26時限目 相合い傘と誤算
台風の日に書きました!(特に意味はない)
雨だ。
鈍色の雲からしとしとと降り始め、校庭や赤煉瓦を薄らと濡らしている。
砂場になっているところでは、水たまりができて、いくつもの波紋が広がっていた。
外の体育会系の部活の部員たちは、校舎に入って入念にストレッチしている。
一部の学生は、ぼくと同じく玄関のひさしの下で、灰色の空を眺めていた。
「弱ったな」
次々と傘を開き、家路につく学生を見送りながら、ぼくはもう1度鞄をのぞき込む。
折りたたみの傘はどこにもない。
実は、今日傘を持ってこなかったのだ。
天気予報では夜半頃といっていたので、完全に油断していた。
ぼくのような生徒は他にもいたのだろう。
学園が貸し出ししてくれる傘も、ぼくが帰る頃にはなくなっていた。
降られて帰るか。
幸い、家は遠くない。
濡れ鼠ならぬ濡れオークになってしまうのは否めないけど、致し方なかった。
覚悟を決め、頭に鞄を乗せる。
不意に人影がぼくの横に立った。
ばっと傘を広げると、ぼくの頭の上に差す。
視線を上に。
眼鏡姿の詩子さんが立っていた。
目深にマフラーを巻き、いつも提げている黒髪をアップにして、髪型を変えている。
いつもと印象がまるで違うけど、間違いなく詩子さんだ。
「うた――」
名前を呼ぼうとした時、詩子さんは「しー」と人差し指を口元に当てた。
挨拶の代わりに、眼鏡の奥でニコリと微笑む。
そして声をひそめ、こういった。
「行きましょうか」
すぐに理解できなかった。
詩子さんは傘を持ったまま歩き出す。
ぼくもそれに倣った。
奇しくもぼくたちは、1本の傘の下で一緒に歩き出す。
相合い傘と気づくのに、たっぷり10秒を擁した。
そのまま詩子さんは、勇敢にも出待ちの生徒たちがいる校門へと向かう。
雨だというのに、その数は全く減る気配がない。
傘の代わりに特製の団扇を持って、出迎えようとする生徒までいた。
相変わらずの熱狂ぶりだ。
でも、このまま行くとまずいんじゃ。
心配そうに詩子さんを見つめた。
それが伝わったのだろう。
またニコリと笑う。
そして、傘を少し深く差し、やや前にして顔を隠すような態勢を取った。
こんなので誤魔化せるかなあ。
そう思っていたが、案外あっさりと校門を通り抜けることに成功した。
通学路に出る。
まだまばらに生徒はいるが、ともかく第一関門突破だ。
突然、詩子さんは「ぷはっ」と息を吐き出した。
まるで今まで呼吸を止めていたかのようなリアクションだ。
「緊張しました」
やはり小声でぼくに話しかける。
顔を上気させて嬉しそうだ。
「ぼくも……。ハラハラしたよ。詩子さんって、意外とギャンブラーなんだね」
「ギャンブラーですか。わたしは、別にバレてもいいかなって思ってたんですけど」
雨音でよく聞こえなかった。
彼女は今、なんていったのだろうか。
「詩子さん……」
「でも、良かったです。こういう形ですけど、帝斗くんと一緒に帰ることが出来て」
「ぼくも嬉しいよ。……あ。傘、ぼくが持つね」
傘の柄を取ろうとする。
つと詩子さんの指先に触れてしまった。
冷たい。
当然だ。まだ秋とは言え、今日は寒い。
氷雨がどんどんぼくたちから体温を奪おうとしていた。
傘を持つ詩子さんの手に、自分の手を重ねる。
「これでもいいかな」
詩子さんは嬉しそうに顔を緩める。
「……はい」
ぼくたちはゆっくりと歩を進めた。
いつもの1時間とは違う彼女との時間。
天候と詩子さんの奇策が生み出した宝物だ。
会長や鈴江、洗馬州さんは今頃慌てているだろうな。
きっと今、ぼくたちは多くの人に迷惑をかけているのかもしれない。
それでも幸せだった。
「大久野くん、肩――」
「え?」
「濡れてますよ」
ぼくの左肩がぐっしょりと濡れていた。
身体が傘の下に全部収まっていない。
小心者なのに、やたらと肩幅が広い太っちょのぼくの体型のせいだ。
詩子さんの傘なのに、彼女を押し出すわけにはいかなかった。
「もっと寄せてくれてもいいですよ」
「それじゃあ、詩子さんに悪いよ」
「わたしも寄せますから」
「あ……」
何がしたいのかわからなかった。
ぼくたちはお互いを支えるように肩を合わせた。
制服越しだったけど、彼女の体温が伝わってくる。
今にも拍動が聞こえてきそうだ。
湿った髪の毛から詩子さんの匂いが漂ってきた。
それだけでぼくの頭はトロトロになる。
こんなことをしても、道行く生徒は気づく様子もない。
仲睦まじいカップルにしか見えないんだろうか。
そう思うと、改めて照れくさい気持ちになる。
同時に、何か心が大きくなったのだと思う。
ぼくは自然と言葉を発していた。
「ねぇ……。詩子さん」
「はい。なんでしょうか?」
「このままぼくの家に来る?」
詩子さんは眉を上げて驚いていた。
それはそうだろう。
だって、ぼくですら驚いていたのだから。
急に動悸が激しくなる。
身体が熱くなり、自然と彼女の手を強く握ってしまった。
詩子さんは何も言わなかった。
ぼくと同じで顔を赤くしながら、答えあぐねている。
「や! べ、別に他意はないんだ。ただ、もうすぐぼくの家だし。傘のお礼もしたいし。正直、何もないけど」
「そ、そうですよね。帝斗くんは、その――」
「う、うん。それに多分、理采もいるし。詩子さんが来れば、あいつも喜ぶと思うから」
「そう……ですね」
あれ? なんか詩子さんの元気がなくなったような。
「じゃあ、お言葉に甘えて。家の者には後で連絡します」
「うん。良かった」
姫崎詩子がぼくの家に来る。
思いがけない展開だけど、ぼくは嬉しかった。
予想外の雨。詩子さんとの相合い傘。さらに彼女がぼくの家に来る。
とんでもない誤算続きだけど、今日はついていると思った。
姫崎邸に比べれば、みすぼらしい我が家に辿り着く。
詩子さんはしげしげと玄関先を眺めていた。
「詩子さんの家と比べたら、小さいかもしれないけど」
「い、いえ……。うちが特別だってことはわかっていますから」
鍵を開け、中に入る。
ただいま、といったが、妹の元気な声は帰ってこない。
「ここで待ってて。タオルもってくるから」
詩子さんを玄関で待たせ、ぼくは濡れた靴下のまま家の奥へと入っていく。
何度か「理采」と呼んだが返事はない。
しかも、家は真っ暗で、人の気配はなかった。
あれ? いないのかな?
すでにとっくに帰ってきてもいい時間だ。
何かあったのだろうか、と思った矢先、メールの着信音が鳴り響く。
画面を見ると「理采」からだった。
【雨が強いので、友達のうちで雨宿りしてる。このままお泊まりするかもしれないから、晩ご飯は適当に冷凍のチャーハンでも食べてて】
最後に【兄想いな妹より】という皮肉なのか、それとも真剣にいっているのかわからない言葉で締めくくられていた。
「理采がいない」
それは必然的に今、この家にいるのは、ぼくと詩子さん――。
つまりは2人っきり……。
瞬間、雷鳴が鳴り響く。
青白い光りが、薄暗い我が家を一瞬白く染めた。
雨が一層強くなり、風がかたかたと窓を揺らす。
ぼくはスマフォからようやく顔を上げた。
玄関で待つ詩子さんを見つめる。
これが今日1番のぼくの誤算だった。
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