二 世界と『魂の休息所』
着いた先は寺院の裏手の斜面に広がる墓地であった。半ば迷路のように入り組んでいるが、何度か足を運んでいるのだろう、先頭に立って案内をしてくれている彼女の足取りは淀みがない。
「ここよ」
歩き続けること数分、彼らはある墓の前に来ていた。そこには影の薄い高齢の女性の姿があった
「この方かい?」
「ええ。九重節子さん。先日うちの病院で亡くなられた方よ」
紹介を受けて改めて女性、節子の様子を伺ってみると、すぐに何かがおかしいと感じられた。
「心残りがない?」
普通『魂の休息所』へと旅立つことなくこちらの世界に留まり続ける死者たちには、何らかの悔いや未練といったものを抱えているはずである。むしろそういったものを全く持っていない方が稀であり、現に周囲には幾人もの死者が居座っていた。
しかしどれも強力な執着を持っている訳ではないようなので、遠からずここを離れて『魂の休息所』へと向かうことだろう。
対して、節子にはそうしたこの場へと残る為の、ある種意志とでもいうべきものが感じられなかったのである。
彼女から感じることができるのは、困惑や戸惑いといったものだけだった。
「死んだことに理解が追い付いていないのではないかしら?」
「その可能性はあるけれど……」
ということなのでリンの意見を伝えてみるが、
「それはないわ。彼女、息を引き取る前から、うちの病院に入院した時から死ぬ覚悟はできていたもの」
外れていたようだ。ただ、事故などで突然死ぬ以外には、自分の死を受け入れられずにいるという事例は殆どないので、順当な答えではある。
一応、可能性としてはあり得たので確認しただけのことだった。
「そんな訳で良く分からないことになっているから、直接話を聞いて欲しいの」
確かにこれは死者の存在を感じ取ることができるだけの彼女には荷が重い案件だっただろう。
「端末の携帯式充電機でどうだい?」
「災害で電気が止まった時でも使える手回し発電機能付きの物を用意してあげるわ」
契約成立ということで握手を交わす。まあ、報酬がなくても節子のことを放置するつもりはない。八割方は馴れ合い過ぎることがないように、とそれぞれが自分を戒めるためのパフォーマンスにしか過ぎない。
なんにせよ、これで端末のいくつかの便利機能を異世界でも使用できることになった。張り切って問題を解決することにしよう。
「こんにちわ。私は旅の死霊術師のイヅミと申します。少しお話をしませんか?」
早速、節子へと近寄り声をかける。生身の体を持ちながら死者である自分と会話ができる者がいるとは思ってもいなかったのか、節子は驚いて目を見開いていた。
「あなたは、私のことが見えるの?」
「はい。見えますし、こうしてお話しすることもできます。それと、無理矢理にするつもりはありませんが、あなたを『魂の休息所』へと送ることもできますよ」
「……霊能力者なんて信じていなかったのだけれど、本当にいたのね」
能力がない者から見れば、こうして実際に話していたとしても独り言を言っているようにしか見えない。更にこの世界は公式には魔法が存在していないため、超常現象に耐性がない者がほとんどである。
「それはともかく、あなたにはこの世界に留まらなくてはいけない未練があるようには見受けられません。良ければそれにもかかわらずここに居続けている理由を聞かせてもらえませんか?」
その言葉に節子は悩むそぶりを見せる。突然現れた信頼関係も何もない赤の他人から言われてすぐに答えられるものではない。
むしろ即拒絶されなかっただけでもマシと言えるだろう。ここは少し時間がかかったとしても待つ必要がある場面だ。
「こんなことを言っても信じてもらえるか分からないのだけれど……」
しばらく経って節子が話し始めたのは、死霊術師であるイヅミにとっても聞いたことがないことだった。
「息子さんの気配だけが感じられない、ですか」
死者が自らに連なる者の存在を感じ取れる――生者のみ、死者のみ、もしくは両方など、人により感じ取れる対象と範囲は変わる――というのはそれなりにある話で、それ自体は特に疑わしいものではない。
彼女の場合、死者のみでしかも身近な相手に限られるという限定的なものであったが、その分強固で『魂の休息所』にいる存在すらも感じ取れたという。
しかし、それにもかかわらず、彼女の息子の在りかだけはようとして分からないらしい。それがわずかな引っかかりとなり、彼女を『魂の休息所』へと向かわせることを躊躇わせてしまっているのだった。
「ふうむ……。あの、辛いことをお聞きして申し訳ないのですが、その息子さんは何年前に、何歳で亡くなられたのですか?」
もしかすると既に『魂の休息所』から出て、新しい生を歩み出しているのかもしれない。嘘か真か、生まれてすぐに死んだ赤子が五十数年後には新たな生を得ていた、という研究記録が残されているのだ。
「あの子が死んだのは十七年前で、歳は確か三十二歳だったわ」
「それならまだ百五十年は休息が必要なはずよ」
リンが言う百五十年とは、魔法文明期に提唱された『魂の二百年』理論に基づくものだ。人は生きている間と死んだ後の合計が二百年の間、同一の魂で存在することができる、というものだが、長命種や短命種には適合するのか、といった様々な不備があり現在では廃れてしまっている。
しかしその後の研究で、魂の休息――要するに次に生まれ変わるまで――には生きていた期間とほぼ同程度の時間が必要だということが分かってきている。三十を超えた者が死んでから二十年足らずで次の生へと生まれ変わったというのは早過ぎる。
そうなると、残る可能性は、
「転生したのかもしれない」
転生とは『魂の休息所』を経ることなく、すぐに次の生へと向かうことである。死ぬ前の、いわゆる前世の記憶を保持しているとされているが、こちらは魔法文明期ですら確実な事例を発見できていない。
イヅミの場合、それらしき存在を感じ取ったことは何度かあるが、相手は生者であるため直接的な接触を図るということはしてこなかった。
「魂は同じものなのだから転生したとしても、彼女には感じ取れるのではなくて?」
リンの疑問はもっともだが、イヅミはそれに対する答えも予想していた。
「確かにこの世界にいるのであれば、感じ取ることもできたでしょう。しかし、別の世界、異世界へと紛れ込んでいたとすればどうでしょうか」
世界はそれぞれ隔絶しており、唯一『魂の休息所』が接点となっているのである。
「在り得るか否か、と問われれば、在り得るということになるわね。だけど、そうなるとお手上げよ?」
「普通ならそうでしょうね。でも私なら何とかなるかもしれません」
そう、世界を渡ることのイヅミであれば不可能とは言い切れない。
「とりあえず、異世界への門を開いていってみましょうか」
 




