19 叫びと事故
薄暗い路地の奥の奥。
ホラー映画に登場する『幽霊屋敷』の見本の如き館が、ひっそりと建っていた。
鉄格子の塀はあちこちに錆が目立ち、門扉に至っては押しただけで壊れてしまうほど見窄らしい。屋敷全体も劣化し、見事に蔦が群生している。
一見すれば、ただのボロ屋敷。人の気配などあるはずもなく、あったとしても気の所為か、あるいは下手な怪談系クエストかと鼻で笑って素通りだろう。
【始まりの街】にある、通称【ガラクタ館】。それがエネミーを脅……説得して得た、カネンリ男爵の秘密のアジトだ。
なんでも非合法な部下の集会場であると同時に、違法な品物を置いておく倉庫のような役割を果たしているらしい。
もしかすれば、証拠に使えそうなものも、ここに置いてあるかもしれない。そんな期待の元、ブロッサムとナンリは潜入〝した〟。
そう、過去形。もう既に2人は屋敷の中に入っている。
意外と人数が揃えられていない警備。ボロ屋敷であるが故に機能していない塀も何も機能していない。なんだったら一部は窓すらないのだ。
ここで気づくべきだった。
あるいは、ここにくる前に一旦店に戻り、経験豊富なプレイヤー達に相談するべきだった。
――2人は明らかに、功を焦っていた。
「……本当に、なんで犯罪者ってこんな所に潜伏するんだろうね……」
厚い埃が敷き詰められている廊下を歩きながら、ブロッサムはヒソヒソ声で、少し後ろを歩くナンリに言った。
現実に近いとはいえ、あくまでゲーム。何よりこの世界では超人的な身体能力を身に付けている開拓者、埃程度で呼吸器系がやられる心配もない。
心配しているのは、この屋敷に潜んでいる犯罪者系エネミーに見つかる事だった。
「……そうだね」
その言葉に返事をしたナンリの声は、どこか力の篭っていないおざなりなものだった。
彼女の杞憂、というよりも気持ちの落ち込みは、体の心配からくるものでもなく、犯罪者系エネミーの事でもなかった。
――心の中に引っかかる棘を、彼女は気にしているのだ。
ブロッサムに出会う前から刺さっていた棘は、ブロッサムに出会ってから大きくなっていく。
その棘が、自分の心の中に最初からあったのは知っていた。
自業自得だとは、分かっている。
それでも、どうしても自分の心の中から拭えないそれを、他の人が馬鹿にできる権利があるのだろうか。
だってそれは、他の誰もが考える、
「――ナンリちゃん?」
「え、あ、なに?」
ブロッサムの言葉がようやくまともに耳に入って、ナンリはようやくはっきりとした返事をする。
その態度を気にかけながら、ブロッサムは言葉を続ける。
「あの、この前からずっと様子が変だったから、気になって……何か私、しちゃったかな?」
それは現実でブロッサム――桜が数葉から受けた助言を無視するような言葉だった。
ナンリは、ブロッサムの友人だ。友人が何かを思い悩んでいるならば……あるいは、何か自分に落ち度があるならば、自分に出来る事なら、何でもしたい。
そう思ってしまったからだ。
優しさ、相手を思いやる気持ちからくるそれは、
期せずして、ナンリの心を傷つける形になる。
唐突かもしれない。他者が見ていれば、ここで彼女が本当の気持ちを出してしまうのは、筋ではない。
だが、筋も何も関係ない。
どんなに自業自得だったとしても、その感情が相手にとって理不尽なものだったとしても、強い感情はどうあっても暴走する。
良い意味でも悪い意味でも未熟な、ブロッサムとナンリだからこそ、それを言ってしまったし――それを流す事が出来なかった。
「……そういう所あるよね、ブロッサムは」
忍び足で進んでいた足が止まった。
潜めていたはずの声は、自然と普通の会話の音量になる。あくまで大きさだけで、その声色は大きさに反比例して、冷たい。
「ブロッサムは、きっと凄い人なんだと思う。
素直で、真っ直ぐで、それを貫ける強さがある。私とは違って、ゲームの才能もあるし……そう、私と、違う」
その言葉の色には、羨望と嫉妬が混じり合った複雑な風があった。
しかし、ナンリのその言葉に、ブロッサムは顔を歪めた。
「……そんなんじゃないよ。本当に」
ブロッサムには、トーマがいた。
《嘲笑う鬼火》の皆がいた。
教えてくれる人が、救けてくれる人がいた。
それがどれほど幸福な事だったか。これがどれほど奇跡めいたものなのか、きっとブロッサム以外に分かる人はいないだろう。
「幸運が重なって、誰かに助けてもらってばかりで……私自身の力ばっかりじゃない」
「それも、才能の1つなんだって、分からないの?」
ナンリが振り返る。
もはや悲痛に歪んでしまっているそれに、ブロッサムはびくりと体を震わせる。
「ナンリ、ちゃん?」
「……私には、何もないの」
問いかけにも答えず、ナンリは言葉を続ける。目の前にいる筈なのに、その目にブロッサムは映っていない。
現実のブロッサムの姿ではなく、彼女の中での姿を映し出している。
「現実の私にも、ゲームの私にも、何にもないの。
教えてくれるような人も、助けてくれるような人も、それを惹きつける才能も、戦いの力も、抗う力も、何もないの。
ブロッサムみたいに、得られる機会もなかったの」
一歩。ブロッサムの方に歩み出た。最初から近かった距離が、さらに縮まる。
自然と足が下がりそうになるのを堪える。
「私だって、欲しかったのに。私だって、助けてもらいたかったのに。私の元には何もない。何もないの。
なんで、なんで貴女だけ……なんで貴女だけそんなものが手に入るの?
ねぇ、教えてよ――香納さん」
「え――、」
「――あ、」
思わず出てしまったのだろう。
普段は必死で押し殺していたはずの感情が、普段隠していた言葉すら晒してしまう。
呆然としてしまう2人。
だが、
運命とは、残酷で唐突な場合がある。
シュルリという、特徴的な擦り音とともに、縄が天井から降りてきた。
ただそれだけれあれば、ブロッサムもナンリも反応出来たはずだった。
しかしそれが、
1アクションで全てを終わらせるものだったのだから、当然反応は出来ない。
「っ!?」
まるで蛇のように蠢くそれが、ナンリの体を執拗に巻き取っていく。
ステータスには〈行動不能〉のバッドステータスが表示される。イベント時に適応される物と同じく、ナンリは自分の体を操作出来ない。
「ナンリちゃん!!」
ブロッサムは必死で手を伸ばすが、縄で縛られてしまった手を、差し伸べる事は出来ない。
「『罠にかかる、鼠』」
闇の奥から声が聞こえる。全体像は見えないが、闇の中に怪しく光る、双眸が一つ。その闇に飲まれるように、ナンリは凄い勢いで上部に上げられていく。
「ナンリちゃん、嘘、ナンリちゃん!!」
声は虚しく響くだけ。闇の中に届く事はない。
既にその気配はなく、代わりにやってきた気配は、通路の奥から無数に現れた。
「『けけ、引っかかりやがったぜ』」
「『偽情報に踊らされたカモが2人――』」
「『これで捕まえりゃ、ボスが楽にあの店を乗っ取れるってんだから、チョロい仕事だよなぁ』」
ネームタグが黒い、犯罪者系エネミー達が、下品な笑みを浮かべながら、ブロッサムの周囲に群がる。
手には短剣や手斧などといった、狭い場所でも取り扱いが難しくはない武器ばかりだ。長柄の戦鎚を振るうブロッサムが、圧倒的に不利。
そうであるからこそ、彼らも余裕ぶって、情報を喋ってしまっているのだろう。
――それすらも、ブロッサムは気付かない。
「――どこに、」
ドンッと、壁に〈ベヒモスハンマー〉がぶつかる。
ダンジョンに近い状態になっているこの建物が破壊される事はないが、もし出来たならば、きっと穴どころか吹き飛ばすほどの影響を与えていただろう。
ブロッサムは、感情を素直に表すタイプの少女だ。
……それでも、この感情は初めてだった。
こんな、
「ナンリちゃんを、どこに連れて行った!?」
怒りの感情を表すのは。
「『カヒャッ!?』」
相手が返事を返す前に、ブロッサムの戦鎚が振るわれ、近くにいたエネミーのHPが一撃で削りきられる。
ランク帯は大したものではない。数ばかりな敵に、ブロッサムをどうこうする事は出来ない。
怒りに我を忘れ、故に強さが増しているブロッサムにとってしてみれば。
「『テメェ!!』」
一気に襲いかかってくる彼らを倒しながら、必死に前に進み続ける。
「ナンリちゃん、ナンリちゃん、ナンリちゃん!!」
――20人近いエネミーを倒しながら探しても、その日、ナンリを見つける事は出来なかった。
次回更新は3月25日になります。
どうかこれからもご贔屓に。




