29 一応の解決
「ちょっと待ってください!」
制止の声を割れんばかりに張り上げたのは、ブロッサムだった。
その後ろから、ナンリが付き添っていたが、それだけ。手伝いどころか大々的に動いたはずの《嘲笑う鬼火》の面々は、影も形もない。
それは、そうだろう。
最後に花を持たせてやろう。そう考えるのは、普通の事だ。
「『おやおや、君らは確か、今回の発端になってくれた小娘開拓者ではないか……ふひひ、この契約に異議でもあるのかね』」
そんな二人の少女の必死な表情も、カネンリにとっては勝利を彩る飾り程度の認識しかない。
話は部下から聞いていた。何とか【喫茶・メイド亭】を手放さないように必死に努力していたという事を。
だが、それも全て無駄だった。
実際事ここに至ってしまえば、彼女達の功が報われる事はない。
それこそ、都合の良い証拠などが見つからない限りは――、
「――異議、当然あるに決まっています」
装備を変える余裕すらなかったブロッサムは見るにも耐えない姿をしていたが、それでもその足取りはしっかりしていた。
アースがどこか申し訳なさそうに口を開く暇すら与えず、つかつかと会談の席の中央に陣取る。
予想外に現れた、第三者の位置。敢えてそこに、ブロッサムは立ったのだ。
「ですが、その前にこの書類を見ていただけますか?」
ポップした画面を操作し、机の上から重々しい音と共にそれは現出した。
それは、大量の紙束だった。あまりにも多過ぎるせいで、散らばる事もなく、鈍器にも似た響きで机の上に置かれたのだ。
「『ひひ、何かと思えば紙ですかな。上質な物のように見えますが、こんなものでは、私の指先すら切り裂く事は出来ますまい』」
カネンリの挑発の言葉にも、ブロッサムはどこか勝気に微笑む。
「ご心配なく、私にはそんな切り裂く事なんて出来ません。
私はどちらかと言えば、ぶっ叩くくらいしか能がないんです」
その言葉を聞いていれば。机の下で微かに震える手を見れば、彼女のそれが演技だと分かるだろう。
論破されない方法、自分にでも出来る論述は即興で叩き込んで貰ったものの、どうあってもそれは付け焼き刃でしかない。
ブロッサムに出来る事は、自分でも言った通り。
根性丸出し、汚くても必死で争う事のみだった。
「だから、私にとって重要なのは、中身です。重みってやつです。
内容を見ていただければお分かりいただけるかと思います」
「『ひひひ、何を言い出すかと思えば。今更書類の一枚二枚でどうにかなるような話ではないだろうに』」
カネンリは嘲笑いながら、手近にあった紙を手に取る。
根回しはとうの昔に終わっている。ここで蹴った所で、この店は自分に屈する他道はない。この街を牛耳っていると言っても過言ではないカネンリの力ならば、それは可能だ。
多少汚い手を使って来たが、契約は契約。この街の商売人は、自分には逆らえないようになっているのだ。
どんなに抗おうと、状況は既にこちらに分がある。つまり、もう既に勝ったも同然。
そんな状況をひっくり返すなど、――と思っていた所で、手が止まった。
山のように積まれている紙は、ある種の契約書やそれに類する書類だったようだ。汚い手を中心にしているとは言え、彼も商売人。この程度の文章の速読は一瞬だ。
――そう、だから理解する。
これはもはや、自分を粉微塵にするに足るものだという事を。
「『……ま、待て、なんだ、』」
手が矢継ぎ早に次の書類を手に取る。
これも、
「『なんだこれは、』」
これも、
「『なぜなんだ、』」
これも、
「『何故これがこんなところに、』」
これも、
「『――貴様、一体何をした!!」
勢いよく机が叩かれると、感情がこもったものだっただろうか。その拳圧で、書類が捲き上る。
そこにある書類を見れば、知識のある者には分かるだろう。
借用書、人身売買を匂わせる契約、どう考えても法外な圧力を掛けられただろう事が分かる書類。
全てとは言えないだろう。カネンリは様々な悪事を行なっていた。これはほんの氷山の一角。
それでも十分彼の足元を崩す、威力を持ったものだ。
「――どうです? これが私のやり方です」
その手には、持っていないはずの戦鎚が見える。
いつも壁を壊し、前に突き進んで来た武器が見える。その攻撃は、今度は目に見えない、権力と圧力という壁をぶち壊したのだ。
「『くっ、こんなもの!!』」
何故、どうしてこんなものを、目の前の小娘が。
そんな事が脳裏の中で渦巻きながらも、カネンリの手はその書類をビリビリに破き始めた。
遅過ぎる証拠隠滅に、ブロッサムは鼻を鳴らす。
「無駄ですよ。この書類一群は、うちの知り合いに頼んで複製して貰ったものです。契約破棄に必要な原本は既に、書類に記されている人の元に届けられています。
――今頃、契約は破棄。あなたご自慢のコネクションは既に失われているでしょう」
――ブラフだ。
この書類を発見してここに来るまで、時間はそれほど経っていない。ギリギリ複製は出来たものの、まだ契約者の元に届いている筈もない。
しかし全てが嘘というわけでもない。
手配はもう終わっている。《嘲笑う鬼火》のコネクションを総動員し、測量士を中心に契約書は運ばれている。
さらに、その測量士の伝手を使って、既にカネンリの行いは暴露の準備が出来ている。
彼が終わっているのは、事実だった。
もっとも、あくまで自分のギルドの先輩達の功績なのだが、ここで謙遜を混じらせては敵に隙を見せる。
普段の彼女とは思えないほど堂々と、強い視線で彼を睨みつけた。
「『ど、どこまでワシを虚仮にすれば――!!』」
カネンリの言葉と共に、カネンリの後ろに控えていた護衛が剣に手をかける。
かけるだけで、正面からやって来た斧の風圧で吹き飛ばされた。
「『――ほ、』」
「――無茶してくれんじゃねぇか、新米。どうせ、あのお祭り騒ぎ連中が手を貸しんだろうがよぉ。
まあ、今回ばかりは礼を言わざるを得ないわなぁ」
間の抜けた声のすぐ後を追って、声が響く。
魔力のこもった声は、反響しない筈の室内で、いやに反響する。
拳が鳴る。関節がバキバキと、怒りに任せて威圧的に鳴らされる。その三白眼はもはや鏃にも似た鋭さを持ち、カネンリを威圧する。
……そう、人質という枷を無くし、周囲からの圧力という檻から解き放ち、おまけに守るモノに遠慮しなくても良い状況ならば、これほど怖い存在はいないだろう。
「おうおう、よぉくもオレらを脅してくれたなぁ、ア゛ァ゛!?」
《震動帝》アースと、その従者《メイド狂い》のクレミー。
【ファンタジア・ゲート】でも1、2を争う狂戦士なのだから。
「『ヒィッ!?』」
その威圧感に恐れをなしたのか、必死に椅子から転げ落ち、腰を抜かしながらも逃げる老人に、遠慮するような男ではない。
「〔――敵を動かぬ彫像にせよ、《コンスリーテッド・アース》!!〕」
触れた床、その下から泥が溢れ出し、蛇ような動きで一瞬にして、カネンリを搦めとる。
結果だけ見れば、あまりにも呆気なく、カネンリは奇妙なポーズを取った彫像にされ、その顔の部分だけ温情なのか、呼吸出来るように出ていた。
もっとも、それがより奇妙さに拍車をかけている訳だが。
――そんな姿を見て、フッと、ブロッサムの足から力が抜けた。
そのまま、床にへたり込んでしまう――そんな風に思った瞬間、誰かがその体を力一杯支えた。
成り行きを見守っていた、ナンリだ。
……背中越しで、視線が合う。
言葉など介さない。ただ安心しきった表情で、ブロッサムはナンリの体に身を任せた。
◆
「『これでメデタシメデタシ……なぁんて、ちょっと拍子抜けで甘い筋書き《シナリオ》だと思うんだけど」
【喫茶・メイド亭】の様子を伺える位置に経っていた少女が、どこか退屈そうに零す言葉に、黒尽くめの男――〝黒の猟団〟の幹部、ブロッサムと対峙した男は溜息を吐いた。
「『創造主とその欠片の意思だ。
ここで彼らに挫折されたら困る――何せ、彼らはお気に入りだからな』」
「『にしたって、こんなの拍子抜け。もっと苦難から乗り越える、逆境や後悔から立ち上がる姿こそ理想だと思ったけど』」
「『彼らは十分戦った。多少のご褒美は必要だろう』」
「『全く、αはプレイヤーに甘過ぎるわ』」
「『そういうβは、少々厳しいように思えるがね』」
男達の話す内容を気にかける人間はいない。かなり不穏な話をしているはずなのに、目の前を通る通行人は、NPCかプレイヤーに関係なく、彼らを気にしない。
そもそも存在しない風だが、それが当然と言わんばかりだ。
「『まぁ、先は長い。ここから嫌という程辛い冒険も、彼らには待ち受けているだろう――それを考えれば、嵐の前の静けささ』」
「『――まぁ、それもそうね。
ああ、楽しみだわ……彼らを絶望の底に突き落とすのが。いったいどんな泡を吐き出してくれるのかしら』」
その言葉を残して、少女は姿を消す。最初からいなかったかのように、その空間にはぽっかりと穴が空いている。
そこをじっと見つめると、男は嘆息した。
我らは傷つけるだけの存在ではない、我らは選別する者。それなのにあのような快楽主義者を作って、いったい創造主は何をお考えなのだろう。
……いいや、彼の考えを推測するなどと、無粋だ。
もう一度深く息を吸うと、男は視線を店に向けた。
アースに怒られ、クレミーに抱きしめられ、ナンリに羽交い締めされている彼女は困ったような顔をしているが、どこか幸せそうだ。
それが良い事なのか、今回の行動が彼女の今後にどのような影響を与えるのか……それは、これから次第だ。
「『勇ありし少女、俺に見せてくれ――本物の人間の輝きを』」
それだけを言うと、男もまた少女と同じく消え去る。
そこには、もはや何も残らない。
遅れて申し訳ありません&お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月17日になります。
どうかこれからもご贔屓に。




