化物
ある夜の事だ、客も帰り閑散とした酒場で俺と胡桃は慣れた手付きで残ったグラスや食器を下げ、テーブルを綺麗に拭きあげたり、床の掃除をしたりしていた。
すると、カラン、と来店を告げる鐘の音が響き、入り口からは剣士風の男が入ってくる。
「ごめんなさい、もう閉店なんですよー」
「いや、酒を飲みに来たんじゃ無いんだ。ナティーシアさんは居るかな?」
「あ、はい、奥で片付けしてます。呼んで来ましょうか?」
「お願いしよう」
低い声で仰々しく喋る男に言われ、胡桃は厨房で片付けをしているナティを呼びに行った。
男は革製のレギンス、上衣や腕甲を纏い胸には黒鉄製だろうか、黒い金属の胸当てを付けていて、腰の片手直剣はシンプルだがしっかりとした造りの物を下げている。
少し長めの金髪をオールバックの様に後ろに流した髪型に、男らしい顔付き、左頬には目の横から頬にかけて縦に斬られた様な傷があり、鋭く蒼い目はなにか威圧感の様なものを感じる。
名のある人なのではと感じさせる風貌だった。
すぐに胡桃がナティを連れて戻って来ると男から声をかける。
「突然すみません、ナティーシアさん」
「ダナンじゃないか、どうしたんだい? こんな時間に」
「ええ、少しお話があって、よろしいでしょうか?」
「まあ、とりあえずそっちに座りな、あたしゃもう座らないとやってられないよ」
いつも俺を怒鳴り散らしては小突き回り剣術まで達者な超人みたいな人が何か言ったようだが、ちょっと突っ込みを入れる雰囲気でも無いから我慢しよう。
ダナンと呼ばれた男とナティは少し離れたテーブルに着き、俺と胡桃に聞こえないように声を潜めて話を始めた。
「誰なんだろうね、あの人?」
「なんかいつも飲みにくる自警団の人とかとは、ちょっと違った雰囲気だな。強そうって言うか、威厳があるって言うか」
「うん、あんな雰囲気の人がナティに用事って、ちょっと気になるね」
「だなあ」
まあとにかく片付けを終わらせようと、掃除を再開する。
するとすぐに話は終わった様で、ナティは立ち上がると同時にこちらを見ると
「ああ、あんた達、今日はもういいから、帰って子供達を見ててやっておくれ。あたしはちょっと用事が出来たから出てくるよ」
そう言い、何か急いだ様子で男と共に店を出ていった。
「ナティ、いつもと様子が違ったな」
「そう? 私には普通に見えたけど」
「ああ、あの人お前にはいつも優しいの忘れてたよ……。いつも俺に厳しいナティが、今日はもういいから帰れなんて言うか? 最後までしっかりやれー、とかなら分かるけどさ。それになんか急いで出ていったし。なんか気になるな……、俺ちょっと後つけてみるよ」
「ええっ? そんな事して、どうなっても知らないよ?」
「どうなってもって……、って、こんな事してたら見失っちまうよ。胡桃は帰ってていいぞ」
「待って、私も行く」
「あ、一人で帰るの怖いんだろ?」
「うう、うるさいなあ、もう」
気になった、というのも事実なのだが俺にはもう1つ知りたいことがあった。
ナティーシアという人物が何者なのか、だ。
あの正体不明なおばさんについて、何か分かるかもしれない……そんな気持ちもあった。
念の為剣を持った俺達は、慌ててナティを追いかけ、そのまま後を付けるのだった――――
ナティ達は、広場を通り中央通りを露店が出る方とは反対方向に進むと、やがて見えてきた大きな建物に入っていく。
やはり何か急いでいる様子でかなり早足で歩いていたのが気になった。
「ここって確か……」
「町役場だよね?」
塀に囲まれたその石造りの建物は3階まであり、大きな建物だ。
この街の市長や他管理者達が詰めている役場である。
酒場が終わってから少し経っているので午後9時くらいだろうか、この街の人間にとっては深夜に該当する時間なのだが、入り口には見張りが立っている。
さすがに正面から行っても追い返される事は分かりきっていたので、俺達は建物の側面から塀を越えて裏側に回り込み、声が聞こえないかと明かりの灯る窓を順に確かめていく。
「お……ナティの声。2階とかじゃなくて助かったな」
「見つからないでよー」
「しー、聞こえないだろ、静かにしろよ」
中を覗き見るとナティと先程の男ダナン、後は年輩の男2人でテーブルを囲み話し合いをしている様だ。
後の二人は知らない顔だが場所が場所だ、街の偉い人なのだろう事は予想がついた。
「討伐の準備は?」
「はい、既に街入り口に招集を命じてあります。ですが、王都への定期納品を護衛する任で離れている者もおりまして、集まっても20名強。街の守りに割く事を考えると人員が不足している状態です」
あまり良くない単語が聞こえる。
討伐、そして人員不足。やはり何かあったようだ。
「よりによって今とはな……」
「くっ、騎士団は何をしているのだ! 先代国王の時代ならば、こんな事態は事前に対処していたものを……」
「それは言っても始まらないよ、今はどう守るか、だ。まだ時間はあるんだろう?」
「ええ、数刻は猶予があるかと思います」
「後は住民の避難をどうするかだね」
「それはこちらで準備している、ただ混乱は避けたいので……」
「タイミングは市長、あんたに任せるよ。まああたしが出るんだ、近づかせやしない。あんたはここでふんぞり返ってな」
「ご冗談を。とにかく感謝します、ナティーシア殿」
「ま、今度うちの店で金貨でも落としていっておくれよ」
「そうさせてもらいましょう」
「さて、行こうか。と、言いたい所だが……」
「ふむ?」
ナティはそう言うと窓の方へと歩き出し、勢い良く窓を開ける。
「やべっ、見つかった」
「誰だい!」
慌ててその場から離れようとしたが背後からの怒声に驚き、俺達はまるで石化した様に固まってしまった。
恐る恐る後ろに向き直ると、それを窓から見ていたナティは呆れ顔をしていた。
「達也に……胡桃まで。聞いてたのかい?」
「ごめん……、討伐とか人が足りないとかその辺から。何かあったのか?」
「ごめんなさい……」
「まあ、どうしても隠さなきゃならない事じゃない、それより丁度良かった。今この街に、平原から死人の群れが迫ってきている、数も多いと聞いた」
「死人が……」
「そんな訳で今は猫の手でも借りたいくらいさ……、達也、お前は今の話を聞いてどう思った?」
「……俺に出来る事があれば、協力したい、かな」
「じゃあ聞くが……、あたしと一緒に死人討伐に来るか、大人しく家に帰るか、お前はどうする?」
俺と胡桃は互いに顔を合わせる。
ナティの問いに数秒躊躇うが、俺には一つどうしても気にかかる事があった。
一応胡桃に意思確認を試みようと顔を合わせたのだが、何やら心配そうな顔をしているくらいしか分からない。
そりゃあ、顔見ただけで分かるような技術があったら苦労しないわな。
とにかく俺の意思を伝える事にした。
「……孤児院に帰るよ、子供達が心配だ」
「達也……うん、私も子供達が心配」
「そうかい……」
「悪かったよナティ。大人しく帰るべきだった」
「ふん、なかなかいい顔出来るじゃないか、頼んだよ。さて、あたしらも急がなきゃならないね、ダナン、行くよ」
「はっ」
ナティ達が窓から離れると同時に俺達は走り出し、孤児院へと向かった。
――――
大きい街なので郊外にある孤児院まで距離はあるが、走れば30分もあれば着くだろう。
剣術修行の甲斐あり体力もついていた俺達は颯爽と孤児院への道を走り抜けていた。
「ナティ達、無事だといいけど……」
「心配すんな、本で見た限りじゃ死人は、力は強いけど動きは鈍いらしい、いくら数が多くてもあのナティがやられるなんて想像つかないしな」
言葉の通り、俺は何も心配していなかった。
いつもこの街を守っている自警団も一緒にいる、あのダナンって人もかなりの使い手だろう。
何よりウィルでも歯が立たないあのナティの身に、何かが起こるとは思えない。
心配事があるとすれば死人の数が多いって所と、人不足で街の守りが手薄になりそうって事だ。
取り逃した死人が街まで来る可能性が無いとは言い切れない、そして郊外の孤児院にまで危険が迫ったとして、自警団に助けを求められない可能性もあるのだからウィルが居るとは言え、子供達が心配だ。
しばらく走りもう少しで孤児院に着くだろうという頃、街の方から何かの金属を打ち鳴らす様な大きな音が響いてきた。
警鐘だ。
「達也、これって……」
「避難が始まったのか? 時間はまだあるみたいな事言ってたのに早いな……」
「もう死人が来たってこと?」
「とにかく急ごう」
左手に疎らに並ぶ木々を見ながら走っていくと孤児院が見えてくる。家の前には子供の様な、小さな影が見えた。
警鐘が鳴ったことでウィルが外の様子を確認しているのだろうか。
「ウィルー!」
隣を走っていた胡桃も同じことを思ったのだろう、大きな声で呼びかける。
が、その小さな影はこちらを向いた程度で、答える様子は無い。
「まて胡桃、あれはウィルじゃない」
「えっ?」
ある程度近付いて気付いた。
折れ曲がった様に前屈みな姿勢と、細身の体には衣服らしいものは見当たらず明らかに様子がおかしい。
もう死人がここまで?
俺は駆け寄ろうとする胡桃を制止し、剣に手をかける。
その瞬間だった。
その影の目が赤く光ったかと思うと、次の瞬間には先程まで影が立っていた場所に姿は無く俺の左側から異様な気配が迫るのを感じた。
その小さな手から伸びる鋭い爪が光り、もの凄い速度で俺を引き裂こうと襲いかかってきたのだ。
俺は構えていた剣を抜き、間一髪の所でその爪を受ける。
「痛っ!」
受けきれたかと思ったが爪は俺の左腕を掠めていた様だ、まるで熱した鉄を押しつけられたかの様な痛みが走る。
影はそのまま飛び退き距離をとると、こちらの様子を伺っているのか動きを止めた。
そしてその小さな影が月明かりに照らされ、その爪に付着した俺の血を裂けた口から伸びる長い舌で美味しそうに舐めている異様な姿が映し出された。
全身が死んだ人間を思わせるように青白く、醜く歪んだ頭部には尖った耳が生えていて、その前屈姿勢から俺を見る瞳は赤く充血しきった様な目だ。
死人じゃない、素早い動きからそれだけは明らかだった。
「グール……」
前に読んだ本にはこれの事も書かれていた。
素早い動きとこのまるで悪魔の様な姿、死肉や生きた人間の肉を食む化け物だ。
次の瞬間、グールの側面から黒く鋭い刀が薙ぎ払うように一閃。
状況を理解した胡桃の斬撃だ。
グールは大きく飛び退き、胡桃の刀は空を切る。
「達也、大丈夫!?」
「ああ、腕も動く、まだいける」
「うん、いこう」
短く会話を交わすと俺達は左右に別れ、グールに斬りかかった。
俺より動きの早い胡桃が奴を切り裂こうと刀を数度走らせると、グールは胡桃のさらに上をいく速度で、小さく飛び退く様な動きでその刀に中空を切らせていく。
俺は胡桃との応酬で飛び退いたグールを着地先で待ち受け、その胴を両断する勢いで剣を振るが金属の擦れあう様な耳障りな音と共に俺の剣とグールの鋭い爪が合わされた。
「速すぎるよっ!」
「胡桃、一旦下がれ!」
二人でかかっても剣は届かない、俺が引き付けて胡桃に止めを、そう判断し胡桃を下がらせる。
グールと向き合うと直ぐ様襲いかかる鋭い爪をギリギリの所で受けると、グールはそのまま裂けた口を開き、俺の首元を牙で狙いにかかる。
俺は後ろに倒れ込む事でその牙から逃れグールを蹴り飛ばし、すぐに体制を立て直そうとするが、それより速く、その鋭い爪が俺の首を切り裂こうとしていた――
が、その爪が俺の首に届くか否やと言うところでグールは地に崩れ落ちる。
その胴から下は離れ、二つに両断されていた。
「危なすぎるよぉ……」
胡桃の声がしてやっと、胡桃が助けてくれたのだと気付いた。
「ギッ、ガアアアアァッ! ギァァァアア!」
突然の叫びに驚いて俺は後ろに飛び退いてから気付く、その叫びは両断されたグールから発せられたものだ。
その上半身は地面に伏したまま悶え苦しんでいて、未だ絶命していない。
「真っ二つにされて死なないのかよ……」
「やだ……。恐い……」
俺は手に持った剣の先を下に向け、目を背けながらグールの頭を突き刺す。
するとその叫び声は徐々に弱っていき、しばらくして事切れた。
「ありがとう胡桃、助かったよ」
今目の前で絶命した恐ろしい化け物から命の危険を退けた事に安堵しつつ、声をかけた先に居る胡桃に目を移すと、そこには月光を受けて輝く美しい黒髪、その背後に先程まで戦っていた化け物同様の醜悪な顔――――
もう1匹いた。
いや、さっきのグールの叫び声……呼んだのか。
その裂けた口から生えた鋭い牙が胡桃の首に――――
待て、やめろ。
ヤメテクレ――――
その瞬間、「あの時」と同じ感覚が体中を駆け巡った。