絶望
酷い描写は控えたつもりですが、気分を害してしまったら申し訳ありません。
薄暗い建物内の廊下、少し前を歩いていた胡桃がこちらを向いて手招きしている。
「達也、ここ、階段」
声を潜めて言ったそれは小気味良く、少し緊張を解してくれる。
数人居た一階の男たちはダナンの起こした騒ぎで皆外へと行ってしまったようで、誰も居ないうちに全部屋調べたが女の子達は居らず、残すは二階のみ。
二階へと上る階段の先は明るく、ここから先は戦闘になるだろうと覚悟して剣の柄に手を添えながら俺が先に胡桃を後から続かせた。
上には男が2人、革鎧を身に纏い腰には剣を下げている身体の大きな男、多分見張りだろう。
左右に数部屋あると思われるドアの前、左に1、右に1。
胡桃に手で合図して、右に行くようにと伝え頭の中で3秒数える。
そして一斉に飛び出した。
「て、てめ……!」
左の男は言うより早く俺の剣が刺し込まれる。
「女がここに何の用だ、ああ!」
胡桃が仕留められなかったらしく、背後から男の声が響く。
そうだ、胡桃はグールは殺した事はあるが人に刃を向けた事は無い。
俺は慌てて胡桃の加勢に向かった。
「そうか、わざわざ捕まりに来たのか。おまえなら高く売れそうたなぁ……!」
やかましい、この下衆野郎が。
俺は走りながら早く黙らせようと剣を構えた。
男はゆらゆらと剣を揺らしながらゆっくりと胡桃に近づく。
胡桃は腰の刀に手を添えたまま動いていない。
何か迷ってるのか?
「峰打ちでいいぞ!」
後数歩で辿り着くという時声を掛けると、胡桃から迷いが消えたのだろう。
刀を持つ手が少し動いたかと思うと小さな身体が前へと揺らいだ。
速かった――
いつも素早い胡桃ではあるが想像よりもずっと速く、その刀は完全に見えなかった。
「ぐはっ」
気が付いたら、得意気に剣を揺らしていた男は顔を歪ませて倒れ込んでいる。
「何やってんだよ、びっくりしただろ」
「ありがと……どうしたらいいか分からなくなっちゃって」
どうやら殺すか殺さないかという事で戸惑い、他に頭が回らなかったらしい。
倒れた男からは血は出ていない。
最初から殺さなくてもいいと言っておけばよかった、俺の考えも甘かったみたいだ……。
「おい! 何かあったのか!」
今倒れた男の後ろのドアが音を立てて開くと、小太りの男が様子を見に顔を出した。
その体には衣服が着用されていない。
俺はすぐに反応して男の喉に血で濡れた剣を突きつける。
「ひっ! お前ら何者だ!」
「そのまま部屋の中に入ってもらおうか」
男に剣を突きつけながら部屋に入る。
そしてその部屋で見たものは吐き気を催す程の光景だった。
ランタンの明かりだけで照らされた部屋はお世辞にも綺麗と言える状態ではなく、物が散乱していた。
そこにベッドが一つ、裸体の女の子がその上に倒れこんでいる、その身体には何かで打たれた様な傷跡。
そのまま近くに行ってみるとその顔から表情という概念は失われていた。
ハーセルの女の子かどうかは顔を知らないので分からないが、そんな事を考えてる場合じゃなかった。
「胡桃、その子を」
「うん……任せて」
胡桃は刀を鞘に戻すと、女の子の元に駆け寄って近くにあった毛布でくるむ。
「大丈夫……、もう大丈夫だから」
その間もその子の表情は変化する事は無かった。
それ程の事をされたのだろう。
それを行ったと思われるこの小太りの男の顔を見ると、後から思えばその顔は怯えているだけだったのだろうが、その時の俺にはあのグールよりも醜悪な顔つきに見えた。
怒りに任せて殺してしまおうかと手が動こうとするのを抑えて、男に問いかける。
「おまえ……! 他の子はどこだ……」
「ひぃぃぃ、あ、あっちの部屋に1人いる! そいつにはまだ何もしてねぇ! ほんとだ!」
「5人は居たはずだ、後の子はどうした……」
「あ、あと何人かいた女なら、う、売りに出しちまったよ! 頼む殺さないでくれ! 俺はパルゴーさんに言われて……」
「お前がパルゴーじゃないのか?!」
「あ、ああ、攫ってきた女の中から顔のいいのを選んで、ぱ、パルゴーさんが連れてっちまったんだ……、その女にはまだ何もしてねぇよ! 痛めつけてこれからって時だったん――」
「それ以上喋るな! それは俺が決める事じゃない」
これ以上言われたら突きつけている喉に剣を刺してしまいそうだった。
だが、とにかくもう1人の女の子を助けなければいけない。
俺は剣を突きつけながら、近くにあった布を拾って男に放り投げた。
「隠せ」
男は理解したのか、すぐにそれで下半身を隠すように布を巻きつける。
「もう1人の女の子の所まで一緒に来て貰うぞ」
「あ、ああ、こ、こっちだ……」
突きつけていた剣を男の背中に回し、歩かせてそのまま部屋を出て案内させた。
そこには1人の女の子が手足を縄で縛られ、口を塞がれてベッドに倒れていた。
衣服は着用している。見た感じでは縛られる以上の事はされていないようだったが、ここに連れてこられた時点で精神的ショックは計り知れないだろう。
そのまま男に縄を解かせると、女の子が口を開く。
「あ、ありがとうございます……」
俺は女の子を縛り付けていた縄を使って、男の手と口を縛りながら答えた。
「お礼ならここを出てからで……、とにかく逃げよう」
その後全部屋を確認した後胡桃達と合流し、俺達は男と女の子2人を連れて入ってきた建物の裏側から逃げ出した。
――――
馬車の荷台、目の前には先程捕らえてきた男が気絶して倒れている。
あれからダナンとも合流して馬車に戻ってきた俺達は、助けた女の子を胡桃に任せシャーレの馬車に乗ってもらい、俺はダナンが走らせる馬車に乗り込みこの男の見張りを担当していた。
俺は先程の光景を思い出して動揺していた。
あれが人間のやることだろうか。
そういえば以前歴史の授業か何かでそんなような事を言っていた教師が居た。許される行為だとは思えないが、他人から何かを力で奪う行為は人間の本質かもしれない、と。
俺も命を奪った事があるのだ、どれだけこの目の前の男を非難しようと同じかもしれない。
それでも胸のうちに宿る絶望は拭えるものではない。
ハーセルまでの道のりを、そんな事をひたすら考えながら目の前で倒れる男を見据えていた。