第3章の(3)
しかし、土蔵の扉は閂がかかり、びくともしない。よく見ると、端に黒く錆びついた錠が付いている。これでは、大きな工具でも使わなければ太刀打ちできない。他に入れそうなところがあるかと一周まわってみたが、四方、どこにもない。渓市は鏡を置いてしばらく考えていたが、結局諦めて納屋に戻った。カスピが帰ってきたら、錠のカギでももらって開けてもらえばいいのだ。
納屋に戻るとき、ふと立ち止まった。もしも今自分が躓いて転び、その拍子に鏡を割ってしまったとする。その瞬間、カスピはこの現代に、二度と戻れないのではないか。
そう考えると足が震えた。自分が人一人の命運を握っている。そんな重圧がズシッとふりかかったのだ。
震える足を慎重に進めて納屋に戻り、鏡を壁に、ゆっくりと掛けた。
「よし!」
一安心し、ホッと安堵の息を吐いた。そこにポンと、カスピが飛び出してきた。
ゴンと膝でおでこを蹴られた渓市は後ろにひっくり返る。逆にカスピは、両足できれいに着地した。
「あぁゴメーン! 渓市、大丈夫?」
こんなに早く戻ってくるなど考えてもいなかった渓市には、まったくの不意打ちだった。
「ひでぇなぁ毎回毎回。カスピと一緒にいると傷だらけになっちゃうよ。でもどうしたの、すぐ帰ってきて?」
「ゴメンゴメン。あっちで壺から顔出したら人がいたから、一旦戻ってきちゃった」
立ち上がりながら、藁の散らばる納屋で倒れてまだよかったと思った。これが土蔵なら後頭部を打ち付けていたことだろう。
「人がいたって?」
「うん、男の人が」
「見られなかった?」
「大丈夫。よっちゃん、その人たちの後ろに壺を置いてあるから」
将軍も未来から人が出てくることを予想して、客人の後ろに壺を置いてあるのだろうと渓市は思った。しかし客って誰だろう。
「そのお客さんって、若そうだった?」
「うーん、話し声だけだから分からないけど、多分おじいちゃん」
それなら願阿弥かな、と渓市は思う。時宗の僧侶で、飢饉で困り果てている民衆のために、将軍義政から資金援助を受けて活動していた。