15 突然の老人
「――ハァ、」
リアルと同じように吐かれた溜息は、しかし浮く事も、そもそも周囲に聞こえる事もない。客の談笑の声で、その溜息は見事に掻き消された。
【喫茶・メイド亭】の厨房とホールをつなぐ中間点で、ブロッサムは憂鬱そうな顔で佇んでいた。
――これから、ナンリがやってくる。
シフトの関係上、最初から顔を合わせる事は出来なかったが、それでも気まずくなってしまった次の日に会えるのは僥倖と言って良いだろう。
僥倖、なんて大げさな言葉だが、それでもブロッサムにとっては、それだけ大きな意味を持つ言葉だった。
久しぶりに出来た、ちゃんとした友人。
これからも仲良くしていきたいと思っている以上、このような雰囲気で居続けることに、耐えられなかったのだ。
「普段通りに、普段通りに、」
難波数葉の助言に従うために、ドキドキする胸を抑える。
冷静に、出来るだけ冷静に。
それだけを自分に言い聞かし――、
「――ん?」
ふと顔を上げ、周囲を見渡す。店は相変わらず騒がしく賑わっているが、それ以外に変わった様子はない。
「……?」
首を傾げながらも、ブロッサムは視線を戻した。
今、誰か見ていたような気がしたのだが……気の所為だったのだろうか。
◆
「あっぶね、見つかるところだった……」
「……で、トーマ、僕らはなんで隠れているのかな?」
テーブル同士をパーテーションしている植木の中に身を潜めた二人が、そこでようやっと顔を出す。
《嘲笑う鬼火》に所属する、《音速使い》のトーマと《智脳》のコウだ。
二人は今、ブロッサムの目を避けて店内にいた。
「やれやれ、せっかくお前が珍しく食事に誘ってきたかと思えば、こんな所でストーキングとはね」
「何がストーキングだよ、しばくぞ」
「そうじゃなきゃ、こんなの例の子供をお使いに出して盗撮する番組と、大して変わらないような気がするがね」
「あの番組になんか恨みでもあんのかよ……」
涼やかな顔でコーヒーを飲んでいるコウに、トーマはどこか仏頂面だ。
「そう言われたくないんだったら、素直に『心配している』と言いに行けばいいのに」
――そんな気恥ずかしい事が言えるか。
などと言ってしまうのは簡単だったが、それすらも恥ずかしい。
ブロッサムという存在は、トーマにとっては妹分の存在だ。
そんな存在が、ゲームに入ってきて暗い表情をしていれば、兄貴分としては気にしない訳にはいかなかった。
……いや、しかし気にした所で、自分が無闇矢鱈に話に首を突っ込んでいくのは、はたしてどうだろうか。
妹分の友人関係に首を突っ込む兄貴分。
ブロッサムが別にトーマの事をウザがるとまでは思わないが、そこまで突っ込んで行けるほど、トーマの面の皮も厚くはない。
……まぁ、流石にナンリがどのような人物なのか、ちょっと調べてみたりはしたが、そればかりはトーマの所為ではない。
目の前で呑気にカップを傾けている冷徹眼鏡が勝手にやった事だ。
「コウこそ、測量士プレイヤー使って、ブロッサムの友達の素性を調べるとは、随分な過保護じゃないか」
「……僕の真意が分かっている上でそういうあたり、君も大したタマだよ」
トーマの言葉に、コウはどこか苦々しい顔をしている。
トップギルドは、色々と厄介だ。名を上げるというのは、決して良い事ばかりではなく、悪いものも引き寄せてしまう。
敵というだけではない。その恩恵に預かりたいという存在は多い。
《嘲笑う鬼火》に関してだけ言えば、自分達に恨みを持っているプレイヤーは多い。
大半はくだらないものなのだが、中には本気でこちらを貶めようと考えている者もいるだろう。
ブロッサムは《嘲笑う鬼火》の中でももっとも漬け込みやすい部分。
ナンリがそれを狙ってやってきたプレイヤーである可能性は、否定しきれないのだ。
――だが、結果として、彼女は白。むしろ、どこまでも〝普通〟だった。
【ファンタジア・ゲート】の中では、中堅中の中堅。
口悪く雑魚と言えるほど弱くはないが、強者だと言えるほど強くもない。ゲーム人口の中でも過半数を占めるプレイヤー。
二刀の軽戦士というオーソドックスなスタイルで、ギルドに所属していないものの、交友関係はゲームの中では平均的。
どこを取ってみても、困った部分は一切ない。
「……まぁ、強いていうなら普通過ぎるのが、問題といえば問題、かな」
【ファンタジア・ゲート】の中でも有名な《嘲笑う鬼火》の中に現れた、期待の新人《殴殺嬢》ブロッサム。
彼女本人の認知度としては低かったとしても、《嘲笑う鬼火》の名前を知らないというのは、相当のモグリといっても良いだろう。
「何か裏があると思うか?」
「さぁ、そこまでは流石にな……リアルの情報までは拾ってこれないしな」
それが出来れば犯罪行為を行えるだけ行えるし、そもそもその測量士プレイヤーが犯罪者である可能性が高い。
そんな事、出来るはずがないのだ。
「まぁ、しばらくは様子見だな……ん? おい、あれが、」
コウの言葉で視線をあげてみれば、店の奥から中世的な美少女が出てくる。
噂のナンリ嬢だ。
……仲直り出来るのか、あいつ。
少々ハラハラとした心境で、二人の距離が詰まっていくのを見守る。
ブロッサムの表情を見れば、どうやら緊張しているようだ。その硬い表情から、それが分かる。出ている手足がギクシャクしていないだけ、うまく隠せている方だろう。
あと、数メートル。
あと1メートル。
距離がどんどん縮んでいく。
とうとうブロッサムだけではなく、ナンリさえ彼女の姿を捉えた時。
ブロッサムがそんな彼女に、何かを言おうと口を開きかけた時。
「『――ほう、随分汚らしい店じゃあないか』」
ドンッという騒々しい扉の音とともに、随分と嫌味ったらしい声が、店いっぱいに広がった。
◇
最初にブロッサムは、挨拶をしようとした。
出来るだけいつも通りに、出来るだけ平静を装って話そうとしたのだ。なんでもない風に『おはよう』と言って、それから『今日も1日頑張ろうね』というつもりだった。
――結局その声は、口の奥から出ることはなく、妙な声に押されるように飲み込まれた。
「『ほう、随分汚らしい店じゃないか』」
声の主は、何故か妙に小さかった。
体はまるで子供のような大きさ。ブロッサムのお腹に頭頂部が届く程度の姿をしているが、その顔に刻まれた皺を見るに、老齢の人物だというのが察せられる。
河童のような頭頂部が剥げているにも関わらず、それ以外の髪はフサフサだ。頭頂部以外を見てみれば、白髪のおかっぱだ。
鼻は古木のように伸びており、鷲鼻というよりもいっそどこかの物語に登場する木製の人形を思わせる。
それで杖をついて、皺とシミまみれの顔を嫌らしく歪めているのだから、それだけでもう『嫌な客』と思ってしまうだろう。
いや、彼の嫌な感じは、彼本人だけで醸し出されている。
その周囲の取り巻きの所為だろう。小さい老人だったせいか、その体格はまるで巨大な熊のような大きさのように感じる。
街の中で鎧を着込み、威嚇するように剣を帯びている。もっとも開拓者ばかりの店内で、そんなもの気にする人間はいないのだが、そんな事すら気にしない。
彼らには、そのようなものが目に入っていないのだろう。
黒いタグを掲げている彼ら――ノンプレイヤーキャラクター《NPC》には。
「『おやおや、客が来ているのに出迎えもなしとは、ここの接客も多寡が知れていますねぇ』」
老人の言葉は、慇懃無礼を通り越してただの無礼だった。皮肉げに周囲を見渡すその目には、この店を値踏みしようという気がありありと映っている。
「……申し訳ございませんお客様、もしよろしければお席にご案内しても?」
どんなに酷い態度でも、客は客。
そう思っているのか、クレミーはいつも通りの接客態度で話すが、そんな慈母のような微笑みを浮かべる彼女に対しても、老人はどこか懐疑的だ。
「『君は、ここの店長ですかな? 悪いが、私は客ではないし、君のような小間使いと話す気はない。
オーナーを呼んできたまえ』」
――おいおい、こいつらマジか。
ここにいるプレイヤー全員がそう思った。綺麗な姿をしていても、彼女はトッププレイヤー《メイド狂い》。
その戦闘能力を知った上でそんな口を聞ける人間はいないが、厳密に言って仕舞えば、彼らは人間ではない。
そういう情報が入っていなくても、おかしくはないのだ。
「――オーナーは俺だ。この店に、いったい何の用だ?」
困惑するクレミーを押してのけ、アースが姿を現わす。言われている本人よりも怒りの表情を浮かべているのは、きっと見間違いではないだろう。
そんな彼に対して、老人は無礼な態度を改めない。
「『ほうほう、開拓者らしい野蛮な姿をしているのぅ。こんな者が貴族の称号を受けた上に商売をしているとは嘆かわしい』」
「……要件を言えと、俺は言ったはずなんだがな」
その言葉には、怒気を超えて殺気すら籠ってる。
言葉が武器になるならば、きっと世界観を超えたミサイルなどが飛び出してくるに違いない。それでも老人は、ケラケラと笑っている。
「『ケケケッ、そうカッカしなさんな。せっかく良い話を持ってきているのに、つれない男じゃ』」
「ああ? 良い話?」
「『そう、良い話じゃ――、』」
杖がコツンと、床を打つ。
「『儂の名は、カネンリ・アップスタート男爵。
――お主の店を買ってやろうと思ってのう』」
最近、更新が遅れるなどして申し訳ありません。
リアルでの転職や、時間的余裕などの関係で、どうしても更新が遅れてしまいます。
そこで、次回からは週一回。日曜更新にしようと思います。
何度も何度も話を変えてしまい、申し訳ありません。
では、次回、2月25日にお会いしましょう。
どうかこれからもご贔屓に。




