八 再会の時
それまでとは真逆なまでのキーシアスの反応を見て、リンは呆れかえってしまっていた。
「あらあら、偉そうなこと言っていた割に情けのないこと」
一方、事情を知るイヅミは彼女よりも少しばかりは同情的だった。
「仕方ありませんよ。彼が元々居たあの世界では、悪霊化した死者に抗することができるのは極々一部の人間だけでしたから」
魔力の存在が公には知られていないため、先天的に魔法を扱える者か厳しい修行の末に魔法を会得した者でなければ、死者に対抗するどころか触れることすらできなかったのである。
「後は魔法文明期に何か細工がされていたのかもしれませんね、あの世界では驚くほど適切に魔力が循環されているのです。よって魔力が溜まり淀む場所もなければ、魔物が生まれることもなかった。そのため、他の世界に比べて悪霊化した死者が恐ろしい存在へと位置付けられてしまっているのです」
「なるほど。特異な世界だとは思っていたけれど、そんな事情があったのね」
リンが納得したところでキーシアスとゴースト、節子の方へと意識を戻す。その視線の先では、先程と変わらずキーシアスが泣きながら蹲っていた。
一方の節子はというとこちらの世界でいうところのゴーストになってはいても、持ち前の親しい者を感じ取る能力のお陰か襲いかかるようなことはせず、それどころか拒絶されていることが分かるのか戸惑っているようにも見受けられた。
「このままでは碌に話もできませんか。とりあえず節子さんには正気を取り戻してもらいましょう」
するりと音もたてずに近付いたかと思うと、イヅミは節子の背中に手を添えて彼方の言葉でこの世界をも形作っている理に働きかけた。
「あ、……ああ、あ……」
すると過剰に集まっていた魔力や邪気といったものが抜けていき、虚ろだった瞳に理性の光が灯り始めたのだった。
「気が付かれましたか?」
「……あ、あなたは、あの時の黒服さん?」
「無茶をなさいましたね。お陰でもうほとんど時間が残されていません。お覚悟を」
「……はい」
どうやら自分がしたことと、その結果何が起きているのかをしっかりと認識しているようである。それならばこれ以上言葉を重ねて責め立てる必要はあるまい。
残る時間でいかに彼女が心安らかになることができるか、それだけに専念すればいい。その一番の障害となりそうなのが、世界の全てから目を背けるように蹲っている男というのがなんとも締まらない絵面ではあるのだが。
さて、どうやって立ち上がらせようかと考え始めた時にはもう、節子が動き始めていた。癇癪を起こした幼子を宥めるようにその背を優しくなでると、包み込むように抱きすくめたのである。
そうしている間に嗚咽は消え、体の震えも止まっていた。
「全く、母は偉大だな」
純粋に感心したことで飛び出した言葉であったのだが、過剰とも思える反応を示す者がいた。
「こ、こんな奴が母親であってたまるか!」
キーシアスである。弾かれたように飛び起きると、彼はイヅミから、そして節子からも距離を取って睨みつけてきたのだった。
「季士……」
「その名前を口にするな!俺はヒルンの町の英雄であるキーシアスだ!この世界でやっとそうなることができたんだ!あの薄暗い部屋に閉じこもっていただけの俺とはもう違う!」
キーシアスがそう叫ぶと、今度は節子が泣き崩れた。
「ごめんなさい……。あなたを幸せにしてあげられなくてごめんなさい……」
「くっ……!いつもそうだ、俺が何かやろうとするとあんたはいつも邪魔をしてくるんだ!俺のためだとか言いながら、結局は自分の思い通りにさせたかっただけなんだろ!」
溜め込んだものを全て吐き出そうかという勢いでキーシアスは節子をなじり続けた。
しかしその顔は直前までの怒りに燃えた真っ赤なものではなく、悲壮にくれた真っ青なものであることに気が付いたのは、冷静に二人の様子を見ていたイヅミたちだけだった。
「止めなくても良いのかしら?」
「親子の対話に部外者が踏み入るなんて無粋以外の何物でもありませんよ。それに、キーシアスさんがその身を蝕む毒の存在に気付くことができるのは今を置いて他にありませんから」
「毒?どういうこと?」
予想外の単語の登場に、リンは眉をひそめて尋ね返した。
「生前、というのもおかしな言い方かもしれませんが、二人の話の流れから察するに九重季士であった時の彼は節子さんの優しさに包まれていたようです。が、優しさも過ぎれば毒となります。いつの頃からか身動きをとれなくする拘束具か、はたまた牢獄のように感じていたのではないでしょうか」
「だけどそれはキーシアスの側にも問題があったのではなくて?一言これ以上干渉するなと言えば良かったことでしょう」
「ええ。もちろんその通りです。しかしそれでも何かほんの小さなことが原因で伝えることができなくなるという場合もありますから。ありがちな答えですが、ここはお互いの責任ということで」
実際に彼らを含む家族の関係がどうであったのかは分からない。いくつかのパターンは推測できなくもないが、あくまでも推測でありそれに固執すると大きな間違いをしてしまいかねない。
今ある情報だけでやりくりした方が結果的に上手くいくこともあるのだ。
「あちらの世界で生きていた時の毒については一応理解できたわ。それが今とどう関係してくるの?」
「今の彼、キーシアスさんを蝕んでいる毒は転生に由来するものです。前世の記憶や知識、そしてどういったものかは分かりませんが異能にも目覚めてしまっているようですね」
だからどうしたのだと苛立ちを見せるリンを片手で制する。指輪に封じられて長い時を半ば眠るように過ごしてきたはずなのだが、それを感じさせないくらいの気の短さである。
しかし彼女本来の性格を出してくれているのだと思えば、それほど悪い気はしないものだ。そんなことを考えている自分に苦笑しながら、イヅミは続きを話し始めた。
「彼はこの世界で生きていると言っていましたが、本当はまだ『お客様』の状態なんですよ。そして前世の物事に依存すればするほど、この世界での居場所はなくなっていく。この世界とあの世界は違うのですから当然というものです」
そう、今の彼は異世界の文化や制度を持ち込んでいるだけの異分子に過ぎないのである。
他人から賞賛を受けるとその世界に馴染んだような気がしてくるものだ。キーシアスだけでなく、異世界へと転生した者の多くが英雄であろうとする理由の一つがこれなのであった。




