エピローグ
日曜祝日、それは人が最も移動する期間だろう。
娯楽か観光、のんびりと余暇を過ごす為に人は動く。特にゴールデンウィークと呼ばれる時期に入っていれば当然。
いくらか都心から離れているこの街の駅も、あと小1時間で昼食の時間になろうというこのタイミングでは、人がごった返していた。
家族連れや恋人同士であろう男女、友人同士でどこかに出かけようとする人混みが、街の音を作っていた。
そんな駅前のベンチに、桜は1人で座っていた。
自分の名前と同じく、桜の意匠が付けられている白いワンピースに、上にジーパン生地で作られた丈の短いジャケットを羽織っている。
「………………」
キョロキョロと首位を見渡し、そわそわしながら、茶色い地味だが、悪くはないポシェットに手を入れる。
出て来たのは小型の鏡だった。それを開いて覗き込み、神経質に前髪を直す。
ちなみにこの行動も、ここに着いた10分前から、5回も行っているのだから、その緊張のほどが分かるだろう。
――男性と2人で会う。桜にとって初めての経験だ。
勿論、デートではない。
普通の人間からすればデートなのかもしれないが、桜にとって、いや相手方にとってはそうではない。
確かに桜は相手のことを好意的に見ているが、それが男性としての物なのかどうなのか、もしかしたら生まれたばかりの雛が最初に見た者を親と認識するとか、その類のものの可能性は否定出来ない。
相手方も、桜の事を好意的に見ているのだろうか、それは男女というよりも懐いた子犬を可愛がるような庇護欲に近いし、もしかしたら彼にとっては自分は妹かそれに近いものなのかもしれない。
だからこれはデートではない。
例え出掛ける直前兄に『変な所に連れ込まれないように!』と釘を刺したとしても。
例えマミに『デートだデートだ』と囃し立てられたりしても。
例えば中学校時代の元親友に『デートの時はねぇ』と教え込まれても。
デートではない。
デートではないのだ。
ないったら、ない。
……ただそう自分に言い聞かせたところで、桜の緊張感が消える事もなく、しっかりと自分が気に入っている服を着ているあたり、やはり意識していない訳でもなかった。
「いや、ほら、そもそもそういう風にあの人を見れないと思うのですよ」
誰かに言っているわけではない。
自分に言い聞かせているのだ。
「ほら、あの人は確かに優しくて頼り甲斐があるなぁとは思うよ? でもよく考えてみなさい、あんな高確率で口が悪く、対応が雑で、ゲーム内ではお酒をがば飲みするような人を果たして異性として見れるでしょうか? そりゃあ、時々格好良い時もありますけど、基本そんなの気にしない人ですし、会って1週間でそんな事あるはずが、」
「そんな事っ?」
「ひゃう!?」
1人で暗示を行なっていた桜の目の前から声がかかり、思わず跳ねるように顔を上げた。
「すげぇ、ゲーム内だったら1メートルは飛び上がってたぜ」
桜のそんな姿を、待ち人はゲラゲラと笑う。
この前会った時のような野暮ったいジャージではない。
赤茶色のワイシャツから覗く黒いTシャツ。薄茶色のスラックスと、ラフに見えながらもどこか大人っぽい姿で、車椅子に座っていた。
「で、なにがそんな事なんだ?」
彼は笑いながらそう聞くと、桜は思わず固まる。
そんなの、簡単に言える訳がない。
「えぇっと……『尊敬する』事?」
「……ほう、会って1週間で俺は尊敬出来ないってか」
慌てて出た言葉に、彼は半眼で答える。
本気で怒っている訳ではないとわかっていても、その顔付きでその表情をされると肝が冷える。
「だ、だって、いっつもお酒呑んでるし、女の子に対して扱いが雑なんですよぉ」
「しょうがないだろう、現実じゃそう簡単に居酒屋に行ける身分じゃないんだから。女の子扱いに関しては……いや、お前を女の子扱いかぁ」
「ちょっと、なんで言い澱むんですか。説明を要求します」
「して良いのか? 割と凹むぞ」
「……やっぱり結構です」
「ハハハ、拗ねんな拗ねんな」
頬を膨らませている桜を相変わらず笑いながら、並ぶように空いている隣に車椅子をバックで滑り込ませる。
側から見れば難しそうだが、彼の表情と手付きは慣れたものだ。
「フゥ……さて、こっちで会うのは久しぶりだな、ブロッサム」
「――はい、お久しぶりです、トーマさん」
先程までの喧嘩腰は消え去り、2人で笑顔を向けあった。
香納桜こと、ブロッサム。
待寺統児こと、トーマ。
2人は再び、現実で出会ったのだ。
「で? どうなんだ学校では」
早速本題に入るトーマに、桜は顔を顰めた。
「もっと他に話す事もあるでしょうに……まぁ、良いです。
正直、良くも悪くもって所ですかね。あ、ちょっと良くなったかなって感じはあります」
――榊原莉子に絡まれる事自体は無くなった。
もう桜が莉子の思い通りに動く人間ではなくなったからだろうか。絡みに来る事はなくなり、今は完全に空気扱いだった。
これから何度も、最初に起こった衝突のようなものが続くのか、と思っていた桜にはちょっと安心出来る出来事だった。
勿論、クラスメイトとは疎遠だ。
だが、前のようにあからさまに無視されるような事はなく、必要であれば話しかけらるようになった。これも、先の一件で莉子の立場が悪くなってしまったから、というのもある。
それに関しては自業自得ではあるものの、あまり素直に受け取れない。
榊原莉子の事が嫌いなのは確かだが、それでも桜は最後まで『憎む』事が出来なかった。それを優しさと言って良いのか、それでもまだ自分が弱いからなのか。
答えは出ないが、今はこれで良いかな、と思っているのも、また事実だった。
「そうかい。まぁ上手くいって何よりだ。
いくらリアルでもお互い知り合ったとはいえ、そっちの事情に首を突っ込むのは無理だったからな。自分でなんとか出来るレベルになったのは、嬉しいよ」
言葉を取り繕う事もせず、表情にも喜色を隠さず表す。
救えた……などと偉そうにはいえないが、関わってしまった以上最後まで手を貸したいと思っていたのだ。
自分が本当の意味で関わらなくて良い、桜が自分で乗り越えられるようになった。
それだけで、今は十分嬉しい報告だ。
「はい……でも、まだまだです。相変わらずボッチですし。
目指すは友達100人!」
「あはは、ずいぶん大仰な目標だな」
鼻息荒い宣言に無粋なツッコミは入れない。
出来る出来ないではなく、桜がそういう風に前向きに考えられるというだけでも、成長の証としては上等だろうから。
「――うっし、なら今日はお祝いだな。金もあるし、飯奢ってやるよ。美味いイタリアンの店があるんだ!」
「お〜良いですねぇ……って、まさかファミレスじゃないでしょうね?」
「ハハハハ、バイトもしてない大学生の懐事情を舐めるな!」
「やっぱり……まぁ奢って頂けるなら文句はありませんけど。あ、車椅子押しますよ」
「ああ? って言っても、結構重いぞ。気持ちは嬉しいけど」
「私が押したいんです! それに、車椅子の人と並んで歩くと他の人に迷惑です! 縦になるなら、押しちゃった方が良いです!」
「半分どういう理屈かわからねぇが……ここで断るのも無粋だな。頼む」
「はい!」
1人が入れるスペースをトーマが確保してから、桜がそこに入り込む。
今まで車椅子というものを押した事がないが、ここから見える光景は面白い。普段ゲームの中では自分を見下ろしているトーマの後頭部が見えるというだけでも、桜にとっては新鮮だった。
ゆっくりと2人で歩き始める。
重いと言われたが、それほどでもない。
見てみればほんの少しだけトーマが車輪に手をかけているのが見えた。きっと自分の足りない力と、方向のアシストをしてくれているのだろう。
何も言わないトーマに少し不満を抱きながらも、それ以上に、何も言わずに助けてくれる彼の優しさを感じて、自然と笑みが浮かぶ。
「そう言えば、先生」
「なんだね、生徒」
いつものように軽口に聞こえるように話し始める。
「――私まだ、先生に約束を果たしてもらってません」
……その言葉で、車輪を動かしていた手が空中で止まり、ほんの少しだけ桜の腕に掛かる負担が大きくなる。
「……ちなみにそのファミレスの中で俺が好きなのは、ミートソーススパゲッティーだ」
「先生、そんな事訊いてません」
「半熟卵トッピングだとなお美味い」
「そんな事も訊いてません。というか、知ってます」
「俺は最初は割らずに食べて、半分くらいになってから割って食うのが好きでな」
「そんな拘りも、訊いてません」
「………………」
「………………」
2人の間に沈黙が降りる。
怒らせちゃったかな、と思って後頭部を眺めれば、ほんの少しだけ彼の耳が赤いのが見えた。まるで子供のような反応に、笑みはさらに深まる。
「あぁ〜、その、なんだ。
とっとと行くぞ、桜」
ただ名前を呼ばれただけなのに、それだけで桜の心は華やいだ。
「――はい、統児さん!!」
それだけを元気に返すと、また車椅子を押す。
彼に向けた感情がどんな感情なのかは、今は答えを出さなくても良いだろう。
今はこれで良い。
今は、これが良い。
……Continue to next turn.
一章終わりました~。
次回から第二章に入っていきます。1ヵ月毎日2話投稿だと、進みが早いですね。
活動報告の方であとがきのようなものを書くので、そちらも見ていただければ幸いです。
次回の投稿は11月16日の0時に行います。
感想・ブックマーク・評価など、どうかよろしくお願い致します。




