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36時限目 恋人と泳ぐ。

 オイルを塗り終わると、ぼくと詩子さんは浜辺を眺めながら談笑した。

 学校の例の教室と同じだ。

 他愛のないお話。

 今日は、この島のこととか、詩子さんの両親について話をした。


「ちょっと意外……」


「何がですか?」


 ぼくの言葉に、詩子さんは首を傾げた。

 理采と鈴江、それと鳥栖さんを誘って、ビーチバレーを始めた詩子さんのお父さんを見つめる。

 始めた当初はぎこちなかったが(理采は除く)、今ではすっかり意気投合していた。

 あの年で娘の友達と仲良くなれるのって、やはり人徳なのだろう。


 溌剌としていて、来年50とは思えないほど、若々しかった。


「詩子さんのお父さんだよ。ぼくはてっきり『どこの馬の骨ともわからん若造に、俺の娘はやれん』とかいわれると思ってた」


 声の調子を変えていうと、詩子さんはクスクスと笑う。


「すでに父には報告していましたから。といっても、わたしが切り出す前に知っていたんですけど」


 さすがは姫崎グループの総帥だ。

 色々な情報網を持ってそう。


「そんな大した理由じゃありませんよ。ほら、夜に通学路とか歩いたじゃないですか。ああいうことをするのって、どうしても父の力が必要になるから。事前にお知らせがいっていたんだと思います」


 なるほど。

 そういえば、ラーメン屋さんを買収したとかもあったなあ。

 あの店ってまだあるんだろうか。


「子供のわたしから見ても、父は子煩悩なので。離れていても、気にかけてくれているんです」


 世間から注目される詩子さんのことは、特に心配なんだろうな。


 でも、ホント反対されなくて良かったよ。

 お父さんと会いに行くって聞いた時は、飛行機から飛び降りたいぐらいビビったからね。


「……そんなことを思ってたんですか、帝斗くん」


「だってさ」


「わたしはてっきり『娘さんをぼくに下さい』とかいってくれるものかと」


 な、なななななな……。


 急に顔が熱くなる。

 南国のビーチで茹で蛸になったぼくを見ながら、詩子さんはクスリと笑った。


「冗談ですよ」


 冗談か……。

 それは一抹の寂しさを感じるというか。

 冗談を冗談にできないというか。


 ぼくたちは高校生だ。

 どう考えても、お付き合いの先にあるゴールを考える年齢でもない。


 でも、したい!

 ぼくは詩子さんと結婚したいと思っている。

 けれど、一方で自信はない。

 そもそも彼女を養うだけの力もない。

 それに詩子さんの側にいられるほど、認められていなかった。


 今は2人で話をしていても、誰も咎めない。

 だけど、これは姫崎家の力によるものだ。

 ぼくの力ではない。

 学校に帰れば、たった1時間しか会えない恋人同士になってしまう。

 その1時間すら、会長は姫崎家のバックアップがあっての話だ。


 なりたい!

 姫崎詩子にふさわしい男に。

 ぼくはなりたいんだ。


 それまでは、そっと胸にしまっておこうと思う。


「仲良きことは美しきかな……。そうやって恋人同士が語らっているのを見ると、詩子がますます美しく見えるね」


 ビーチバレーボールを持った詩子さんのお父さん――真具さんが立っていた。

 目を細め、本当に嬉しそうだ。


「ところで、帝斗くん。妹さんに聞いたのだが、君の唯一の特技は水泳だそうだね」


「え? そうなんですか?」


 意外――と詩子さんはぼくを見つめた。


 特技というか。単に昔、水泳を習っていて、一通り泳げるだけだ。

 考古学者でありながら、海外でサバイバル生活のようなことをしている両親の勧めもあって、始めた。

 昔からぽっちゃりだけあって、水の中で自然と浮いてしまうため、特に怖がることもなく、小学生の間ずっと続けていた。


 今でも時々だけど、市内の温水プールで泳いでいる。


「特技ってほどでもないですけど。まあ、一通りは」


「素晴らしい。どうだい? 一緒にあの岩場まで泳がないか?」


 お父さんはゆびさす。

 およそ1キロ弱だろうか。

 プールでもそれぐらいは泳いでいるので、たぶん問題はないだろう。


「でも、ぼく――泳ぐの遅いですよ」


 たぶん、クロールでは体力がもたない。

 平泳ぎでゆったり泳がないと。


「それはいい。私もスピードはないからね」


「わたしも泳いでいいですか、お父様」


「もちろん。久しぶりに一緒に泳ごう、詩子」


「はい」


 詩子さんは嬉しそうだった。


 そんなこんなでぼくたちは、岩場まで泳ぐこととなった。

 入念に準備体操をし、いざ入水する。

 初めて足を付けたけど、南国の海とは言え、海水は冷たかった。

 だけど、30度を超える気温の前では、氷嚢に足をつけているみたいだ。


「では、いこうか」


 真具さんが先導する。

 その後に、ぼくと詩子さんが付いていった。


 南国の海って波が高いというイメージがあったけど、特にそんなことはない。

 裏海だからだろうか。

 非常に穏やかで、海でも泳ぎにくいことはない。


 海はどこまでいっても透明だ。

 顔を付けると、様々な魚が泳いでいるのが見える。

 時々、小さなサメっぽい魚も泳いでいて、ちょっと驚いた。

 ところどころ珊瑚のようなものが繁茂している。

 日本にいては眺めることが出来ない光景に、ぼくの心は躍った。


 だけど、中盤にさしかかってくると、そんな余裕もなくなる。

 やっぱりプールで泳ぐのとは違う。

 まだ余力はあるけど、帰りのことも考えて、少しセーブしなきゃ。


 徐々に真具さんと詩子さんとの距離が開いていく。

 予想はしていたけど、2人とも運動神経がいい。

 少しぼくが遅れていることに気づいて、詩子さんは振り返る。

 立ち泳ぎしながら、ぼくを待っていてくれた。


「帝斗くん、大丈夫ですか?」


「うん。大丈夫。ちょっとペースを遅らせてるだけだから。先にいってて」


 詩子さんはどうしようかと迷った後、再び泳ぎ始めようとした。


 ――時だった。


「あ――」


 詩子さんが声を上げた。

 顔が苦悶に歪む。

 先ほどまで優雅に泳いでいた彼女は、慌てて水をかき始めた。


 きっと足がつったんだ。


「詩子さん!」


 ぼくは叫んだ。

 クロールに変えて、急いで現場に急行する。


「帝斗くん!」


 詩子さんはぼくに向かって手を伸ばした。

 ぼくも腕を伸ばす。

 だが、一瞬遅かった。

 力尽きた彼女が、南国の海に消える。


「詩子!」


 随分、遠くまで泳いでいた真具さんがようやく事態に気づく。

 浜辺の方も慌ただしくなってきた。

 ライフセーバーがもしものために用意していた水上バイクをふかす。


 だが、どちらにしろ間に合わない。


 ぼくは大きく息を吸い込んだ。

 口の中に空気を一杯にため込むと、潜水する。

 海の中で目を開けると、エメラルドグリーンの空間が広がっていた。

 まるで異星にいるようだ。


 感動している場合ではない。

 いつの間にか水深は、5メートル以上になっていた。

 透明度が高く、底の岩場が見える。


 その中間で、必死にもがく詩子さんの姿が見えた。

 白い泡を吐き出し、手で水を掻くが、全く浮上しない。

 完全にパニックになっていた。


 詩子さん!


 心の中で叫びながら、ぼくは水を押しのけるように潜水する。

 浮くのは得意だけど、潜るのは得意ではない。

 でも、今はそんなことをいってられない。


 壁のように押しのける浮力に抗いながら、ぼくはようやく詩子さんの腕を取った。

 すでに半分意識を失っている。

 けれど、ぼくを見たのはわかった。

 安心したのだろう。

 瞬間、堪えていた息を一度に吐き出した。


 詩子さんの中にあった空気が、まるで魂のように上昇していく。

 かすかに残っていた意識も、風前の灯火だった。


 まずい!


 それはもう反射的だった。

 躊躇も、逡巡もない。大脳で考えるまでもなかった。


 ぼくは詩子さんの唇に、自分の唇を押しつけていた。

 一気に彼女に空気を押し込んでいく。

 だらりと垂れた手足に反応があった。

 みるみる生気を取り戻していく。


 だが、ここで問題発生――。


 今度はぼくの息がまずくなる。

 視界がかすんだ。

 異界の景色が、空気のない真っ暗な宇宙空間へと変貌する。


 ああ……。


 そんな中、はっきりと見えたのは詩子さんだった。



 ああ……。やっぱりぼくの彼女は、綺麗だな。



 そこで意識が断たれた。


次回は1時間後です。

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