4、ヒーローイエローは、連れ戻される
ワンピースを好む女は愛されたい願望があるらしいよ。
映画終わりのショッピング。私がワンピースを手に取ったのを見て英子ちゃんは楽しそうに笑って言った。
「ないことはないかなあ」
「それ着て青柳くんとデートするの?」
「しないよ。そういうんじゃないって」
良い友達だけどそういうんじゃなくて。理解者みたいなものだから。
でもこのワンピースを買うのはあり。デートに着て行くのもあり。青柳くん相手じゃないけど。いつできることやらわからないけど、今度こそ何度目かの正直で行けることを信じたい。来週の土曜、水族館。
「買うの? そのワンピース。いいじゃん、二〇パーセントオフだってよ」
ほぼ年中セールのあるお店だから二〇パーセントオフくらいだとありがたみがない。三〇パーセントオフなら迷わず買ったのに。
悩んで唸っていると、英子ちゃんは苦笑して別の色を私に合わせた。
「たまにはピンクとか白にしてみたら? 希依ちゃん昔っから黄色とか青とかばっかり着るじゃない? それも可愛いけど、せっかく女の子なんだから」
と言う英子ちゃんは黒や赤のセクシーな格好が多い。背が高くて胸も大きくて、さらさらショートヘアの美人な英子ちゃん。自分に似合う服をわかって着ている。
でもね英子ちゃん、私もわかってるんだ。自分に似合う服が。
「そういう可愛い服は私っぽくない気がするんだよね」
ピンクが似合うのはヒーローでもピンクをあてられた桃子ちゃんのようなふわふわぽわぽわ、小動物っぽい小柄で華奢な女の子で、私はボヤっとした顔のイエローなのだ。黄色を着るとしっくりくる。
ヒーロースーツの真っ黄色はよく虫がつくから嫌だけど、ピンクという柄じゃないからピンクでないのはまだ救い。
「そんなことないわよ! 絶対可愛いから! ね、ね」
白地にピンクの花柄ワンピースを私に押し付けた英子ちゃんは試着を強要してくる。
「青柳くんは一端置いといてさ、天文部の部長してる人でしょ? ワンピースを見せたいの。心配しなくても私の見立てなんだから、絶対似合うわよ。キュンキュンさせてやろうよ」
「う……ぬぅん……」
中学から一番の仲良しの英子ちゃんは何となく私の好きな人に察しがついていても不思議じゃない。というか私も明言しなくても隠してはいないので普通気づかれる。気づかないのは馬鹿兄くらいだ。
英子ちゃんだって昔からそれとなく背中を押してくれたり、気を遣って私と先輩を二人きりにしてくれたり、それはもうお世話をしてくれている。
「希依ちゃんてば、見てるこっちがもどかしいのよね」
試着室の外から英子ちゃんのため息が聞こえる。
私ももどかしいよ。
「自覚はあるんだけどね……。英子ちゃんはどうなの? 好きな人いないの?」
「いるわよ」
「いるの!?」
初耳だ。
え? そんな話、全然されていない。相談するに値しないのか、私。しないか。こんなに長々と進展しない恋愛をしてるんだから。できるアドバイスなんて何もない。
驚きを隠さない私に英子ちゃんは、明るくアハハと笑う。
「すっごく最近できたの。これから相談しようと思ってたの! その……、受験の時に家庭教師をしてくれた大学生の先生に先週再会してね。電気屋さんで偶然」
「ああ、それは聞いたことあるね」
再会したことは今初めて聞いたけど。英子ちゃんがその家庭教師に淡い恋心を抱いていたのは知っている。バレンタインに悩んでいたし、家庭教師最終日には落ち込んでいた。結局憧れが強すぎて具体的な行動や告白はしなかったらしいけれど、受験後は合格したのにしばらく落ち込んでいた。
「え? え? もしかしてもう付き合ったり……」
「まさかあ! でもせっかく再会できたのにこれで終わりたくない! と思って、バイトを探してるって話したの。紹介してもらえませんかって。探してるのは嘘じゃないし、同じバイトをすれば先生とつながれるから」
なるほど、かしこい。大学生なら高確率でバイトをしているだろう。持ち時間の半分をバイトに費やしていてもおかしくない。そこに一緒に通えばお近づきにもなりやすい。
英子ちゃんは無事採用され、来週が初出勤らしい。
「家庭教師って高校生でもできるの?」
「家庭教師のバイトはもう辞めたんだって。だから別のバイト」
「そっか。何の」
「あ、着替え終わった?」
「え? あ、うん」
カーテンが勢いよく開く。英子ちゃんは満足そうに頬に手をあてて微笑んだ。
「やっぱりね。すっごく可愛い」
「そうかな……」
自分ではあまりわからないけど、英子ちゃんがあんまりにも褒めてくれるので満更でもなくなってきた。二〇パーセントオフだし、よし、買う。
「買うの? うんうん。これであの先輩を骨抜きにしてやれ!」
骨抜きになるかな。いやでも、顔を隠している時の先輩だったら自分に自信のない私でも骨抜きにできる自信がある。
「うん。英子ちゃんも頑張ってね。先生のこと」
***
ワンピースの袋を下げて帰ると、家の前で呼び止められた。のほほんとした女の人の優しい声。
「おばさん。こんにちは」
ご近所の黒森さんの奥さん。黒森先輩のお母さん。
「こんにちは。希依ちゃん、最近うちに遊びに来てくれなくておばさん寂しいわ。いつでも来てね。毎日来てもいいのよ? うちに住んじゃってもいいくらいよ? うちの渉とどうかしら、そろそろお嫁さんになる話とかしてるかしら。ほらあ、黒森希依って名前になったらかっこよくない? 久坂希依もいいけど、黒森希依もよくないかしら?」
だんだん前のめりになってくるおばさんに私はだんだん体をそらせる形になる。彼女でもないのにお嫁さんになる話はしていません。おばさん、相変わらずのほほんとしているけど言葉は重い。
おばさんは料理上手で天然さんで、趣味はお菓子作りと洋服づくり。お伽噺に出て来る優しいお母さん像そのもので、先輩の優しく穏やかなところはお母さんそっくりだ。……と、思っていたのだが。
悪の組織は黒森先輩の家業。
おばさんも、悪の組織の一味だとするなら、こんな可愛いママさんが世界征服を企てていることになる。
信じたくない。
「えっと、黒も……渉くんとはお付き合いしていないので、あんまりほいほい彼女でもない女がお宅のお邪魔するのは申し訳なくて……」
おばさんが、私の顔を寂しそうな顔でじーっと見て来る。
「希依ちゃん、もしかして渉のこと苗字で呼んでるの? 小さい頃は渉くんって呼んでたじゃない。水臭いわ。悲しいわ。今のうちに名前で呼ぶようにしないと将来面倒くさいわよ、自分も黒森になるんだから。あ、ううん。いいのよ、おばさん、今時後継云々言わないから渉を婿に出すんでもいいのよ。でもそしたら渉は黒森じゃなくなるでしょう? そしたら結局黒森で呼ぶわけにはいかないから、ほら、ね?」
ね? じゃないです。重すぎて胃もたれする。
もっと冗談めかして言ってくれれば違ったけれど、おばさんはいたって真剣な顔でそんな話をするのだ。
婿に出していいんですか? 悪の組織は世襲制じゃないのか?
「ハッ! もしかして希依ちゃん、他に良い人がいるの? そ、そ、それ、お洋服? もしかしてデート用……? もうお付き合いしてるの……?」
今にも泣きだしそうなおばさんに違います! 違います! と否定する。
「これは土曜日に黒森先輩と……あ、いや、えっと……」
親にデートがばれるなんて息子にしたら嫌かもしれない。うちのお兄ちゃんは家族にまで自慢するけど、私は絶対デートなんて家族に報告しない。ばれたくない。冷やかされるから。家の居心地が悪くなるから。
しかし時すでに遅し。
私の言いかけの言葉をおばさんは目を輝かせて待っている。
「水族館に……行く……約束を……その日に着ようかと……」
「そーなのー!? 本当の本当の本当に!? やぁだー! いつの間にデートする仲になってたの? お泊り? お泊りデート? いやん、もう、希依ちゃんのパパとママにはおばさんから誤魔化しとくわね」
「日帰りです! ご心配なく、日帰りですから!」
それに……、と、今までのことを思いだす。
「渉くんのアルバイトが人手不足みたいで、もしかしたら今週の土曜日も、急遽バイトが入るかもしれませんから」
「大丈夫よ。最近新しい子を入れたから。土曜日は渉を呼び出さないように主人にもよく言って……あ、やだ、えっと、ええっと、主人にもバイト先の店長さんによく言ってもらうから!」
おばさん……。やっぱりおばさんも旦那さんが親玉なのを知っているのですね。一味なのですね。
いやしかし、おばさんもおじさんも私に協力的ならもしかして最初からデートがあることを匂わせればよかったのか?
今回は、今回こそはできるかもしれない、デート。しかも妥協一切なしの水族館デート!
***
「おはよう。今日はいつもと雰囲気が違うね?」
英子ちゃんと買ったワンピースを着て待ち合わせ場所に行くと、何だか先に待っていて黒森先輩が三割増しかっこよく見えた。理由はわかっている。緊張して私の目にフィルターがかかっているからだ。
今まで約束の日が近づいてもどうせ不発だろうという気持ちでたから(実際不発だった)、ご両親が先輩を呼び出さない確信のある今日は前日も緊張で眠れなかった。
付き合いは長いのに二人きりで出かけるのは初めてというのも冷静に考えると不思議だ。
「変ですか」
過去最高に力をそそいでしたおしゃれは空まわっていないか不安なところ。
「可愛いよ。いつも可愛いけど」
「吐きそう」
「え!? 大丈夫!?」
嬉しすぎて吐きそう。
そうだ、こういうことがしたかった。こういう普通のカップルっぽい雰囲気が欲しかった。はっちゃけている黒森先輩のえらい恥ずかしい発言とは全然違う。面と向かって直接向けられる褒め言葉のかくも凄まじい破壊力。
「手、つないでもらえたら大丈夫です」
「それなら、いくらでも」
微笑んで手をつないでくれた黒森先輩は少し照れた様子で頬をかく。
「ううぅぅっ……!」
「キエちゃん!? 泣いてる?」
泣きたくもなるでしょうが。今までどんだけ不発だったか忘れたんですか。手を繋いだだけで顔面が爆発しそうなほど感動するほど焦らされてきたんだから。
もう叫びたい。仮面をした時の誰かさんじゃないけど「大好きだ!」って叫びたい。
「嬉し泣きですから。心配しないでください」
「そっか。ごめんね、俺がさんざん約束を破ったばかりに」
そうですね。
そんなことないですよって言えないくらいには今までやらかしてくれましたね。
「行こうか。今まで迷惑かけた分を返上できるようにキエちゃんを楽しませるから」
「自分でハードル上げて大丈夫ですか?」
「うん。じゃないとキエちゃんに愛想つかされかねないよね」
先輩は意気込んで、絶対楽しませるぞ! と拳を高々上げるけれど、何が起きても全部最高に楽しいし幸せに決まっている。だってデートを迎えられたというだけで天にも昇る気持ちなんだから。
ペンギンショー、イルカショー、アシカショー、キエちゃんはマンボウが好きなんだっけ。ラッコも見ようね。ドクターフィッシュなんてのもいるらしいよ。ヒトデにも触ろうね、ナマコは平気?
水族館につく前から今日の予定を話す先輩を見るだけで幸せなんだから。
幸せすぎる。これは夢じゃなかろうか。
「入場券買ってくるからちょっと待っててね」
「でもお金」
「いいから」
やりとりがカップルっぽい。あとで飲み物は私が買って、「入場券は出してもらったんだから」っていうカップルっぽいやりとりが再び繰り広げられるんだ。最高。
夢じゃなかろうか。
列に並ぶ黒森先輩に穴を開ける勢いで視線を送り続けていると、スマホが鳴った。
メッセージを開く。
『怪人出現。ヒーロー出動』
すべてが儚い夢と化した瞬間だった。
***
「うぇっ、うっ、うっ、ヒック、う、うぅ……っ」
「どうしたのイエロー!? え、大丈夫? 何で泣いてるの?」
「大、丈夫、じゃ、ないぃぃ……っ」
ヒーロースーツで現場に駆け付けた私にギョッとしたピンクが駆け寄ってくる。今、ヘルメットの中は泣いたことにより発された熱と涙のせいでムシムシしている。
過去最高におしゃれをした日は過去最高に最悪の日になった。
盲点だった。いや冷静に考えればこういう事態は十分にありえたけども。毎度毎度デートの日は狙ったかのように黒森先輩が司令塔になっていた。
黒森夫人の台詞を思い出す。『新しい子を入れたから』。フラグだった。
私がドタキャンをする可能性だって十分にあったのだ。むしろここまで私がする側になっていないのが奇跡みたいなものだった。
「今日だけでいい。今日だけでいいから……っ、帰らせてぐだざい……!」
今ならまだデートに戻れるから……! 急用ができたと言った私に苦笑して仕方ないねと言う先輩の顔が頭から離れない。戦う気分になれない帰りたい今すぐ帰りたい。
おばさんのおかげで今日は黒森先輩の出動が絶対にない確信を得られたのに。英子ちゃんと服も選んで前日にはおしゃれの相談もしたのに。
ごめんなさいおばさん。息子さんを傷つけて。
ごめんなさい英子ちゃん。応援してくれたのに。
「アーハッハッハッ! はじめましてね、ヒーロー!」
ビルの上から人がジャンプして着地する。
黒の面積が少ないセクシーなへそ出し衣装、真っ赤なリップ、顔はシルクハットの人と同じく目元しか隠さないマスクをした悪の幹部。
最近はシルクハットばかりだったけれど、他にも戦った幹部は三人ほどいる。しかしその三人の誰とも違う。はじめましてと本人が言う通り初見だ。
待て。
待て待て待て。待って。待ってください。
「私の名前はレディ・エース! どうぞよろしく」
「何してるのっ!?」
色気ムンムンの新幹部に怒鳴りつける。
何、その姿。何、レディ・エースって。
「もっと健全で善良なバイトをしてよ! 応援できないわ!」
何してるの、英子ちゃん。
エーコだから? エーコだからエーをとってレディ・エースなの? 何一つ面白くないよ。うまいこと言えてないよ。英子ちゃん、あなたに妨害される日がくるなんて思っていませんでした。それから、私も人のことを言えないけど悪の組織でバイトをするような男からは即刻手を引いた方がいい。一緒に悪の道に進むなんて間違ってるよ。