第2章の(9)
そんなカスピにほめられ、渓市は悪い気がしない。表情が崩れるのを抑えるのに一苦労だ。あくびを我慢するときのように、痛いほどに奥歯を噛みしめる。
内緒と言ったときの含み笑いの表情と目が、なんとなく猫を連想させる。とにかく、下から覗き見られるような視線を受けると、渓市は胸の内側がギュッと締まるような感覚に陥るのだ。もしカスピと2人なら、戻れなくなってもいいかもしれないなぁと、一瞬思ってしまう。
「でも渓市はすっごく詳しいからさ、歴史。それもあるんだよね、誘ったの。だってウチの学校で一番の成績だしね」
そんなカスピにおだてられ、渓市は悪い気がしない。表情が崩れるのを抑えるのにひと苦労だ。あくびを我慢するときのように、痛いほどに奥歯を噛みしめる。
「ねぇ、足利の将軍全部言える?」
「バカにすんな。足利尊氏、足利義詮、足利義満、足利義持、……」
渓市は初代尊氏から十五代義昭まで、一息で言った。
「わぁすごい。暗記してんだぁ」
カスピが小さく拍手しながらほめた。
「でもカスピは知らないんだろ。だったらおれが正しいかどうかも分からないじゃんか。もしかしたらテキトーなこと言ってるかもしれないぜ」
「でもスラスラ言ってたじゃない。もしあのスピードでテキトーな出まかせ言ったとしたら、そっちの方がすごいわ」
鋭いことを言う、と渓市は感心する。出まかせをなめらかに言うのは、実際にはたいへんなのだ。カスピは知識こそないが、頭の回転は見事なものだ。渓市はいつもそう思う。言葉の返しが、いつも鋭いところを突くのだ。
出まかせでないのは確かだが、五代と七代が逆かもしれないという意識はあった。さほどの重要人物ではなく、ヨシカツとヨシカズで名前も似ている。だからいきなり言われるとごっちゃになって自信がなかった。
「渓市はホント、なんでも知ってるね。やっぱりそれだけ物知りだとさ、興味も出るでしょ」
「それはそうだけど。でもやっぱ、戻れないかもってのは怖いよ。もう行かないから、室町」