第1章の(3)
「なぁカスピ、この人は?」
着物姿の男に怪訝そうに挨拶したあと、カスピに小声で聞いた。
「よっちゃん」
「よっちゃん?」
カスピの言うことに普段から信用を置いていない渓市は、その返答にテキトーな雰囲気を感じ、睨みつけて聞き返した。
「わたし、よく分かんないけど、ヨシマサさんって言うんだって。わたしはよっちゃんって呼んでるんだけど」
「えっ、何ヨシマサ?」
「足利」
「そうじゃ」
と、目の前の男も頷く。
「えっ、足利? ヨシマサ?」
「そう」
渓市は混乱する頭の中で、今飛び交った言葉を並べる。室町、ヨシマサ、足利……。
「八、代、将軍……、足利、義政様?」
呟くように、渓市が言う。
「そうじゃ。そのとおりじゃ」
「ええっ!」
渓市は後ろにひっくり返った。しかし将軍に対して頭が高いととっさに思い、バネのようにポンと起き上がって頭を畳にこすり付けた。
「ご無礼を申し訳ございません!」
「やっぱり渓市知ってたんだ。さすが文系のスペシャリスト!」
カスピが明るい声で、渓市の肩をポンポンと叩く。
「さすがじゃない。カスピ、頭が高いぞ!」
渓市は伏せた状態のまま、手を伸ばしてカスピの頭もグイと抑え付けて下げさせた。
「イタタタ、痛い痛い」
「バカ! バタつくな。将軍の前だぞ。おとなしくしろ」
「これこれ畏まらなくてもいいんじゃよ。ここはそういう場所じゃからな。身分は関係ないんじゃ。それより争いはやめなさい。わしは争いが嫌いと言っておるじゃろう」
もしかして、と渓市は気付く。目の前の人物が本当に足利義政公であれば、ここは銀閣寺の一室、東求堂同仁斎ではないだろうか。