21 初めての懇願
――どうすれば良かったんだろうか?
最初から彼女の境遇に気づき、助けてあげられれば良かったのだろうか。まるで、自分を助けてくれた《嘲笑う鬼火》の皆のように。
それとも、彼女の様子がおかしかった時に、それを見て見ぬ振りすれば良かったのだろうか。彼女の傷を抉る事なく、ただの傍観者に徹すれば良かったんだろうか。
……いいや、どちらにしろ、桜には、ブロッサムには出来なかっただろう。
察しろというのは、無理な話だ。どんなに万能な人間だって、個人が本気で隠しているものを暴く事は出来ないし、察する事は難しかっただろう。
無視するというのも、無理な話だ。目の前で困っている人間を、悲しんでいる人間を放っておけるほど、自分は人間として諦観出来ない。
だからこそ、彼女は異質なのだ。
だからこそ、彼女は清廉なのだ。
……しかし、だからといって、ここで難波数葉の、ナンリの言葉にすぐに返事をする事も、出来なかった。
彼女の痛みを、桜はよく分かったからだ。
自分も、諦めていた。
形は違う、立場が違う、思いの質は違えど、トーマに説得されるまで自分は救われる事を諦めていた。
もし、自分が彼女と同じく、標的が変わった事によって救われた人間だったなら……きっと、桜も同じようにしてしまっていただろう。
自分は救われたんだと喜びながらも、罪悪感に押しつぶされそうになる、いじめられるよりも、もしかしたら辛い拷問を受ける立場になっていたかもしれない。
難波数葉はどうしようもなく似ている。
香納桜の、〝もしかしたら〟の存在。
「……これで分かったでしょう? 私は、貴女に助けてもらう資格なんかない……むしろ、犠牲にされた方がずっと気が楽。
キャラロスした方が、きっと引退しやすいだろうしね」
数葉の表情には、諦めの色しか残っていない。
もはや、何も取り戻そうとは思っていないのだ。
ブロッサムからの友情も。
桜からの信頼も。
何もかも投げ捨てて、諦めて、最初からなかった事に――、
「……冗談じゃない」
強い言葉が、不意に桜の口に上る。
そう、不意に。不意にだ。
考えるより、何か気の利いた言葉を言うより先に――、
「冗談じゃないよ!!」
桜の口に上ったのは、〝怒り〟の感情だった。
普段荒げられる事がないその声が唐突に震え、先程まで暗い表情をしていた数葉でさえ、ポカンとする。
それはそう……榊原莉子に宣戦布告した時の彼女と同じ姿だった。
「『怖かったから』助けを求められなかった? 『怖かったから』助けられなかった? 『怖かったから』本当の事を話せなかった?
そんな――そんな当たり前の事で、私が貴女を嫌いになる訳ないじゃない!!」
大切な人達を巻き込んでしまう、大切な人達を悲しませてしまう、だから助けを求めなかった。
自分がまたいじめられるかもしれないから、そうすれば過去の傷を掘り返す事になる、だから助けなかった。
友達になれたのに、嘘でも仲間になれたのに、もし話したらきっと軽蔑されてしまう――だから、話せなかった。
彼女の言った事は、全てが“どうしようもない事”だ。
愚かだったろう。惨めだったろう。悲しかっただろう。辛かっただろう。『怖かった』だろう。
足がすくんで動けなくなる事だってあるかもしれない。自分には出来ない事が出来る人間を羨ましく思うかもしれない。そんな自分を憐れむかもしれない。
どれもこれも、当たり前だ。
「……確かに、私達は、全然違う人だよ。もしかしたら――ナンリが言う通り、そこには凄い凄くないの違いだって、あるかもしれない。
私から見れば単に運が良かっただけの事だと思ってしまうけども、それはナンリにとって大きいのかもしれない。
――でも、気づいてる? 私達自分達が思っている以上に、共通点の方が多いんだよ?」
難波数葉は、万能でも、無敵でも、勇敢でもない。
ごく普通の女の子だ。
香納桜もまた、万能でも、無敵でも、勇敢でもない。
ごく普通の女の子だ。
そこに違いは、ない。
彼女達は少なくとも、たった1人では救われないのだ。
それを、馬鹿にする人間もいるだろう。1人では何も出来ない人間だと、馬鹿にする人間は、一定数いるものだ。
だが、馬鹿にされても良い。
「――私、貴女を助ける。絶対に」
それでも、誰かを助けられるならば、自分は弱い馬鹿で十分だ。
〝あの人達〟に会えない自分など、ナンリと話せない自分など、どうでも良い。
強い香納桜でなくて、良かった。
「……なに、を、」
独壇場で話していた桜に、数葉はどこか途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
暴論という言葉では収まらないほど無茶苦茶な言葉だった。理論などというものが欠片もない。
「言ったでしょ、私に、助けられる資格なんかないの。手を差し伸べられる資格なんか、ないのよっ」
――でも、どうしてだろう。
心が揺れる。
動揺以上に、揺れ動く。
それを、桜は超えていく。
現実であるはずなのに、彼女の姿はあの《殴殺嬢》ブロッサムを思わせる、
「――〝賭け〟をしよう、ナンリ」
強い意志を感じた。
◆
――ログイン画面を超えると、ナンリの前にはあいかわらずの光景が広がっていた。
まるで物置部屋のように、様々なものが混在している場所。違法なものも、中にはあるのだろう。実際、ここは彼らの物置なのかもしれない。
顔を埃っぽい地面に擦り付ける事で、ようやく外の微かな様子を伺い知る事が出来る小窓が一つあるだけで、それ以外は出入り口が1つ。
それもまた、犯罪者系エネミー達の手によって施錠され、物理破壊不可能のエフェクトが表示されるのみだ。
まぁ、そもそも、手足を拘束している縄すら破壊出来ない自分にとっては、無駄な情報でしかないのだが。
「……ハァ、」
前回ログアウトした時から呆れる程変わっていない状況に溜息を吐いて、ナンリは壁に背を預け、蜘蛛の巣の張った天井を仰ぎ見る。
……桜、いいやブロッサムが出した条件はこうだった。
ナンリの手に入れている情報で、彼女がナンリを救い出す。
制限された時間内(貰えたのは、精々その日の夜一杯と言ったところだろう)で、自分の持っている少ない情報で見つけ出す。
無理難題も良いところだろう。
これで助かったら、ご都合主義だ。
……なのだが、何故かほんの少しだけ、それに期待している自分がいるのも事実だった。
「……ばっかみたい」
誰が聞いているわけでもない。それが分かっているからか、ナンリは【ファンタジア・ゲート】に住んでいるナンリではなく、難波数葉の表情を浮かべる。
『もしダメだったら、結果としてナンリちゃんは消えてしまうかもしれない。
そうなったら、こうやって現実でも干渉しない。難波さんの言う通り、嫌だけど、距離を置く』
あんな、確証のない言葉に、自分が動揺するなんて思っていなかった。
何もかも諦めてしまった自分が、それでも誰かを信じたいと思ってしまうなんて、自分が救われると思ってしまうなんて、とても愚かだ。
しかし、今は少しだけ愚かで良いかもしれない、とも思ってしまう。
だって、そうだろう?
あの言葉は、何も確約なんてされていないのに。
孤独な少女にとっては、
『でも、もし私がこの賭けに勝ったら――本当の、お友達になろう!』
あの言葉は、どうしようもなく魅力的だった。
あそこまで全てを晒して、軽蔑されたっておかしくない、いいや、軽蔑して貰おうと思って吐いた言葉で、そのような提案が出てくるとは思わなかった。
もはや自分より優れているなんてレベルではない、『何を言っているんだ』と一瞬正気を疑ってしまった。
それだけの事を、自分はしたのだから。
……それでも、その言葉が心の中に残っているのは、やはりどうしたって人間は変わらないからだろう。
諦めたように見えたかもしれない。
嫉妬しているように見えたかもしれない。
憎悪していたかのように見えていたかもしれない。
だが言い方は悪いが、彼女は17歳の少女だった。
諦めを享受するには、あまりにも若過ぎる。諦観を抱くには、あまりにも経験を積んでいない。
十代の浅はかな決意は、簡単に救われてしまうものだった。例えそれが、彼女自身にとっては万にも上る重さだったとしても。
「……助けて、」
声に、懇求が混じる。
自分に求める資格がないはずなのに。何を期待しても、意味がないはずなのに、少女の口から言葉が漏れる。
全てを虚構で作り上げたナンリとしての言葉なのか、それとも手酷い現実を背負っている難波数葉としての言葉としての言葉なのか。もう彼女には分かっていない。
全てが混ざり合い、現実だとか仮想なのかすら、判然としない。
……それでも、それは間違いなく、本心だった。
諦めて、惰性で、それでも結局、話す事はなくても捨てる事だけは出来なかった感情が、口の中いっぱいに広がり、零れ落ちる。
「――助けて、ブロッサム、」
初めての、願い。
初めての、言葉。
それが受け止められるのかどうか……それは、全てブロッサムの行動にかかっている。
次回更新は4月15日になります。
どうかこれからもご贔屓に。




