第4章の(2)
渓市は、カスピに逆らえずにまたも納屋に来てしまった。
これで3度目だ。今もって、時を渡るのがこの上なく怖い。もう、このあと永遠に家族と会いないのかもしれない。不便極まりない室町時代で一生すごさなければならないのかもしれない。鏡の前に立つと、頭に浮かぶのはすべて負の考えだ。
それでいて渓市は、この日のためにノートを作っていた。将軍足利義政公への質問を書いたものだ。この辺が自分自身で矛盾していると自覚していた。
渓市はカスピが図書館に入り浸っていたと聞いて、感心し、またうらやましさも感じた。カスピが迷いなく一直線に突き進んだ10日間、渓市は気持ちがうわずってまとまりのない時間をすごしたからだ。
カスピは足利義政について、いろいろと詳しくなっていた。お父さんとお兄さんが死亡したため幼くして興味のない将軍職に就かされたこと、美人だが性格のきつい女性と政略結婚させられたこと、その治世の間、天候不順が続いたことなど。義政自身、政治家としての能力がなかったが、カスピはそれに関しては何ひとつ言わなかった。
――― きっと実際に会った人物なんで、同情心の方が強いんだろうなぁ。
渓市は義政のダメな部分を口にしないカスピを見ながらそう思った。それが後々、渓市に大きな災難をもたらすことになるとはまったく思わなかった。
「いい、渓市。もし渓市が100パーセント興味がなくて、100パーセント行きたくないっていうんなら、もう誘わない。だからはっきり決めて!」
ためらいを見せる渓市に業を煮やして、カスピが言う。両のこぶしを腰に当てて、上半身を前のめりに、渓市の顔を覗き込むように。
きっぱり言われてたじろぐ渓市だが、その頭の隅で、両のこぶしに挟まれたカスピのウエストのなんと細いことかと邪念も浮かべていた。
しかし、100パーセント興味がないなんてことはなかった。本音では将軍に会いたくて仕方がないのだ。
「分かった。とりあえず今回、行くよ。行ってみよう」
弱々しく言った渓市の顔に、缶ジュース1個入らないほどにカスピが寄った。
「だめぇ。もっとちゃんと覚悟を決めてよ!」
いよいよ逃れられない。渓市は顎を引きながら思った。カスピの八重歯が、そのとき牙に見えた。