39時限目 恋人の告白
そして本格的な冬がやってきた。
寒い。
つい先日まで穏やかだった風は、秋の仮面を捨てて音もなく忍び寄り、容赦なくぼくたちの肌を突き刺してくる。
白い息を吐く度に、体温が奪われているような気がした。
陽も日に日に短くなる。
いつもの放課後の1時間が終える頃には、外は真っ暗になっていた。
ぼくは今でも詩子さんと会っている。
大切な1時間をいつも通りに――いつも通りに過ごしている。
他愛のない話を。
家族の話を、クラスのことを、将来のことを、昨日読んだ本の話を、ちょっとした噂話を、思い出の話を。
人が聞けばたいして面白い話ではないかもしれない。
けれど、ぼくたちには大切な話だった。
詩子さんといられる1時間。
だが、これも3学期の終業式には終わる。
最近、詩子さんを見ると、自然と涙が浮かびそうになる。
それを必死に堪えて笑顔に変えている自分がいる。
少し……つらい。
いや、きっと――つらいんだ、ぼくは。
この1時間が始まって、はじめて感じた感情だった。
ぼくにとって詩子さんとの1時間は何よりも大切で、重要なものだ。
だから、つらい。
失うことが、身が竦むほど怖い。
何より、それを知らず、ぼくに笑顔を振りまいてくれる詩子さんの顔を見るのが。
つらい……。
12月になり、クリスマスがやってきた。
24日に円卓のメンバーを集めて、姫崎家でパーティーをした。
久しぶりに楽しんだと思う。
みんながみんな、最後だと思っているからだろうか。
目一杯楽しもうとしていた。
いいクリスマスパーティーだったと思う。
すぐ冬休みになった。
詩子さんは家族と一緒に海外で過ごすのだという。
たぶん、真具さんの提案かも知れない。
今から海外で暮らすのにならしておこう。
そういう魂胆なのだろう。
真具さんは娘のことを考えるいい父親だと思う。
でも、ぼくは好きになれない。
結局、自分のためなのだ。
そして、それすら真具さんはわかっていて、よしとしている気がする。
ぼくには理解出来なかった。
海外だろうと、メールは打てる。
何度もやりとりした。
時々、画像付きで送られてくる。
いつもたくさんの雪に囲まれている詩子さんは、とても楽しそうだった。
ぼくも楽しかった。
皮肉なことに彼女の顔を見ずにすむメールのやりとりの方が、気が楽だったからだ。
どんどん卑屈になっていく自分を感じていた。
いっそ詩子さんがいない方が楽なんじゃないか。
そう思う自分がたまらなく空しかった。
そして3学期が始まった。
久しぶりにあった詩子さんは、やはり詩子さんだった。
ぼくと同じく久しぶりに尊顔を拝するファンたちに囲まれ、登校し、普段通りキレのいい返事を何故か外国語で返していた。
ぽかんとする生徒を尻目に校舎へ入り、円卓の警備のもと、授業の用意を始める。
ぼくと目が合うと、少し嬉しそうに口元を緩めた。
安心する。
久しぶりに会ったというのもあるだろう。
けれど、あれから随分と時間が経っている。
皮肉にも真具さんが用意した冷却期間は、ぼくの心情に上手く作用したらしい。
ぼくたちは例の教室で、今年になって初めての1時間を使った。
がらりと引き戸を引く。
すでに薄暗かった。
燃えるような茜色は消え失せ、焼失直後の廃屋のようだ。
薄い影が伸びる。
オニキスの瞳が暗闇の中でも光っていた。
そして、詩子さんは最高の笑顔を振りまく。
「こんにちは、帝斗くん」
「うん。こんにちは、詩子さん。……なんか久しぶりだね」
「……ずっとメールのやりとりでしたから。あ、どうぞ」
詩子さんは席を勧める。
ぼくは鞄を下ろし、いつもと同じ席に座った。
「海外、どうだった?」
開口一番にぼくは尋ねた。
詩子さんは一瞬黙る。ぼくの質問に少し戸惑うような間だった。
「え、ええ……。楽しかったですよ。ずっと雪がふわふわと落ちてきて。一面が真っ白で。あんな大雪、初めて見ました」
「雪か……。いいなあ。見てみたいな」
「今度は、一緒に行きましょう」
「うん? ……う、うん」
…………。
沈黙が降りる。
詩子さんは突然、パンと手を叩いた。
鞄の中から手乗りサイズぐらいの熊のぬいぐるみを取り出した。
頭にはサンタクロースが被るような赤い帽子がのっている。
「お土産です。男の子にぬいぐるみはどうかと思うんですけど、あまりに可愛かったので」
「いいの?」
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
ぼくはぬいぐるみを見つめる。
ふわふわしてほのかに暖かい。
しげしげと眺めていると、「やっぱり」と詩子さんはいった。
「帝斗くんにそっくりです」
「え? そうかな?」
ぼくはわざとぬいぐるみと顔を合わせて、詩子さんの方を見る。
すると、大爆笑だった。
バンバンと机を叩きながら、珍しく大口を開けて笑ったのだ。
「そんなに似てる?」
ぼくはムスッと頬を膨らませる。
「似てますよ。とっても」
「ぼくはどっちかというと、詩子さんに似ていると思うけどな」
「わたしですか?」
「うん。目元の辺り。くりっくりっとしたところがそっくりだ」
ぼくは詩子さんの頬にぬいぐるみを押し当てた。
両者を見比べると、ぼくは「ぷぷぷ」と吹き出す。
「そ、そんなに笑わなくても」
「だって、姉弟みたいなんだもん」
「もう――へっくち」
詩子さんは肩をさする。
最近寒いけど、今日は一段と寒い。
教室にはぼくと詩子さんしかいないから、余計に空気が冷たく感じる
「詩子さん……」
「はい?」
鼻を啜りながら、詩子さんは目線を上げた。
ぼくは隣を指さす。
「そっちに座っていい?」
詩子さんは一瞬驚いた後、柔らかく笑った。
「いいですよ」
椅子を半分空ける。
ぼくは自分の大きなお尻を乗っけた。
ちょっと窮屈だけど、彼女の体温が伝わってきてちょうどいい。
ぼくは着ていたコートを広げ、詩子さんと一緒に被る。
お互いの身体をくっつけ、コートの中で寄り添った。
「あたたかい……」
ほっと詩子さんは呟く。
ぼくも同意した。
あたたかい。
心も体もボロボロだったぼくにとって、詩子さんの体温は涙が出るほど嬉しかった。
「帝斗くん」
「ん……?」
「会いたかった」
「うん。ぼくも詩子さんに会いたかったよ」
見つめ合うと一瞬だった。
詩子さんの唇に吸い込まれるように、ぼくはキスをする。
唇は冷たかったけど、その口内は燃えるように熱かった。
ようやく唇を離す。
お互いトロトロに溶けた顔を見つめ続けた後、改めて身体を寄せた。
特に何か言葉をかわすわけでもなく、ただただぼくたちは寄り添った。
好きな人とこうしているだけでいいんだ。
それ以上は望まない。
なのに……それすら許してくれないなんて。
あまりにひどすぎる。
目頭が熱い。
ぼくは必死に堪えた。
泣くものか。
彼女の前では決して……。
笑っていてほしい。
詩子さんを心配させるようなことはしたくない。
やがて、1時間が終わろうとしていた。
あっという間だった。
こんなに短かっただろうか。
すると、おもむろに口を開いたのは、詩子さんだった。
「帝斗くん、わたし……海外に行こうと思います」
次回更新は1時間後です。
 




