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5、ヒーローイエローは、ブルーに脅される

 怒鳴られた英子ちゃんは初出勤だけあって緊張しているのかわずかに後ずさりした。早くやめな。もっと健全なバイトをしな。引き返すなら今のうちだ。その組織は最近問題視されるブラックバイトってやつなんだから。

 いくら英子ちゃんのスタイルがよくたってその露出の多い衣装は今の時代コンプライアンス的にアウト。セクハラをナチュラルに受け入れたらいけないよ。


「大人しく飲食店とかスーパーの健全で善良なバイトをした方が良いよ。まだ間に合うよ。女の子がそんなおなかを冷やす恰好したら駄目だよ」

「うるさいわね寸胴女! 私は好きでやってるの! あなたに説教される筋合いないわよ!」

「ず……っ」


 そんな風に思われてたの? え? 英子ちゃん、ずっと私を寸胴だと思ってたの? というか私に気付いていない? 頻繁に夜まで長電話をしている私の声がわかってない? どっちだ。気づかず寸胴と言っているのか気づいたうえで言っているのか。どっちにしても大ダメージだ。

 なんなの今日。厄日か。私の人生今日より傷を負う日が今後あると思えない。あったら立ち直れない。今ですら膝を折りそうなのに。


「……さすがに……」


 ぽそっと何か言って、ブルーが私の肩に手を置き何やら励まそうとしている。寸胴と言われたのを気にするなってこと? それも気にしているけどそれだけじゃないんだ私のこの落ち込みは。

 念願のデートを中止にして、来て見たら妨害をしてきたのは親しい友人。戦いが終わって世界が平和になった頃、私個人の平和は守られているんだろうか。


「何ベソかいてんだよ。情緒不安定か。あれの日か?」

「うるさい。最悪。お兄ちゃん最低。クズ。グズ」


 だから本命じゃなくて浮気に使われるんだ馬鹿兄。どうしてこんなにデリカシーがないんだ。


「今日の相手は初陣のようだし、君は帰っていいぞ、イエロー。俺たちで何とかしよう。さすがに見ていられないぞ。休んだ方が良い。何があったかは知らないがお大事に」

「うん、うん、今日くらい何とかするから! イエローは休んだ方が良いよ。いつも頑張りすぎだよ。病は気からって言うし、お家に帰って寝た方が良いよ」


 グリーンとピンクすら心配してくれているということは今の私はそれだけ目に見えて落ち込んでいるということだ。それをうちの馬鹿は、「いいんだよ、どうせ大した理由もないんだから。おい、バイトだからって責任感のないことすんなよ」だと。普段のお前の遅刻理由よりはよっぽど深刻だ。マジで夜道の背後に気をつけろよ。無事家に帰ってからも油断するなよ。お前のエロ本の隠し場所をお母さんにリークしてやるからな。


「大丈夫。頑張る。頑張って早く終わらせて皆早く帰ろう」


 今戻ったってデートは中止になってしまったのだから意味はない。かくなる上は運命の非情な悪戯によるストレスを戦闘員たちにぶつけてやる。そうでもしないとやってられない。

 怒りのパワーのおかげで今日は倍速で戦闘員を片付けていく。司令塔がうまく機能していないおかげもある。シルクハットは司令塔をいてもいなくてもいいような役目と言っていたけれど不慣れな人がやると多少効率が落ちるようだ。

 英子ちゃんはあたふたしていたけれど、初陣なので今日は慣らしくらいのつもりで来たのだろう。「覚えてなさい!」という悪役御用達の捨て台詞を残してさっさと帰ってしまった。

 覚えてなさいったって、忘れたくても忘れられるわけないよ。

 メンバーはドロドロ三角関係の修羅場。悪の親玉は好きな人の親。好きな人は悪の幹部で、親しい友人はブラックバイトを始める。どいつもこいつも私の声には気づかない薄情さ。

 お祓いっていくら払えばやってもらえるんだろう。今月中には行けたらいいな。



***



 むかつく兄の顔は今日は見たくないので遠回りをして別の帰り道をとぼとぼ歩く。お腹のあたりがぐるぐるする。

 水族館。寸胴。マンボウ。ワンピース。ペンギン。デート。ブラックバイト。

 頭がうまく機能せず、単語だけがフワフワ流れていく。


「急用はすんだかな」

「……幻覚ですか?」

「触ってみる?」


 息を切らして私の前に現れた黒森先輩は苦笑して手を差し伸べてくれる。恐る恐る指でつつくと確かに触れる。


「あれから寄り道をして帰ってきたんだけど、キエちゃんを見つけたから追いかけてきたんだ」


 つついていた指をきゅっと捕まえられる。


「ごめんなさい、今日……」

「そんな顔しない。また予定を立て直せばいいよ。俺はキエちゃんが悲しい顔をすることの方が嫌だな」


 いつも通りの優しい微笑みを見て涙が溢れてきた。約束を破られるより破る方が悔しくて情けなくて、苦しい。

 先輩も今までこんな気持ちだったのかもしれない。


「ごめんなさい……。凄く嬉しかったのに、私の都合で振り回して。朝先輩と歩くだけでも、とっても楽しかったんです。褒めてもらって、手をつないで、お喋りして、楽しくて、私はそんなに幸せにしてもらったのに」


 何も返せていない。私は先輩みたいに優しくないから普段不平不満を並べて、約束を破る先輩に冷たくあたることもあるのに。

 こういうことがヒーローを続ける限りこの先も起こり得る。シルクハットの先輩は私に愛想を尽かされるのではないかと嘆いているけれど、事情を知っている私から離れることはない。

 でも先輩は私がヒーローだと気づいていない。下手な言い訳を続けたら愛想を尽かされるのは私の方だ。


「そう言ってもらえるだけで充分だよ。そんな台詞勿体ないくらいだ」


 腕時計で時間を確認した黒森先輩は少し緊張した面持ちで提案してくれる。


「今から仕切り直しできないかな。もう三時だから水族館まで行くのは難しいけど。キエちゃんが疲れてるなら無理して今日じゃなくても」

「疲れてないです!」


 疲れなんて吹っ飛びます! むしろ今行かなかったら疲労が回復することはない。心の傷が癒えることもない。先一か月は立ち直れない。

 ほっとしたように微笑んだ先輩に私もほっとする。


「どこに行こうか。今からだとショッピングモールか喫茶店か……、キエちゃんは行きたいところある?」

「どこにも行きません」


 え? という顔をしたのは先輩も私も同じ。


「久坂はどこにも行きません。帰ります」


 声がしたのは私の真後ろ。

 どこにも行かないなんて私は言っていない。


「青柳くん……?」


 何で今ここにいるの? 青柳くんの家は学校を中心に考えるとうちとはまったく逆方向いだ。まあまあ遠い。うちの近所にいたらおかしい。

 それ以上に私の返事を青柳くんが勝手にするのはおかしい。

 黒森先輩は頬をヒクっとさせて私と青柳くんを交互に見る。


「帰るぞ、久坂」

「帰らないよ」

「帰るんだよ」


 踏ん張っても、男の子に腕を引っ張られたら簡単に引きずられてしまう。女の子相手なんだからもっと力を抜いてくれればいいのに、不機嫌そうな青柳くんはミシミシいうほど力をこめて腕を掴んでいる。

 青柳くんまで私の頭痛の原因になってしまうのか。まともな人だと思っていたのに。何をしたいのかわからない。


「帰らないって言ってるだろう。俺と彼女のことを青柳が決めるのはおかしいんじゃないか」


 睨む黒森先輩を青柳くんも睨み返している。


「言っておきますけど、先に俺の邪魔をしたのは黒森先輩ですよ」

「覚えがないな」

「だろうな。一生わからないと思いますよ。けど、あんたが久坂を幸せにできるほど大層な人間じゃないことくらい、そろそろ気付いた方が良い」


 口を挟もうにも二人の空気がピリピリしていて下手に入れない。


「行くぞ、久坂」

「い、行かない」

「そいつと行くのか?」

「そいつって、青柳くんの部活の先輩でしょ? 失礼だよ」


 耳元で、囁かれる。


「敵となれ合うのか?」


 ぎょっとして青柳くんがどんな顔をしているか確かめる。いつも通りの無表情。


「青柳くん、気付いてたの?」


 こっくり、青柳くんは頷く。

 これは私、どんな反応をすればいいんだ。やっぱりあんな仮面だけじゃ気づくよね。でも私以外誰も気づいた様子はなかった。青柳くんだって初めてシルクハットの幹部を見た時驚いた様子はなかった。

 皆、青柳くんも、ただ敵としてシルクハットと向き合っていたのに。

 黒森先輩は私たちのヒソヒソ話しが聞こえずもどかしそうにしている。


「そいつと行くなら、俺たちの正体をそいつにばらすかもしれない」

「脅してる? でも正体を誰かに明かすのは契約違反だよ」


 ヒーロー契約は破ったらそれなりの制裁を下すと事前に告げられた。それをわかった上でそんな脅しをしているのなら、どうしてそこまでして今、私の邪魔をするのか。


「お前がそいつについていかなければいい話だ」

「私は帰らないよ」

「それなら正体をばらす。制裁と言っても正義の元に動く組織だ。関係のない俺の家族や友人ではなく俺に直接下されるだろう。何てことない。もっとも、一年以上仲間をやってきた久坂の人柄を俺はだいたい把握している」


 だから大丈夫とでも言うのか。邪魔をする人にかける情けなんてない。ない、けど……。一年以上支えてくれた仲間を切り捨てればやはり寝覚めが悪い。

 無表情のくせに、青柳くんが勝ち誇った顔をしている気がする。


「黒森先輩、すみません。今日はやっぱり帰ります。……疲れちゃって」


 驚いて、寂しそうにして、でも笑って、仕方ないねと言う先輩に罪悪感でいっぱいになった。


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