19 手繰り寄せた糸
「――いつまでそうしてるつもりだ、お前」
【喫茶・メイド亭】の裏玄関。食材などの搬入に使われる従業員用入り口横に座り込んでいるブロッサムに、トーマはいつも通りのトーンで話しかけた。
彼女の装備は、細かい傷や埃で汚れ、その耐久値の減少を視覚的に表している。本来ならばすぐに仁王の所に持っていくところなのだが、彼女は何もせずに座り込んでいた。
1人で20人近いエネミーと戦闘。
戦いのセンスやランク差だけでは乗り越えきれないそれを、彼女は怒りだけで乗り切った。
しかし、乗り切ったところで終わった。
時間をかけて倒した所為か、既にナンリと敵の姿はどこにもなく、どこを探せば良いかも分からない。
何故、ナンリを彼らは連れ去ったのか。
ブロッサムには分からなかった……店に帰ってきて、その手紙を見るまでは。
『彼女を返して欲しければ、店を明渡せ』
たったその一文が書かれた紙切れが誰の仕業だったのか、その場にいた全員が分かっていた。
泣き続け、謝り続けたブロッサムは、ようやく落ち着いてここに座り込んでしまったのだ。
トーマはもう一度その姿を一瞥すると、ゆっくりと隣の壁によりかかった。
「別に、お前が気にすることじゃないさ。
攻略情報が分からない以上、お前にはこれを予想する事が出来なかった……いや、あれ自体がそもそも回避不可能だったかもしれない。
どっちにしろ、お前のせいじゃない」
「……でも、私がやるって言わなければ、ナンリちゃんがこうなる事も、」
「それこそ、お前の所為じゃない。今回のイベントに、強制的に巻き込んだわけじゃないんだしな」
真っ赤に染まった街を眺めながら、トーマはブロッサムに語りかける。
言葉そのものは一見すると優しげだったが、彼の言葉は非常に冷徹にも聞こえるものだった。
「……これから、どうなるんですか?」
誰がとも、何がとも訊かない。
それが誰の事で、何の事なのか、2人の間では分かりきった事だろう。
「まだ選択肢は残ってるな。ナンリを捜索するか、このまま諦めて店を渡しちまうか……もしくは、要求を跳ね除けて、ナンリを犠牲にするか」
「っ――犠牲って、」
見上げると、夕陽に染まったトーマの表情は、暖かい色合いとは正反対の冷たさを感じるものだった。
「まぁ、運が良ければ、1回分のデスペナリティだけで済むな。
――最悪の場合、キャラロストかなぁ」
「……キャラ、ロスト?」
聞き慣れない言葉を、繰り返す。
知らない言葉だが、妙に恐怖心を逆なでする言葉だった。
「イベントや限定された状況で発生する、本当の意味でのプレイヤーの“死”だよ。
スキル、アーツ、それらのランクを上げるために使用した時間や経験値、装備品や所持金を全部失う。
つまり、そのキャラは初めから存在しないように消える……また1から作り直しって事だな」
「なっ――そんな理不尽です!!」
立ち上がり胸ぐらを掴みかからんばかりに、ブロッサムが睨みつけるが、それでもトーマの表情は変わらない。
「まぁ、確かにそうだな。オンラインゲームでもキャラロスまでやるのは異常と言って良い。しかも他人に判断を委ねなければならない状況なんて、理不尽そのものだ」
戦いの結果、人物が死んでしまうのは、しょうがない。それはプレイヤーの選択の結果生まれたものだ。
ところが、今回は事情が違う。他人の裁量に頼らざるを得ない状況でのキャラロストは、酷い話だ。運営の理不尽と言ってしまうのも、仕方がないだろう。
――もっとも、それは【ファンタジア・ゲート】以外のゲームでの話だ。
このゲームでは、ない話ではない。稀ではあっても、その状況を予想出来るくらいに話があるし、それ相応に物議を呼んだものだった。
しかし、運営が出した答えは、端的に言えばこうだった。
『これが現実ですので』
たったそれだけだった。
【ファンタジア・ゲート】は異世界だ。ファンタジー世界であり、剣と魔法の世界でもある。
だが、それだけだ。
その中で起こる苦しみも、徒労も、嘆きも、その中に存在する理不尽すら、現実的であるべきだ。
運営はそう思っているし、実際、ある一定のラインを超えたプレイヤー達は、大なり小なりそれを受け入れている。
それでも、この世界が好きだから。
それでも、この世界が好きだから。
「キャラロスしたくねぇなら、無闇矢鱈にこのクエストに挑むべきじゃなかったんだよ、ナンリも、お前もな。
それすらも飲み込めないなら、とっとと別のゲームに行った方が良い」
この世界と同じように、トーマの言葉はあまりにも冷たい。どこか突き放すような言葉は突き刺さり、ブロッサムを数歩下がらせる。
……そこで終われば、ブロッサムは普通の少女だった、でお終いだろう。
どこでにでもある、少女の挫折。
そして物語は、そのまま悲しい結末を迎え、それも風化へと繋がっていく。
そこまでいけば、物語ではない。
それではそれこそ、〝現実〟だ。
――ただ、これはそういう〝物語〟ではない。
――彼女は、そういう〝少女〟ではない。
「――私は、嫌です」
握り締められた拳が震える。
荒げられた声が震える。
それでも、視線も、心も、震えず真っ直ぐ貫き続ける。ただ、目の前の壁を打ち砕こうと、必死な少女の力は、そのまま形を持たずに振るわれる。
「私は、それがどうしても嫌です。何が何でも嫌です。絶対に嫌です」
「……なら、どうする?」
トーマの言葉も、またぶれる事はない。
その答えを予想していたように……いいや、予想していたのだろう。素直に言葉を吐き出す。
「まともな情報はどこにもない。手かがりどころの騒ぎじゃない。
それに、イベントの当事者はお前じゃなくて、アースとクレミーだ。その頭を通り越して、お前がどうこうして良い話でも、本来はない」
もしここで失敗すれば、ブロッサムだけの話はない。【喫茶・メイド亭】が潰されるだけの話でもない。
それを取り巻くプレイヤー、ギルド、全てに迷惑をかける事になる。
全てを覚悟した上での発言なのか。
「――手掛かりなら、あります」
それでも、ブロッサムは一歩踏み出した。
手の中には、微かだが、熱のこもった“繋がり”。それが功をそうするのか、あるいは悪い結果になるのかは、ブロッサムにも分からない。
でも手繰り寄せるだけの価値がある。
「全部、覚悟の上です――トーマさん、私が誰だか、忘れたんですか?」
ブロッサム。
《嘲笑う鬼火》の新人。
新たなタンカーの《殴殺嬢》。
怖くても、辛くても、何かを失う結果になるとしても、それでも前に進む事〝だけ〟はやめない、強い少女。
そんな彼女が、トーマの脅し程度で止まるはずもない。
「ああ、知ってた。お前はそういう奴だよ」
だからこそ、結局ブロッサムの手助けをしてしまうのだ。
そんな言葉を飲み込みながら、トーマはいつも通り、呆れにも似た笑みを浮かべた。
――この学校の渡り廊下上部に設置されたベンチ。その横の転落防止用の策に膝をつき、眼鏡を掛けた少女が1人、校庭を見下ろす。
爽やかな風も、暖かい陽光も自分自身にではなく、視線の先の多く人々に注がれているような錯覚を覚えながら、じっと少女は見つめ続ける。
校庭には、多くの生徒達がいた。
部活動に励んでいる者、それを応援する者、遠目で冷やかしながらも談笑する者、友人と家路につこうとする者。
千差万別十人十色。
それでも、そこには同じ光量を持った輝きがあった。
自分とは違う人々。
自分ではなれない人々。
こんなに近くにいるはずなのに、これだけ遠くに感じるのは、なんと悲しい事か。
……いいや、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるのはやめよう。そもそも、自分はそれにすらなれない程の器しか持っていなかったのだ。
あの人達とは違うのだ。
〝あの子〟とは違うのだ。
そう自分の中で区切りを付け、ゆっくりと溜息を、
「――見つけた」
吐こうとして、止まった。
予想していなかった声が、後ろから聞こえてきたからだ。
何故ここが分かったのか。
そんな問いは無意味だろう。
「良かった、学校に来ないかもと思ってたから、」
何故私と分かったのか。
そんな疑問すら浮かんで来ない。そもそも、最初にボロを出したのは自分だった。
本当だったら隠しておくべき気持ちを表に出して、知られる可能性まで考えが至らなかった、自分のミス。
結局最後まで、格好付ける事が出来なかった、自分のミス。
上履きの軽い靴音を背中に感じながら、少女はただ、静かに目を瞑る。
まるで処刑を待つ、罪人のように。
「正直、確証はない。私の勘に近いんだ。だから、はっきりと答えてほしいの、」
足音が止まり、すぐ後ろに彼女がいるのが分かる。
だけど、決定的な言葉を聞くまでは、少女は振り返る事をしない。役者になれなかった自分の、理想の自分になれない自分の、せめてものプライドだ。
「――ナンリ、だよね?」
そして、
「――うん、そうだよ、ブロッサム」
ナンリ――難波数葉の愚かにも浅い芝居は終わりを告げるのだ。
更新遅れまして申し訳ありません。
ツイッターをごらんの方は御存知かもしれませんが、実は金曜日に少々救急車で運ばれまして。
一応大事には至りませんでしたので、改めて更新していきたいと思います。
次回更新は4月1日になります。
どうかこれからもご贔屓に。




