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鬼火遊戯戦記  作者: 鎌太郎
第1ターン:ゲームへの招待
2/94

1 ゲームの世界は美しくも残酷で

本日2話目です!

楽しんでいただければ幸いです。






 ……チラリと、少女は時計を見る。

 先ほど見た時から、針はほんの数分程度しか動いていなかった。それに少し残念な気持ちを抱きながら、次に視線はベッドの上に置かれている機会に目を向ける。

 もしこの機械が登場する前の時代の人間が見たら、『奇妙にゴテゴテとした、前の見えないヘルメット』としか思わないだろう。

 しかしダウンロード用の配線を接続し、起動部分のランプがチカチカと明滅しているそれは、VRゲームを楽しむ為のハードウェア【ダイヴギア】だと、少女は承知している。


「……早く出来ないかなぁ」


 繋いでから小一時間。既に夕方という時間を終え、夜という時間に突入している自室の中で、彼女はひたすら、【ダイヴギア】の準備が整うのを待っていた。



 ――少女、香納桜かのうさくらには友達がいない。

 と言い始めればまるでどこかのライトノベルのように思えてしまうかと思うが、この一年は本当にそうだった。

 中学校時代からの親友は別の高校に行き、地元の友人もそもそも少ない桜にとって高校とは異界と変わりはないものだ。

 友人を作ろう。そう思って奮闘した時期もあった。

 しかし桜は、どこか他人とはズレた感性を持っている少女だった。それは本人も、数少ないたった一人しかいない親しい友人も、家族も認めているところだ。


 思春期の子供は異物を嫌う。

 それが少女と呼ばれる多感な生き物であれば、尚更。

 結果彼女は、高校でイジメられるようになった。


 進学校、しかも女の子の間でと思うかもしれないが、この一年の大半は酷いものだった。

無視される、わざとぶつかって荷物を床にぶちまけられる、私物を隠される、あるいは落書きされる。

 そんな、言い方は酷いがオーソドックスなものから、あからさまに言葉の暴力をぶつけて来たり、ここ最近では金銭を要求される事もある。

 主犯の生徒達以外は、自分が標的にされないように見ないフリをする。

 教師も厄介事に関わりたくないのか、仲裁するどころか目の前で起こっている事すら関知しない。

 親や、優しい兄には話せない。不安に思わせてはいけないのと、何故か負けたような気分になる所為で。

 かといって、主犯のクラスメイトに何か反抗する事も出来ない。もっと酷い仕返しを受けたら怖いから。

 逃げる事も立ち向かう事も、助けも呼ぶ事も出来ない八方塞がりな状況で、桜は徐々に感情を失いつつあった。自分が悪い部分もあるのではないかと、とうとう自分を責め始める始末だ。

 そしてクラス替えも行われず、もはや自分はイジメから逃げられないのだと鬱感情のピークになった5月のゴールデンウィーク直前。


『なぁ、桜。VRゲームとか興味ないか?』


 桜の変化を感じてなのか、兄はおずおずとそう提案しながら、今ベッドに鎮座しているハードウェアとソフトを手渡して来た。

 なんでもゲーム内の懸賞で当たった物なのだそうだが、兄はもう両方揃えている。というより、そのゲーム内での懸賞で貰ったものなのだそうだ。今そのゲームは、新プレイヤー拡張の為の様々なイベントを打ち出していて、 その一環なのだと、兄は語っていた。

 最初は、学校での疲れもあってあまり乗り気ではなかった。

 現実がピンチなのに、ゲームをするんじゃ、まるで現実から逃げているようではないか。

 しかしそんな事情を知っている筈もない兄に、そのような事を言うわけにはいかない。

 兄はそのゲームの魅力を滔々と語り、既に成人年齢に達している男性とは思えない、子供のような笑みを浮かべていた。

 普段が堅物を絵に描いたような兄だ。

 そんな兄が子供同然の姿を自分に見せているという異常事態は、桜の好奇心を刺激するには十分な出来事だった。

 しばらくその表情を思い出して久しぶりに笑みを浮かべた桜は、今ダウンロードしている件のゲームのパッケージを、もう一度見る。



 『新大陸【アルカディア】に人間族が到達して50年。エルフ・ドワーフなどの異種族(デミ)達といくつかの大きな戦争を越えて、大陸の幾割かは人間の版図に塗り代わり、人間族らしい街並みも生まれ始める。

 しかし、まだ新たな刺激は多く残されている。広大な大地、異種族達が生み出す、人間族では想像も出来ない技術、未知の遺跡……。

 それを開拓するのが君達――開拓者(プレイヤー)だ。

 ――さぁ、新世界へいざ――。』



 そんな謳い文句が記されている裏側にはそんな言葉と共に、朝日が昇る崖の上に立つキャラクター達の後ろ姿が描かれている。

 それだけでも、桜の胸を高鳴らせるのは十分だった。

勿論、同年代では珍しくVRゲームを嗜んで来なかった桜にしてみれば、大きな挑戦だと言えるだろう。

 ……でも、


「もしかしたら、これで友達が出来るかも」


 ゲーム内とはいえ、接するのは現実に実在する人間達だ。

 もしかしたら仲良くなる事が出来るかもしれない。もし仲良くなれるようであれば、現実でだって上手くいくに違いない。

 それこそまさに夢物語なのだが、桜の心はそんな夢物語を抱いてしまうほど、追い詰められていたのだ。

 そんな自分の傷に見ないフリをしながら、もう一度【ダイヴギア】に接続されているパソコン画面を見る。


「えっと、外見設定とかは終わってダウンロード中で、スキルとかアーツ? とかは最初の街の訓練所で教えてもらえるんだっけ……あと覚えなきゃいけないの、何かあったっけな」


 もう何度も行なっているだろう予習と確認を、兄に言われた言葉も反芻しつつ繰り返す。

 桜が今からやるゲームは、『スキル制』。好きな技能を取得し、アーツという技を覚えたり作ったりして戦う、ファンタジーゲーム。

 正直兄の興奮混じりの話を聞いても、情報まとめサイトを見てもよく分からない。とにかく、兄から言われた『準備が整わない間に街から外に出るな』という言葉を、何度も頭の中で繰り返す。

 ――そうしている間に、残り時間を消費していたのだろう。ダウンロード完了を告げる軽快な機械音が部屋の中に響いた。


「アッ――」


 普段では想像出来ない速度でベッドに飛び込み、ダイヴギアの配線を切って被る。

 既に内側には、3Dで表示されているゲームアイコンがクルクルと回転し、桜のログインを今か今かと待ち望んでいるようだった。

 微かな緊張に、思わず息を飲む。


「えっと、おトイレは済ませたし、お風呂も済んで髪乾いているし、もうパパとママとお兄ちゃんにはおやすみ言ったし……良い、よね」


 誰に許可を求めたのだろう。

 心の中の、鬱屈とした自分に対してだろうか。

 ゆっくりと深呼吸をすると、ダイヴギアの横、耳あたりに備え付けられた起動ボタンをゆっくり押し、




 桜は【ファンタジア・ゲート】にダイブした。







「――ッ」


 目に何色もの眩い閃光が一瞬だけ通り過ぎたように思えた。

 耳には幾度もの音が、鼻にはいくつもの香りが、口には様々な味が広がり、肌には様々な感触が流れるように広がる。

 そのどれも光と同じでほんの一瞬だったが、情報量が膨大で、頭痛にも近い酩酊を覚える。

 しかし言った通り、どれも一瞬だった。

 気付けば、瞼の裏は自然な暖かみのある光が差し、耳には雑踏を、鼻には潮の香りを、肌には心地良い風の唸りを感じている。

 目を開ける事に躊躇しながら、ゆっくりと桜は目を開けた。




「――うわぁ」




 声を出したが、言葉にはならなかった。

 目の前に広がっているのは、本当に現実にはあり得ない風景だったからだ。

 天を突かんばかりに聳え立つ巨大な城のような建造物と、それに負けず劣らず大きな建物の群れ。桜はその前に広がっている広場に立っていた。

 城の背後には港が広がり、大きな帆船のようなものや、巨大な飛行船にも似た大きな船も縄で繋がれ、青い空に鎮座している。

 石畳は綺麗にならび、昔家族で行った外国の街並みを思い出させるが、その細部に現実では見かけない不思議な意匠、特徴が見受けられる。

 忙しなく雑踏を行く人間の頭の上には、様々な色合いに着色されている文字が浮かんでいる。確か、所属ギルドと自分の名前を表示しておけるのだったと、教えて貰った事を思い出していた。

 その雑踏の中にはその名前のタグが黒い物も混じっており、その容姿は開拓者プレイヤーとは違い、多種多様な容姿を持っていた。

 山羊や羊の角のようなものを持っている者から、耳の尖った美男美女、自分の腰を少し超えた程度の身長しか持たない中年男性や、大きな猫が二足歩行しているものまで。

 それがノンプレイヤーキャラクター(NPC)と呼ばれるAIが動かしているキャラクターであり、この世界(ゲーム)では『異種族(デミ)』と呼ばれているのを、桜は知っている……予習したから。


「すごい……」


 感動のあまり、語彙力はどこかに吹き飛んでしまっていた。

 感じる空気一つとっても、まるで別物のようだった。

 VRは学校の授業などで体験した事はあったが、桜の中ではあくまで現実の真似事のように思っていた。

 だからVRゲームに嵌っているクラスメイトや親友の気持ちを理解出来ないでいた。現実の真似事であるならば、現実で良いじゃないかと。

 そんな人達にどこか呆れていた過去の自分を叱りつけ、頭を下げさせたい気持ちになった。想像していた物よりも、実物はもっと上だったと言っていい。


「やっぱり、どんな事でも実体験が大事なんだな」


 妙な方向に納得しながら、一度視線を下げ、自分の姿を確認する。

 ファンタジーでよく見かける、革の鎧を着ている自分の体が視界に入った。素人目から見ても荒く硬そうなその革は、手や胸などの要所を守り、それだけでも安心感を与えるものだった。

 それをジッと見てから、自分の胸に手を置いてみる。


「……うん、ちゃんと小さい」


 自分のコンプレックスを解決出来た事に小さな安堵を覚える。少し視線を下げれば、腰には武骨で装飾が一切されていない、鉄の剣が装備されていた


「確か説明では、初期装備は剣と革鎧で、初期スキルは《剣術》、だったよね……」


 根が生真面目な所為だろう。キャラクターメイクの時に説明された文言は、一言一句覚える程読み込んだのだ。

 今度は目線を上にしてみれば、視線の上には緑色と青色のバーが見えた。これが恐らく、俗に言うHPバー、MPバーというものなのだろう。

 表示されている数字を確認しても、いまいちピンとこない。今までゲームというものに触れてこなかった、弊害の一つだ。

 次に桜が行なったのが、自分のアカウントのチェックだった。

 拙い動きで手を動かし、目の前にタッチパネルがあるかのように、何もない空間を軽く押してみる。

 そうすれば、何もないはずの目の前には、6つのアイコンが表示される。


【プライベート】【スキル】【装備】【アイテム】【フレンドリスト\チャットツール】【設定\ヘルプ】


 一応習った通りに【プライベート】の項目を開いてみた。

 そこには、『CN:ブロッサム』と書かれた項目と空白になっている『ギルド:』があり、あとはモンスター討伐数や戦闘勝利数(当然0だ)などの数値類と、自己紹介用の空欄のみが広がっていた。


 ブロッサム。


 自分の設定した通りの名前。

 このゲーム(せかい)の中での、自分の名前。

 その事に少しだけ感動すると、口の中でボソボソとキャラクターネームを、自分に言い聞かせるように呟く。

 それから桜――いいやブロッサムは、画面を元の項目が並ぶ画面に戻し、【アイテム】という項目をタッチした。

 開かれてウィンドウの上部には、現在の所持金が記されているが、1000Mというのがどれくらいの金額かブロッサムには理解出来ないし、何より今は関係ないので無視した。

 並んでいるアイテムは、どれも初期に与えられる特典などばかりだ。《治療薬(HPポーション)》や《回復薬(MPポーション)》、スキル関係の何か(効果はいまいち分かっていない)と、《手鏡》と呼ばれるアイテムだった。

 それをタッチすれば、何もない空間に銀で装飾された手鏡が、自分の手の中に出現した。あまりにも唐突で取り落としそうになるのを慌てて堪えてから、ブロッサムはゆっくりと鏡を覗き込んだ。

 顔はあまり弄っていないので変わらないが、ブラウンの髪の毛も、同色の瞳も、今ではまるで桜の花びらのような、淡いピンク色に染められている。

 それだけでも、いつもの自分との違いを感じて、胸が高鳴る。

 ――本当に、何もかも新鮮だった。

 アイテムを手動でアイテムボックスに戻すと、ブロッサムはキョロキョロと興味深げに周囲を見渡しながら、ゆっくりと足を踏み出し始めた。




「いらっしゃい! 冒険に必要な多種多様な薬剤が揃っているよ! 今日は特別! 全品1割引で対応だ! 持ってけ泥棒!!」

「短剣・片手剣・大剣・双剣、剣だけでも種類が豊富! 買うんじゃなくて、武器のメンテナンスも受け付けるよ〜!」

「命を守るのに大事なのが、そう、この盾! どんな槍でも貫けない、刺突耐性が高い盾だよ!」


「西南部の攻略状況どうなってる?」

「あっちは《紅玉戦士団》の独占状態だし、ソロや弱小ギルドじゃ旨味ないかも」


「ねぇ、《クラン・食い倒れ》の新作スイーツ食べた?」

「食べた食べた、相変わらずめっちゃ美味しい!」


「最近《銀鎧騎士団シルバーナイツ》って態度悪いよな」

「ありゃ最近入った新人連中だろ、上はあんま変わらないよ」


「あのダンジョンありえねぇ……入る度に罠の配置変わるとか……」

地図作り(マッピング)、無駄になっちまったな……」


「……凄い、人がいっぱい」


 広場から離れて市場の様な場所に来てみれば、喧騒はさらに大きく膨らんでいた。

商店はNPCのみならず普通の開拓者達のものも並んでおり、様々な商品を並べ、自分の商品こそと売り込みをかけている。

 食べ物の出店も多い所為か、そこに屯して開拓者達は思い思いの雑談にふけっている。内容は漏れ聞こえて来ても、ブロッサムには1割も理解出来ていない。

 それでも、皆この世界を楽しんでいる事だけは伝わってきて、冷めそうになっていた高揚感はまたも上昇の一途を辿る。


「えっと、【訓練所】ってどこだろう……」


 迷子になったシマリス。それを見ている人間にとっては、そう表現出来るほど、彼女の挙動はどこか不自然なものだった。

 VRゲームに慣れていない彼女にとって、ここは言葉が通じるだけで文字通り、世界が異なる場所だ。混乱するのも、無理からぬ事だった。

 ……そもそも問題は『広場で案内役のNPCに必ず話しかける事!』という兄の忠告を、興奮と好奇心ですっかり忘れている所だったのかもしれないが。

 誰かに話しかけて聞いてみよう。

 少し不安に駆られながらも、ブロッサムは試しにとネームタグが黒く染まっている、NPCに話しかけた。

 快活で豪快そうな、一見人当たりの良さそうな笑みを見せ、ポーション類を売っている中年のおじさん。

 容姿的にも、なんとなく話しかけやすいと思ったのだ。


「あ、あの、すいません、」

「『いらっしゃいお嬢さん! 初心者さんかい? 今なら初心者割引で安くしておくよ!』」

「いえ、お買い物じゃなくて、えっと、【訓練所】の場所を教えて欲しいんですけど……」

「『ああ、【訓練所】かい? 【クエスト管理事務所】のすぐ側だと思うぜ!』」


 質問しているのに、疑問がさらに増える。


「えっと、じゃあその【クエスト管理事務所】ってどこに、」

「『街の東にあった筈だぞ!』」

「東……えっと、北ってどっちの方角ですか? いまいち分からなくて、」


「『そりゃあ俺に聞かれても困るな』」


「え」


 先ほどの朗らかさとは打って変わって、まるで機械のように――いや、本来のAIらしい、非常に硬質的な返事だった。


「あの、ですから方角を、」

「『そりゃあ俺に聞かれても困るな』」

「いえ、指差しして貰えるだけでも、」

「『そりゃあ俺に聞かれても困るな』」


 機械音声そのもののように、抑揚も変えずに同じ言葉を繰り返す彼は、外見上は開拓者と変わりない分、余計な不気味さを帯びていた。

 どうやら自分の持っている情報以上の話は出来ないのだろう。もしくは、聞き方が曖昧だったのか。

 何度かそのようなやり取りを繰り返すと、「もう良いかい? 買い物してかねぇなら邪魔だから帰ってくれ」と追い出されてしまった。


「……どうしよう」


 ボンヤリとそう呟くが、言葉以上に体の動きはそうボンヤリともしていられない。時間的に人が集まりやすい時間なのか、立ち止まっていられない程身の置き場所に困った。


 時に人にぶつかりそうになり、慌てて避けて進み。


 明らかにナンパな開拓者に挟まれ、少し恐怖心を感じて逃げ出すように走り出したり。



 押し売りにも近い開拓者の露天商に迫られ、思わず逃げ出したり。

 右へ左へ、時にはよく分からない道に入り込み、さらに時々行きたい道をまるでサイのように巨大な家畜に遮られたり、様々な弊害に遭遇していれば、



 当然、迷う。



「ここ、どこ……」


 今にも崩れ落ちてしまうのではないかと思える程、ブロッサムの声色には絶望の色合いが濃かった。

 気付いた時には、あんなに巨大に見えた城は少し遠く、心なしか小さくなったように見える。

 周囲の景色は先ほどまでの綺麗な街の風景とは一転して、鬱蒼とした木々が広がっている森の中だった。爽やかな風は何処へやら、今は蒸せ返るような草の匂いと、肌に纏わり付くような湿度の高い微風が支配している。

 何故こんな場所にきてしまったのか。混乱していた所為で道順が曖昧になってしまっていたのは確かだが、自分でも自分の方向感覚が全く信じられなかった。

 市場で何度も開こうとしたメニュー画面を開き、地図なり戻る方法を探してみたが、とてもではないが全くといって良いほど頼りない。

 地図らしきものはどこにも存在せず(ゲームはそういう物があるものだと思い込んでいた)、ヘルプ画面を開いて該当する質問を検索してみても『NPCに尋ねてみてください。きっと快く答えてくれます』などという既に役に立たない情報ばかり。


 いっその事、GMコールでもしてみようか。


 そう思ってボタンを押そうと指を動かしてみるが、こんな事で頼ってはいけないのでは、という考えがその指の動きを止めた。

 当たり前の話だが、結局、変わったように感じたのは外見だけで、中身はそれほど変化していなかったのを思い知る。

 浮かれて舞い上がって、調子に乗る。いつものパターンだった。


「――ううん、何とかなる」


 俯いてしまっていた顔を上げて、自分の頬を叩く。

 VRゲームでは痛覚の制限がされているのか、それほど痛みは感じない。だがそれでも、自分の中での弱気スイッチをオフにする効果くらいは持っていた。

 何かが変わるかもしれない。

 ひょっとしたら自分自身を変えられるかもしれない。

 そんな期待感を持って始めたのだ。こんな最序盤で挫けていてはどうしようもない。

 取り敢えず歩くしかない。そう思って歩き始めようとした時、背後でパキリッという枝が折れる小気味良い音と、生き物特有の気配を感じた。

 人かもしれない。

 そんな喜びと共にブロッサムは振り返った。




 そこには、大きな猪が群れていた。




 赤毛な筈なのに、毛先と牙が毒々しい紫色をした、現実の猪ではあり得ないサイズのものだった。よっぽど怒らせなければそうはならない筈なのに、ブロッサムを見る目は、怒りで爛々と輝いている。

 全部で3体。

 それを見るだけで、本能が『逃げなければいけない』と囁いた。

 ――その勘は、間違っていない。

 その猪は〈ファイティング・ボア〉、通称ボアと呼ばれるモンスターだ。

 中心都市である【始まりの街】から比較的近い低ランクゾーンの中でも、唯一能動的に開拓者を襲うアクティブ・モンスター。




 つまり、ここは戦闘フィールド。

 兄に何度も注意されている場所だった。




「あ、」


 勘は逃げろと言っているはずなのに、明確な敵意に足が竦む。

 その一瞬の躊躇を、ボアは見逃さなかった。

 一番前に陣取っていた個体が、補足も強靭な四肢を駆動させ、一気にブロッサムとの間合いを詰める。

 ついさっきゲームを始めたばかりのブロッサムにとって、それはもはや瞬間移動と言っても過言ではないほど素早い動きだった。

 ボアの攻撃方法は、極めて単純――その鋭い牙と推進力を利用した〝突進〟だった。


「カハッ――」


 軽減されているとはいえ、初体験の圧迫感と痛みでほんの少しだけ息が止まる。

 視界の端に入っているHPバーはその半分を失い、鮮やかな緑は紅葉するように黄色く変化している。

 何も知らない自分でも、それはHPが減らされたと理解した。

 それが、このゲーム世界での死に直結する事も。


「ヒッ、」


 引き攣るように呼吸を再開すると、そこからのブロッサムの行動は自身が想像するよりもずっと早いものだった。

 腰に下げていた剣をなんとか抜き放ち、がむしゃらにボアの背中部分に切っ先を振り下ろす。

 技術も何もない、スキルランクの所為で攻撃上昇効果すらまともに乗っていない、傍目から見れば拙い攻撃。

 しかしそれでも、その切っ先がボアを傷付けるには十分だった。


『――――――ッ!!』


 ボアは金切り声のような悲鳴を上げ、直ぐにブロッサムから距離を離す。

 こちらから見えるボアのHPは、全体の20%も減っていないように見えた。その代わりに、HPバーの横には赤い滴の絵が描かれたアイコンが表示され、それが明滅するタイミングでHPが減少しているのが分かる。

 傷付けた。

 戦える、抵抗出来るんだ。

 たったそれだけの事で、膝から強張りが抜けそうになる。

 ――だが甘い。

 彼女が抵抗した事により、モンスター達の意識は変わる。

 『ただの獲物』から『敵対者』に向ける殺意に変わる。




 ――それはつまり、彼女の地獄がここから始まるという事だった。







次回の投稿は今日の21時に行います。


『《勇者》ト《眷属》ノ物語』もどうかよろしくお願いします。

https://ncode.syosetu.com/n0608du/



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