21時限目 逃れられると思ってた?
74歳になっても「かめはめ波」の練習したい、そんな作者が書く作品。
※タイトル変更不評につき、戻しましたw
「ごめんなさい、帝斗くん。うちの馬鹿姉がとんでもない失礼を」
屋敷に入るや否や詩子さんは頭を下げた。
黒髪がさらりと例の白いワンピースに落ちる。
近くで見れば見るほど綺麗だ。
何度見ても、心が洗われる。
ぽー、としていると、首を傾げた詩子さんと目が合った。
「あ。いや。気にする必要はないよ。会長があんなんなのは、よく知ってるし」
それに詩子さんの前では絶対にいえないのだけど、結構気持ち良かったし。
あ。ダメだ。思い出すと、ちょっとにやけてしまう。
きっと会長が聞けば「私の胸はそんなに気持ちよかったかい?」などと、ぼくの心の声を読んでツッコんだのだろうが、生憎と今はいない。
詩子さんの命によって、ターミネーター化した洗馬州さんによって連れ去られていった。
「ここがわたしの部屋です」
かなり長い間、廊下を歩いた後、詩子さんは立ち止まった。
あまり飾り気のないが、重厚な木の扉が行く手を遮っている。
「どうぞ」
詩子さん自ら扉を開けてくれた。
1歩踏み込む。
一瞬、春風のようなものが吹いた気がした。
「うわ……」
今日の詩子さんの服装のような白いカーテン。
素材感のある品のいい学習机。
たくさんの柄が入った布団がきちんとセットされ、枕の側に丸い猫のぬいぐるみが置かれていた。
窓際には小さな観葉植物が置かれていて、窓から漏れる光を浴びている。
目の前に広がっていたのは、女の子の部屋だった。
姫崎詩子の私室なのだから当然ではあるのだけど、何故か意外だ。
理由はわかる。
詩子さんがとても特別な人だからだ。
恋人というのもあるけど、彼女はやはりどこか超然としている。
だからなのか、もっと別のものがあるんじゃないかと思ったけど、少し拍子抜けした。
けれど、逆に再確認できたこともある。
姫崎詩子は普通の女の子だ。
ぬいぐるみが好きで、朝にコップ一杯分の水を植物に注ぐような……。
ただの普通の女の子なんだ。
「どうしました、帝斗くん?」
「いや、その……。女の子の部屋に入るのって、なんか緊張するんだよね」
最近では妹の部屋にすら入ってないもんな。
まあ、あそこには2度と入りたくない。なんか呪われそうだし。
「遠慮なくくつろいでくださいね。わたし、今お茶を持ってきますから」
ぴゅーっと詩子さんはどこかへ行ってしまった。
遠慮なく、といわれてもな。
ぼくは辺りをキョロキョロと見渡す。
ど、どこに座ったらいいだろうか。
ベッド……?
いやいや、いきなりベッドは難易度高いでしょ。
そ、そもそもあそこは聖域というか、朝まで詩子さんの寝ていた場所だし。
ああ、きっとまだ残り香があるんだろうなあ……。
部屋に入った時からわかってはいたんだけど、詩子さんの匂いがする。
肩を並べた時、膝枕をした時、初めてキスをした時。
ぼくの鼻腔を刺激した匂いが、この部屋に充満している。
たぶん、いつも彼女が寝起きしているベッドには、たくさんの匂いが充填されていることだろう。
そう考えると、座ってみたくなった。
聞き耳を立てて、外の様子を伺う。
周囲に人影なし。
ぼくはそろそろとベッドに腰を付けた。
なかなか高級なベッドなのだろう。
マットレスのクッションが、心地よい反発力によってぼくを押し返した。
だが、何よりも匂いだ。
温められた空気のように詩子さんの匂いが立ちのぼっていく。
はあぁぁぁぁ……。落ち着く……。
いい匂い。
心がトロトロになりそうだ。
ぼくの欲望は収まらなかった。
今度、視界に映ったのは枕だ。
薄い清潔感のある真っ白な枕カバーが巻かれている。
ごくり……。
息を飲んだ。
きっとあそこにはもっと詩子さんの匂いが感じられるかもしれない。
ぼくの理性は外れた。
生唾を飲み込み、手を伸ばす。
指先が枕に触れた瞬間、扉が開いた。
「お茶をお持ちしました」
ぼくは慌てて目の前にあったウレタンのクッションに座り直す。
「どうしましたか、帝斗くん?」
「いや、なんでもないよ。ところでペギィは?」
ペギィとは詩子さんが飼っているマイクロブタだ。
ぼく以上の果報者である小さな豚の姿は、この部屋にはない。
「知らない人が来ると興奮しちゃって。手が付けられなくなるんです。だから、別の部屋に移してます」
「そうか。……良かったら、後でその部屋にいっていい?」
「いいですよ。でも、ちょっとやんちゃなので気をつけて下さいね」
詩子さんはティーセットを部屋の真ん中にある小さなガラステーブルに置く。
自分も対面のクッションに座ると、お茶を入れ始めた。
美人がお茶を入れているというだけで、何か絵になる。
それに詩子さんが少し前屈みになるたびに、その……緩めの襟元から肌色が見えた。
さすがに、胸までは見えないけど、ぼくは詩子さんがカップにお茶を注ぐたびに、ドギマギしてしまう。
今日の衣装一体誰が選んだのだろう。
目線に困る。
詩子さんが夜なべしてぼくのために考えに考え抜いてくれたのなら嬉しいのだけど、ここまで来ると、ぶっちゃけ悪意を感じる。
「はい。どうぞ」
詩子さんはティーカップを置く。
いい香り……。少々詩子さんの匂いに当てられていたぼくにとっては、ある意味目が覚める。
味もいい。きっと良い茶葉を使っているに違いない。
「いかがですか?」
「うん。とっても美味しいよ」
「よかった」
何気ないぼくの言葉が、彼女にとって心底を嬉しかったらしい。
銀のトレーで赤くなった顔を隠している。
か、可愛いなあ。
「もしかして、詩子さんが?」
「はい。今日、帝斗くんを連れてくると決めてから、密かに練習してました」
そうなのか。
だったら、もっと気の利いたことをいえば良かった。
これって、〇〇産の〇〇茶だよね、とか。
うーん。柄じゃないかな……。
「あの……。ところで帝斗くん」
「なに?」
「どうして学校の制服なんですか?」
ああ……。
そういえば、まだ話していなかったっけ。
詩子さんの言うとおり、ぼくは学園の制服を着ていた。
なるべく身綺麗な格好を、という意識もあったんだけど、理由は他にある。
要約すると、理采だ。
今日、詩子さんの実家に行くとかいったら、必ずついて来ようとするだろう。
もし、仮についてきたとしたら、絶対にトラブルになる。
詩子さん狂いの妹が、この部屋の匂いを嗅ごうものなら、まるで“G”のように飛び回った後、その匂いに最後は自滅してしまうかもしれない。
ぼくでクラクラするぐらいなのだ。
妹にとって、詩子さんの匂いは、控えめにいっても兵器だった。
だから、ぼくは学校の補習を受けることになったと妹に嘘をつき、ここまでやってきたというわけである。
「なるほど。じゃあ、理采ちゃんは帝斗くんが学校に行ってると思ってるんですね」
「う、うん。なんとか騙し仰せたと思う」
尾行の確認は何度もやった。
今頃、理采はリビングでゴロゴロしながら、ポ○チでも食ってるのだろう。
理采の話が終わる。
呆気なく沈黙が流れた。
いつもなら教室で他愛もない会話をするのだけど、何か詩子さんの部屋は違う。
独特の緊張感があった。
しかし、これは想定済みだ。
こんなこともあろうかと、2人で出来るパーティーグッズやゲーム機を持ってきている。
「実は、詩子さんに見せたいものがあって」
ぼくは切り出し、持ってきたボストンバックのジッパーを開いた。
暗いボストンバックの中で、光が閃く。
ぼくは反射的にジッパーを閉めた。
え? ちょっと……。今のなに?
「どうしました、帝斗くん?」
「な、なんでもないよ。単に幻が見えただけだから」
「ま、幻!? 体調が優れないのですか?」
「いやいや、そういうわけじゃないんだ。あ……。そうだ。しりとりでもしようか」
「その鞄の中は?」
「いや、なんでもない。ぼくの勘違いで」
はっはっは……と乾いた笑いで、ぼくは誤魔化す。
後ろ手にバックを隠した。
ちっ……。ちちちちちちちちちっ……。
独りでにボストンバックのジッパーが開いていく。
再び暗闇の中で赤い光が灯った。
かと思えば、細い手が伸びてくる。
ぼくの襟首を掴まえた。
「お兄ちゃん……。妹から逃れられると思ってた?」
「ぎぃ! ぎぃやぁああああああああああ!!」
ぼくの絶叫は、静かな姫崎邸に飲み込まれていった。
兄が異世界行ってもついてきそうな妹……。
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