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30時限目 詩子さんがいない1日

本当に詩子さんがいない1日です。

 赤煉瓦の上に薄らと水たまりがたまっていた。

 水を跳ね上げながら、ぼくは光乃城学園の玄関に向かって疾走する。

 ようやくひさしに屋根があるところまでに辿り着いた。

 多くの生徒が集まり、傘をたたむ中、ぼくは空を見上げる。


 鈍色の雲が水平線の方まで続いていた。

 雨は激しく、耳の側で常に拍手喝采を受けているような状態だ。


 すごい、雨だな……。


 迷惑そうにぼくは怪訝な顔を浮かべた。

 大きめの傘を用意したけど、あちこちずぶ濡れで、ポケットに突っ込んだままハンカチは全く水分を吸い取らない。

 朝、理采が用意してくれたタオルを学生鞄から出して、とにかく水気を払う。

 とりあえず応急処置をした後、もう1度鉛色の空を眺めた。


 まるで神様が泣いてるみたいだ。

 一体、何を悲しんでいるのだろう。


 変に比喩的になったけど、別に前振りというわけではなかった。

 ふと自然にそう思っただけなんだ。

 きっと、昨日雨の中、妹キャラを抱きかかえた主人公が嗚咽を漏らすシーンをゲーム内で見たからかもしれない。


 予鈴が鳴る前に、教室に辿り着く。

 普段は、クラスメイトの声で溢れかえっているのに、今日は妙に静かだった。

 それどころか嗚咽が聞こえてくる。


 首を傾げながら、引き戸を引くと、いきなり号泣した園市と出くわした。

 すっごく醜い……。


「み、みかどぉぉぉ……。俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ」


「初っぱなから人生相談するなよ。可愛い妹好きの妹じゃあるまいし」


「馬鹿野郎! 冗談言ってる場合か!?」


 園市はいつになく真剣だった。

 そしてマジ泣きだった。


 え? 一体、何があったの?


「お前、何にも知らないんだな」


 すると、園市はすっと腕を上げて、ある机を指さした。

 教室の端の窓際の席――詩子さんのだ。


 しかし、彼女はいない。

 今頃ならとっくに椅子に座り、1時限目の授業の用意をしているはず。

 なのに、机の上には花瓶と、淡い紫色の桔梗が1輪ささっていた。


 それだけではない。

 お菓子やぬいぐるみ、果ては高そうなお酒まで置いている。

 寄せ書きが書かれた色紙が、花瓶にもたれかかっていた。


『今までありがとう、姫崎さん』

『ずっと好きだった。これからも一生好きだ』

『あなたなしでは生きていけません』

『どうかもう1度、元気な姿を見せてください』

『神様お願い! 詩子さんを返して!』


 感謝とも、悲痛な叫びともとれる文言ばかりだ。


 振り返れば教室の空気は沈んでいた。

 あちこちで女子の嗚咽が漏れ、男子も堪えきることが出来ず、机を濡らしている。


 そうやって、ぼくはようやく事態を掴んだ。


 うそだ……。


 気がつけば、予鈴直前の廊下に飛び出していた。

 闇雲に走り回る。

 何かわからないが、とにかく走らなきゃと思ったんだ。

 そうしないと心が壊れそうだった。

 不安がぼくの拍動を止めようとする。


 目頭が熱い。

 泣きそうになるのをぼくは堪えた。

 なんとしてでも、真実を知るまでは泣かない。

 そう固く誓った。


 ともかく職員室に向かう。

 詩子さんの不在理由。

 担任でも、用務員でも誰でもいい。

 彼女がいない理由を教えてほしかった。

 今、詩子さんがどうなっているのかが知りたかった。


 階段を転がるよう降り、角を曲がる。


「キャッ!」


 女の子の悲鳴が聞こえた。

 見ると、赤毛の女子生徒が少し湿った廊下に尻餅をついていた。


「ご、ごめんなさい」

「うん? なんだ、大久野くんじゃないか」


 生徒会長だった。

 詩子さんのお姉さんはムッと睨み付ける。

 むくれた顔のまま、ぼくに向かって手を差し出した。

 腕を取り、会長を引き起こす。


 ところでさっきの悲鳴って本当に会長の声だったのだろうか。

 意外と女の子みたいに声を上げるんだな。


「失礼な。私をなんだと思ってるんだ。これでも歴とした乙女だぞ」


「す、すいま――。いや、そんなことよりも」


「そんなこととはなんだ。君ねぇ。いくら私がアンドロメダ星雲よりも寛容で広い心の持ち主だとしても、言っていいことと悪いことが――」


「詩子さん! どうしたんですか?」


「はあ?」


「学校に来てないんです。みんな泣いてるし。机の上には花とか寄せ書きとか」


「ちょ! 落ち着きたまえ、大久野くん」


 会長は怪訝な表情を浮かべる。

 大きな双眸に、泣きそうな顔のぼくが映っていた。


「なるほど。君が慌ててたのはそういうことか」


 べしっとぼくの頭にチョップした。

 いつもはケラケラ笑っている会長が、珍しく口のへの字に結ぶ。


「君は詩子の恋人なんだろ? もう少し堂々としたまえ」


「で、でも――」


 逆だ。

 恋人だから堂々となんて出来ない。

 平静なんて絶対に無理だ。

 だって、大事な人なんだ。

 詩子さんはぼくにとってかけがえのない存在なんだから。


 会長は「ふー」と息を吐き出した。


「案ずるな。詩子は生きてる」


「へ?」


「単なる風邪だ。今、担任にも伝えてきた」


 …………へ?



 ◇◇◇◇◇



 紛らわしいんだよ!

 うちのクラスは!


 いや、わかるよ。

 詩子さんが生きがいだっていう人が、クラスだけじゃなくて、学園全体にいることが。


 でもさ。

 さすがに花や寄せ書き、挙げ句お菓子やぬいぐるみってやり過ぎでしょ!

 交通事故の現場じゃないんだから!

 軽くいじめだろ、これ!


「馬鹿野郎! 詩子さんが1日いないんだぞ! いや、1日どころじゃない。風邪となれば、数日は休み取ることになるかもしれない。……ああ。考えただけで、血を吐きそうだ」


 どんな病気だよ!


 さすがに大げさだと思うけどなあ。

 心配は心配だけど、会長はちょっと微熱が続いている程度だ、とはいってたけど。


 ……メールだけでも打っておこうか。


 こうして詩子さんのいない日が始まった。





「大久野! 大久野! 聞いているのか!?」


 教師の声が聞こえて、ぼくは反射的に立ち上がった。

 古文の教師が、教科書を片手にぼくを睨んでいる。


 やばい! 結構、怖いと有名な先生だ。


「聞いてなかったのか?」

「は、はい」

「――ったく。どいつもこいつも。137ページ。3行目からだ」

「はい」


 慌てて教科書を持ち上げ、ぼくはいわれたページを捲る。

 なんとか無難にこなし、席に座った。


 時計を見る。

 まだ3時限目の途中だ。


 長いな……。


 ぽつりと心の中で思った。

 ちらりと詩子さんの席を見る。

 様々なものが乗っかっていた机の上には、花だけが活けてあった。

 さすがに問題があると思ったのだろう。教師が撤去したのだ。


 なんとも不思議な感覚だった。

 いつも当たり前のように座っている詩子さんがいない。

 たったそれだけのことなのに、ぼくの心どころか、何か世界に大きな穴が出来たかのような喪失感を感じる。


 彼女はまだ生きていて、家の中で微熱と格闘しているとわかっていてもだ。


「早く終わらないかな」


 思ったことをぽつりと呟く。

 再び古文の教師に睨まれてしまった。





 昼休みの教室も、お通夜だった。

 人の声よりも、外の雨の方がうるさいぐらいだ。

 園市は理采のお重弁当をやけ食いし、食欲のないぼくの代わりに全部食べてしまった。

 ちなみに今日の味付けは、少し塩辛かったのだという。


 午前中に打ったメールを確認する。

 返事は返ってきてない。

 メールを打てないほど、重傷なのかな……。

 もう1度打とうとしたけど、催促しているようで、途中でやめた。


 5時限目が始まる。


 長い……。

 時間の底なし沼に入ったかのようだ。

 自分の一挙手一投足すら重く感じる。


 あと2つも授業があるかと思うと、吐き気がしそうだった。


 我慢しろ。

 言い聞かせていると、つと思った。


 放課後、ぼくたちは会えないんだ……。


 付き合い始めてからずっと文化祭の準備期間以外、毎日1時間他愛のない話をしてきた。

 会わない日の方が少なかった。

 圧倒的にだ。


 なのに、たった1日。

 いや、1時間会えない……。


 ぎぃぎぃ。


 心が削れる。

 奇妙な音を立てて、ヤスリ掛けされているようだ。


 たった1時間の幸福がない。

 そう思った時、抑えていた気持ちが決壊した。


 会いたい……。





 ようやく放課後になる。

 とうとう詩子さんの顔を一目も見ずに、学校が終わろうとしていた。

 校門に出待ちの生徒がいない。

 肩を落とし、素通りしていく。

 とても奇妙な光景だった。


 ぼくは例の教室に来ていた。


 朝からの大雨はすっかり止んでいる。

 雲間がのぞき、茜色の光が窓から手を伸ばしていた。

 まるで誰か探しているように見えた。


 いつも通りの教室。

 だが、詩子さんがいないだけで、異界のようだ。


 顔を上げる。


 泣きそうだ。

 彼女はいる。

 きっとこの同じ夕日を見てる。

 なのに、心が壊れそうなほど不安だった。


 もうぼくは、詩子さんなしには生きていけないのかもしれない。


 姫崎詩子はぼくの一部だ。

 なくてはならない存在だ。


 ああ……。

 いつの間にこうなっていたんだろう。

 詩子さんに初めて告白した時からか。

 それとも初めて手を繋いだ時からか。

 口づけをした時からか。


 わからない。

 でも、理解したところで、この気持ちが収まるわけでもない。


 突然、教室の扉が開かれた。


「詩子さん!」


 思わず声を上げる。

 だが、当然そこには彼女はいない。

 入り口に立っていたのは、見知った幼なじみだった。


「なんだ、鈴江か」


「なんだとはなんだ?」


 鈴江は大きく息を吐き出す。

 やがて教室に足を踏み入れた。


「やっぱりここにいたか……」


「なに? なんか用?」


 たとえ鈴江であっても、教室に入ってきてほしくなかった。

 ここはぼくと詩子さんが出会った聖域。

 初めて手をつなぎ、口づけをかわし、ダンスも踊った場所だ。


 特に今日のぼくはいらだっていた。


「ひどい顔だ」


 ぼくに近づくなり、鈴江は目を釣り上げいった。

 スカートのポケットから明らかに女物とわかるハンカチを取り出す。

 ぼくの目の周りをそっと拭った。


「お前は昔からそうだ。辛い時ほど、人を遠ざけようとする」


「わ、わるかったね」


「ああ。悪い……。こういう時ぐらい幼なじみを頼ったらどうなんだ?」


「鈴江に頼ったからって、どうにも――」


「そんなに目を腫らして。心配なら、お見舞いにでもいってきたらどうなんだ?」


「え? でも、突然押しかけたりしたら。その――きっかけが」


「きっかけがあればいいんだな?」


 鈴江はそこでニヤリと笑った。

 持っていた鞄の中から、数枚の用紙を取り出す。

 今日、授業でもらったプリントだ。


「担任にいわれてな。私が届けることになった」


「え?」


「ところが、私はちょっと野暮用があってな。行けなくなった。代わりの人を探しているんだが、心辺りはあるか?」


 鈴江……。

 もしかして――。


 またじわりと涙が浮かびそうになる。

 ぼくは制服の袖でごしごしと拭った。


「相変わらず、鈴江は素直じゃないな。はっきり頼めばいいじゃないか」


「お前に言われたくない」


 ぼくは無意識に笑った。


「ようやく笑ったな。今日のお前は見てられなかったぞ。ずっとゾンビみたいだった」


「そ、そんな顔をしてた?」


「そんな太ったゾンビはいないがな。帝斗……。お前はオークだ。もう少し貪欲になれ」


「それって激励のつもり?」


「最大限の賛辞だが? そう聞こえなかったか?」


 ぷ……。


 思わず吹きだした。

 いつも詩子さんと一緒にいる教室で、ぼくは幼なじみと一緒に笑い声を上げた。


 少しだけ気持ちが軽くなる。

 泥のような時間の中で、ようやく進み始めたような気がした。


「ありがとう、鈴江」


「ああ。頑張ってこい」


 パンと、鈴江はぼくの広い背中を叩くのだった。


明日の1話を持って、一旦連載がストップします。

さらに次のお話から終章となり、少し長めのエピソードを書こうと思っています。

最終回まで一気にお出ししようと考えていますので、しばらくお待ち下さい。


今後ともよろしくお願いします。

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