26 奮起
ブロッサムの前に立ちふさがった男の名は〈《黒の猟団》の???〉。
彼女は知らない事だが、基本的に《黒の猟団》に所属している雑魚エネミーの名前は〈《黒の猟団》の構成員〉で統一されている。
名前表記に?が入る場合、それは《黒の猟団》の幹部――つまり上級エネミーであるという示唆だ。
ストーリークエストですらめったにその姿を現さない彼らは、一部トッププレイヤーにしかその存在を認知されていない程の出現率。
だからこそ、トーマもイワトビも、『ここにそんな存在がいる』と考えてはいなかった。
だからこそ、ブロッサムは今、窮地に立たされている。
チラリとネームタグの周りに視線を泳がせるが、名前以外の情報は一切表示されない。相手がどれほど強いのか、ランクも分からない状況だ。
『ランクやその他情報が見えない場合、考えられる可能性は2つ。ランクを隠蔽する類のスキルを保有しているか、今の君ではデータ的に絶対に勝てない相手って事だ。
どちらにしろ、危険な存在であるのは間違いない。そんな敵に遭遇したら、何が何でも逃げた方が良いね』
(……すいません、コウさん。今回はその助言に従えそうにもありません)
敵を睨みつけながらも、ブロッサムは手に持っていた戦鎚を構え直す。今にも逃げ出しそうになってしまう自分を鼓舞すると同時に、相手を威嚇する為に。
「『――ほう。格の違いが分からないのか、それとも分かった上で挑むつもりなのか。
どちらにしろ、面白い。開拓者はもっと小狡いと思っていたが……いや、そうでもない連中を何人か知っているから、否定はしないがな』」
男はその姿に相反して、饒舌に言葉を続ける。
「『にしても、この扉の向こうにいる開拓者の女は、それほどまでに大事なモノなのか。必死に助け出さねばならぬような、重要な存在とは手も思えないが』」
何が気を良くしたのか、男が話している間に、ブロッサムは相手を観察し続けた。
男の立ち姿は、どこまでも自然なものだった。
黒いボロ布のような外套も、曲がった短剣も、どちらも不自然の塊であるはずなのに、まるでそこにある事が〝当然〟であるような存在感のなさ。
目の前にいるのに、瞬き1つで煙のように消えてしまう。そんな馬鹿馬鹿しい考えが脳裏をよぎるほど、男はその場に溶け込んでいる。
「――そこを、どいてください」
「『――断る』」
震える声で言うブロッサムに、間髪入れずに男は答える。
その口元は、愉快そうに歪んでいた。嘲笑なのか、それとも不意に出た普通の笑みなのかは、他の部分が見えない所為で判別出来ない。
「『礼儀のない開拓者よ。まずは名を名乗り、それから私の質問に答えるのが、本来の礼儀というものだろう』」
「……敵に、ですか? 貴方こそ、自分の名前を見せていないくせに、良くそんな事が言えますね」
ブロッサムには珍しい、苛立つような言葉遣い。そんな態度でも男は一切気にせず言葉を続ける。
こちらは一挙手一投足にも神経を研ぎ澄ませていると言うのに、向こうは警戒心の欠片も無いように、肩を竦めた。
「『敵対者であるからこそ、だ。戦場の礼儀というものだろう。
もっとも、生憎私は暗殺者の真似事をしている手前、名を明かすのは難しい。明かす時はお前がよっぽど信頼出来るか、あるいは死ぬと分かっている時以外にない。
それでも良いなら、すぐに殺し合いを始めても良いのだがな』」
「……つまり、ちゃんとは話せば、殺し合いにならない可能性だってあるって言ってるんですか?」
思わず鼻で笑いながら聞いてしまう。そんな事、ある筈がないというのに。
「『まぁ、その可能性は否定できないな』」
「………………は?」
戦闘時特有の空気が霧散する。
あまりにも素直に、さも当然と言わんばかりに答えられてしまえば、殺気も霧散すると言うものだろう。
そんなブロッサムの戸惑いに、男の方も鼻で笑う。
「『何を勘違いしているかは知らないが、我々は別に男爵に借りがあるわけでもなければ、忠義を尽くしているわけでもない。
むしろ我々の理念としては、……いや、貴様に話しても仕方のない話だな』
ブロッサムが混乱しているのを良い事に、好き放題話している男には、確かにいつもモンスターやエネミーから感じる殺気というものがなかった。
ゲームとはいえ、殺気は存在する。それは相手を害するという明確な意思表示であり、だからこそプレイヤーは本気で戦えるのだ。
男からはその〝殺気〟が出ていない。鎌のような短剣を抜きはなち握りしめているものの、それを振るうような気配すらない。
「『勿論、仕事として受けた以上、やる事はやらなければいけないが、お前がどのように答えるのか、興味がある。それによっては、無傷のまま解放もあり得るだろう。
さぁ、答えろ。彼女はそれほど重要な存在なのか?』
……そう、ようはこれは謎解きのようなもの。適切な答えを返せば、あるいは敵との戦闘を回避する事が出来るかもしれない、一種の趣向だ。
そう、普通のプレイヤーなら考える。
だが、彼女は初心者。そんな勘繰りが、出来ようはずもなく、
「そりゃあ、重要だよ――だって、私の友達なんだもん!」
自分の気持ちを、素直に言葉にした。
「『――ほう、友の為か。分かりやすい思考回路だ。戦士としては如何なものかと思うが、私は評価しよう。しかし、』
短剣の切っ先を、ブロッサムに向ける。
「『――それでは、つまらん』」
瞬間、目と鼻の先に切っ先が迫る。
「――ッ!?」
ブロッサムがそれを防げたのは、偶然だろう。反射的に戦鎚を持ち上げ、その柄が短剣を弾いたのだ。
もし、それが出来ていなかったら、戦闘は即終わっていただろう。彼女の顔に穴が空き、HPは回復する暇もなく全損していただろう。
一切の攻撃モーションもなしに行われたそれに、ブロッサムは戦慄する。
「た、戦わない、って、」
「『かもしれない、と言っただけだ。お前の理由はあまりにも稚拙、あまりにもつまらん。
もっと面白い答えを期待したが、どうやら所詮は開拓者だったらしい』」
言葉と共に、短剣が踊り狂う。
それはもはや、機関銃と言っても相違ないほどの、斬撃の雨。避けるどころか、防ぐ事すらブロッサムのステータスでは難しい。
一撃で殺されないように、なんとか、急所だけは防げているが、その代わりに他の部分を薄く切り裂かれる。
派手なエフェクトも、派手な効果音もしない。ただ短剣を持った腕が鞭のようにしなり、一瞬だけ消失した瞬間には攻撃がやってくる。
まるで当然であるかのように、HPは少しずつ、だが素早く削られていく。
「『友の為。笑わせる。他者を顧みず、この地に住まう獣や人を殺しておいて、自分達はそんなお綺麗な物を守る為に動いているとは。
厚顔無恥、とはこの事だな』」
「――――――ッ」
それはそう、彼の言う事に、ブロッサムは答える事が出来なかった。
防御に全神経を回しているから……というだけではない。
それは、当たり前だったからだ。
だって、モンスターやエネミー、NPCは生きてはいないのだ。自分達が楽しむ為だけに存在する、単なるデータの塊なのだ。
――それに感情移入してしまうほど、ブロッサムはゲームにのめり込んでいた。
「『それだけではない。彼女を見捨ててしまえば、もっと上手い手を打てただろう。
あの店――確か【喫茶・メイド亭】と言ったか? あの店の人間に迷惑をかける事もなかっただろう。それなのに、貴様が今、台無しにしたのだ』
それもまた、正論だった。
もし、自分が無茶をしなければ、アースやクレミーがもっと上手い方法を見つけたかもしれない。
自分が、それを邪魔している。
「『他人の迷惑を顧みず、ただ自分の利己的な考えを中心において考える……つくづく、開拓者という存在は愚かだな』」
彼の言葉は暴論そのものだった。こちらの事情を一切考慮に入れない、相手を傷つける事しか考えていない適当な言葉。
それでもブロッサムには、その言葉は棘のように突き刺さり、手足を鈍らせる。
自分がやっている事が、間違いかもしれない。
そう思わせるには、十分な、
「――違うもん」
一言言えば、手に力が入る。
少しずつ、動きが早くなる。
「――確かに、我儘かもしれないけど、」
ほんの少し、受け身だった戦鎚の振るわれ方が変わる。
短剣を弾き、相手の状態をほんの少しだけ鈍らせる動きに。
「自分勝手かもしれないけど、」
ほんの少しの上体のブレ。男からすれば些細なその隙間に、柄の端に備え付けられた石突が滑り込む。
「『ムッ――』」
ダメージにもならない。弾く事もせずに避けられる程度の攻撃。だが、男がブロッサムとの距離を開けるには十分なものだった。
その合間に、戦鎚を構え直す。
まるで剣道で行われるように正眼に構えられたそれは、一種無防備にも見えるが、――彼女に、そのような隙は一切ない。
スイッチを切り替える。
プレイヤーにとって様々な方法がある。
トーマは呼吸するようにそれを行い、イワトビや善良ならば装備を切り替える、マミであれば刀を抜くなど、ワンアクションで自分の精神を切り替える。
本当の戦いに集中する為に。
ブロッサムのスイッチの切り替えは――窮地に入り、感情に火が灯った時。
その2つが同時に起こる事によって、ブロッサムは初めて《殴殺嬢》としての真価が発揮出来るようになる。
つまり、今この瞬間こそ、
「それでも、〝友達〟を助ける事が、間違いであるはずないんだから!!」
彼女の全力の姿だ。
「『――面白い、どこまでやれるか見物だな』」
男は楽しそうに、フードの奥で笑みを深めた。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は5月20日になります。
どうかこれからもご贔屓に。




