受験に受かるか落ちるかの心配も遠い未来のこととして考えないように今を楽しんでる。
私はいつ終わるかわからない戦いの結末を心配して、今を楽しむこともしたらいけないの? 不公平だ。なりたくてなったヒーローじゃないのに。
「世界平和なんて、どうでも……っ、どうでもよくはないけど……っ、うっ……、うぅっ」
どうでもいいって切り捨てられない自分も腹立たしい。不本意でも守る力が与えられたからには平和が失われるのを見過ごす勇気はない。だけど自分の心を殺せるほど強くもない。私だって自分勝手なことを考える。自分が幸せならそれでいいと思いそうになることもある。
ボタボタ涙を溢したら、青柳くんは未だかつて見たことがないほどの慌てようで視線を泳がせたりハンカチとティッシュを出したり、肩をさすってくれたり。
「悪い……。泣かせたかったわけじゃない」
「……うん」
それはもうわかった。ド正論だし、私が泣いてそこまで心配そうにされたら悪意があったわけでなく本当に心配してそうしてくれたのはわかった。
だとしても脅迫されたことはムカつくししばらく根に持つ。
「久坂、俺はお前を泣かせない」
「え? 青柳くん……、本当? 本当の本当?」
まっすぐ見つめて来る青柳くんは意気込んだように力強く頷き、照れたように少し赤くなっている。
ブワッとまた涙が流れる。
「ありがとう……! 本当にありがとう! すごく嬉しい。私、仲間に青柳くんがいてくれて本当によかった。とっても嬉しい……!」
「え、あ、ああ……。いいのか? 随分あっさり……」
感無量で目元は大洪水だ。でも嬉しいので口の端が上がる。情けない顔だろう。今は鏡をみたくない。
青柳くんの手を掴んで、ありがとう、ありがとう、と上下に降りまわす。
青柳くんも珍しくニコニコ笑顔で、うんうん、と頷いている。
「青柳くんこそ、いいのね? 本当に付き合ってくれるのね?」
「ああ。勿論。これからよろし」
「あ、ごめん電話」
青柳くんと握手をしたまま応答するとお母さん。まだ遊んでるのかと訊かれたので今帰り道だと答えると丁度よかったじゃあ牛乳を買って至急帰宅せよ、と。
クリームシチューを作るのに牛乳を買い忘れるちょっぴりお茶目な母だ。
「ごめん。これからは無理だ。買い物頼まれちゃった。また後日付き合ってもらってもいいかな。ヒーロー基地本部の会議室でいい?」
「は……、会議室……?」
ご親切にありがとう。と頭を下げる。
「戦いが終わっても黒森先輩の傍にいる方法を一緒に考えてくれるんだよね? 泣かせないって、泣かない方法を考えてくれるってことでしょう? こんな私の我が儘に付き合ってくれるなんて、感謝してもし足りないよ」
ふさわしくない、なんて言うから一時はどうなることかと。そういえばボンボンは嫌いだって言っていたから黒森先輩と相性は悪いんだろう。でも私と青柳くんは友達だし、最初から協力してくれるという話だったのか。
「でも青柳くん、言い方が遠まわしで一瞬告白されたのかと身の程知らずな勘違いをしてしまったよ。お恥ずかしい」
お前を泣かせないなんてどこの少女漫画だ。うっかりきゅんとしてしまったわ。仕方ない。浮気じゃない。こんなイケメンに言われたら誰でも「ワオ!」となる。
あれあれあれー? こんなに間に入ろうとするなんて青柳くんは私のこと好きなんじゃないのー? 他のヒーロー仲間より私に優しいし、黒森先輩にあたりが強いのも私のことが好きだから? こりゃあ完全に私のこと好きでしょ。こりゃ完全に告白されてるでしょ。
なんて思って青柳くんの顔を見たらヒュッとした。
身の程知らずなことを考えてごめんなさいと。
私だってぼやけた顔なだけでブスってほどじゃない。性格だって良くはないけど悪くもない。男の子に告白されたこともなくはない。押せば行けそうな丁度良い顔なんだろう。
でもこれはない。こんな男前に惚れられる長所は残念ながらない。
こんなことを言うと私をデートに誘う黒森先輩が大した男前じゃないみたいな言い方になるけど、先輩には必死にアピールしてきたのだからその分何割か増しで私が良い女に見えている……はず。アピールもせず寸胴スタイル丸出しヒーロースーツ姿を披露しているのに青柳くんレベルのとんでもない男に惚れられるわけがない。
顔を合わせると頭は一気に冷静になっていった。
「久坂、お前は多分、黒森先輩がというより恋愛そのものが向いてない」
「そうかな。そうかも。あんまり経験ないから。でも頑張るよ。青柳くんも協力してくれるって言うし、ヤケにならずヒーローも恋愛もちゃんとする! 真面目くらいしか取り柄ないもん」
「協力するなんて言っ」
「青柳くんのおかげで何だかふっ切れた気がする! いつも助けられてばっかりだね。ヒーローを始めたのは自分の意思じゃないけど、これが切っ掛けで青柳くんと友達になれて本当によかった。青柳くんが仲間でよかった。青柳くんはヒーロー活動の中で心の支えだよ」
「……あ、そ……」
牛乳買いに行くから青柳くんももう気にせず帰って大丈夫だよ。またね。
手をふったら一度こっくり頷いた青柳くんは来た道を一人戻っていった。
***
夕飯が終わり、家族皆でリビングでダラダラしていると家の電話に出たお父さんが棒立ちになって動かない。今日は大好物のクリームシチューでご機嫌だったのに、今は青い顔で私を見ている。
「朱里じゃなくて希依に? え? ごめんね、今日はもう寝ちゃったんだ」
「起きてるよ! 起きてるじゃん! 何、誰? 変わってよ」
「え? 声が聞こえたって? いやいや今のは寝言だよ」
「こんな辻褄のあった寝言言わないから」
受話器を持って粘るお父さんをおしりアタックしてどかす。
『キエちゃん? ごめんね、何度も』
黒森先輩が遠慮した声でおずおず私を呼んでいる。見えないのはわかっているけれど、ううん、と言いながら首をブンブン横にふる。
今日は本当にすみませんでした。という電話を夕飯前にした後、私が落ち込まないように先輩が他愛ない話をふって大変和んだのだが。まだ何か残っていたらしい。
どうして家の電話に、と訊くと、私のスマホにかけても出なかったので、と。探したらお兄ちゃんのおしりに敷かれていた。いい加減マジで制裁を下さなければいかん。点数が悪くて隠してある小テストをお母さんに提出してやろうか。
「先輩の声がたくさん聞けて嬉しいから、いいんです」
『ええ? 俺の声なんて大したものじゃないよ……。キエちゃんの声は可愛いよ。電話越しでも直接でも』
「そんなことないですよ、恥ずかしい……。あ、ちょっとごめんなさい。お父さん何してるの。テレビ見たら?」
電話する私の後ろをうろうろするお父さんをまたおしりアタックする。ほら、お父さんの好きな女優が出てるよ。早くリモコンを隠さないとお兄ちゃんに勝手にチャンネル変えられるよ。
『キエちゃん? 大丈夫』
「はい。大丈夫です。それで、ご用事があったんですか?」
訊くと急にどもる。うー、とか、あー、とか、言いにくいことなのか唸ってなかなか話が始まらない。こんなに焦らされるとこっちまでドキドキする。悪い意味で。
『答えたくなかったら答えなくてもいいんだ。俺はキエちゃんからしたらただのお兄さんの友達で、訊く資格も本当ならないわけだから。ただ気になって食欲も眠気もやる気もわかないから、その……。メールで訊くのも情けないし……』
「はい」
『青柳と、何かあったかなって。ごめん、女々しい質問して。青柳と帰る時、キエちゃんの様子がおかしかったから。いや、青柳が悪い奴じゃないのはわかってるんだ。でもキエちゃんの顔色が急に悪くなったからもしかしたらあの時』
鋭い。
先輩の想像通り、確かに脅されていた。
しかしそんなことを言えるはずがない。脅しの種がまず極秘事項。そして青柳くんとは和解済み。脅されたのはやっぱりまだムカつくけど。
「すみません。友達のことで青柳くんには相談にのってもらってたんです。さっきは、そのことについて話そうって青柳くんに提案されて。心配かけてごめんなさい」
半分は嘘じゃない。英子ちゃんのことだってどうにかしないといけない。事情を把握済みの青柳くんもそれを視野に入れてくれてはいるだろう。なんで悪の道に進んじゃったかなあ。相手が悪の組織でバイトをしているって時点で愛が覚めないもんかなあ。私が他人のこと言えないけど。
『……そっか』
「やきもち妬きました?」
今日約束を破った私が反省の色もなく軽口を叩くのはよくないけど。そうだったらいいなという気持ちが口を動かす。
『妬きました』
予想外にサラッと応えられてこっちが狼狽える。
「や、妬きましたか……」
『妬きましたよ。だから次こそは、二人でゆっくりしようね』
「うん……」
電話越しなのに私が照れていることを察したらしい黒森先輩はクスクス笑って「またね」と通話を切ってしまう。
アイロンをかけていたお母さんがニヤニヤして私を見ている。お兄ちゃんはテレビに釘付け。お父さんはソファから身を乗り出して私を凝視している。笑顔だけど目は笑っていない。
お兄ちゃん抜きで黒森先輩と私が家でレンタルの映画を見た日曜日、仕事が休みでその場にいたお父さんはその日以来黒森先輩の話題が出ると過剰に反応する。
「渉くんは朱里の友達だろう?」「希依ちゃんはお兄ちゃんの友達とも仲良くしてえらいなあ」「朱里は朱里、希依ちゃんは希依ちゃんのお友達と遊びなさい」
などなど。色々察している様子。男親なんてだいたいあんなもんよとお母さんの方は呆れている。小さい頃から息子の友達として接していたのに最近妙にお父さんの黒森先輩への接し方がよそよそしい。逆にお母さんは以前より明らかに馴れ馴れしい。
「最近、俺よりお前の方が渉と仲いいよな」
テレビに釘付けのお兄ちゃんから何となく出た一言に、お父さんが白目をむいた。