唐突
いつだって物事の始まりは唐突だ。
悪い事なんてのは、その最たるものかもしれない。
自分の知らない所で色々な事が起き、人為的な事であれば水面下で全てが進み、最終的に自分に降りかかってくる。
それが分かるのは事が起きた後なのだから、唐突と言うしかない。
そんな訳で、今まさに人生で一番最悪な出来事が俺に訪れた。
――――死だ。
平凡な人生を終わらせたい、なんて思った事はないが、死んだら楽になるのかもしれない、くらいの事は考えた事がある。
ただそんな勇気は持ち合わせておらず、行動になんて一歩たりとも踏み込める訳もない。
それでも、いざ死ぬ時はあっけなく終わるんじゃないか、なんて安易に考えていたのだが。
実際は恐怖以外の何もない。
何が起きたのか理解する時間も無く、言葉を紡ぎ出すのも不可能に思える程の一瞬。
表現する事も出来ないくらいの恐怖を目の当たりにして思ったのは、
――「死にたくない」――
ただそれだけだった。
その想いを噛み締めながら、俺の視界は闇に閉ざされ、意識は途切れた。
――――
俺は菊地達也。どこにでもいる平凡な高校二年生だ。
記憶にあるのは朝家を出て通学の為、駅に向かっている所まで。
何が起きてこうなったのか……。
そういえば昨日の夜遅くまでゲームをしていた、寝不足で何かしでかしちまったのか?
さっぱり思い出せない。
とにかくもう、何かを感じる事なんて無いと思った。
でも朦朧とした意識の中で確かに見た気がする。
――赤い花。
――長く綺麗な黒髪の女の子。
その女の子が座り込んで泣いていたのを。
俺には、その花と女の子の姿はとても綺麗で、ただ見とれていた――――
次の瞬間、何故か「目覚める」感覚を再び味わうことが出来た俺が、一番最初に認識したのは、地面の冷たさと寒さだった。
俺は死んだんだ。
まず思ったのはそれだった。
あの恐怖は今も残っていて、間違いなく現実である確信があった。
では今居るここはどこなんだろうか?
辺り一面に光は無く、ただ暗闇が広がっていて、どうやら石造りの硬い床に横たわっていたようだ。
死後の世界ってやつなんだろうか、それにしても死んでまで寒い思いをしなければいけないのか。
いや、むしろ死んだから寒いのか?
とにかく感覚があるのだ、色々確認しようと俺は手探りで行動することにした。
幸いすぐ側に壁があったので、一先ず立ち上がり、暗闇に両手をかざしながら数歩進むと、冷たい何かが手に触れるのを感じた。
かざしていた手を、それを確認するために動かすと、どうやら金属製の太い棒の様なものが、等間隔で網目状になったものらしい。
その後も左右の確認を続けたが、その確認作業はすぐに終わりを告げた。
分かった事は――
前後左右、数歩しか歩けるスペースは無く、石かレンガか何かで出来た壁に囲まれていて、窓も、家具の様な物も何一つ無い事。
ただ、一方向だけ壁ではなく、鉄格子の様なものがあり、そこからは出られなくなっている事。
まるで牢屋だ……。
鉄格子を取り外せないか、上下左右に動かそうとしてみるが、ガチャガチャと音を立てるだけで、外せそうな気配は全く無い。
「誰か居るの?」
突然女性だろう高い声が、暗闇の中に反響した。
人がいたのか?
驚いた俺は、しばらく音を出さない様にじっとしていた。
暗くて何も見えないが、牢屋の中にいる俺に、害を加える何者かが居たとしても、なんらおかしくは無いのだ。
ま、死んでるんだから怯える必要も無いのかも知れないが。
しばらくの沈黙の後、再び女が口を開いた。
「あ……、一緒に捕まった人?」
綺麗な声だ。
「……捕まったって何?」
つい声を出していた。
捕まったってのはなんだ?
その言葉の意味を短い時間の中、頭をフル回転させて考えてみるが話が全く見えて来ない、声からは若い女の子だろうかとにかく彼女の話を聞いてみることにしよう。
「あぅ……」
突然の俺の声に動揺したのか、黙ってしまった。
仕方がない、何か気が和らぐ様なことを……。
「ごめん……、俺の名前は菊地達也。 一緒に捕まったって事は、君も牢屋みたいな所に入れられているのか?」
が、俺にはそんな気が利いた事を言えるようなスキルは無かった……とにかく自分の名前を伝えれば、多少マシに進むんじゃないか、程度の考えだった。
「……うん」
「君の名前は?」
「胡桃」
「くるみさん、か、胡桃さん、ここはどこなんだ?
「分からない……、気がついたら手を縛られて馬車みたいなものに乗せられてて、一緒に多分……、あなたも乗せられていて、無理やりここに連れてこられて……。何処かの地下みたいな所だとは思うんだけど……」
声を聞く限り、かなり若い女の子か。
この子が言った通り、何者かに捕まえられてここに閉じ込められたのなら、目的はなんなのだろう。
この子は知っているだろうか。
「地下か、真っ暗な訳だ。連れてこられたって事は、誰かにってことだよね、どんなやつらだったか分かる?」
「……うん。男の人ばっかりで、怖そうな人達だった」
「そいつら、……何か言ってなかった?」
しばらく沈黙が続いた。
やはり何も知らないのだろうか。
そもそもこの暗闇で相手の状態が見えないんじゃ、信じられるかどうかも怪しいところだ。
それはこの子にとっても同じかもしれないが。
「分からないか、ならいいんだ」
「私達……、売られるのかも……」
「う、売られる?」
「私達なら高く売れる、みたいな事、喋ってた……」
ちょっとまて。
売れるってなんだ、人身売買?
そもそも俺は死んだはずじゃ無いのか?
本当は死んでなくて、捕まったって事?
死んでから捕まった?
いやいや、それは意味が分からない。
まずい、混乱してきた。
「おかしな事聞いてもいいか?」
「何?」
「俺さ、ここで目覚める前、死んだ様な気がしたんだけど、君も……その……死んだりしてない?」
「……ごめんなさい、私……」
そりゃそうだ!
俺は何を聞いているのか。
とりあえず、冷静にならなければ。
「いや、ごめん。とにかくこのままじゃヤバいって事は分かった。ここから出る方法を探そう」
そう言ってから、俺は何か無いかと辺りを探し始めた。
――――
それから何時間経ったか、こんな暗くて何も見えない場所じゃ時間感覚も何もあったもんじゃないが、2、3時間は経ったんじゃなかろうか。
色々試してみた結果。
無理だ。
手探りで探してみたが、物なんか何も無く、ここから出るって言ったって、ここが地下なら壁をどうこうしようなんて事も出来ない訳で、この鉄格子をなんとかしなければ、早々に出るなんてのは不可能なのだが、とにかく道具も何もないんじゃ、話にならない。
脱獄映画とかなら、食事の時に使ったスプーンとかフォークとかを隠し持ってきて、時間を掛けて壁を掘ったりするのだろうが……、そもそも食事にありつけるのかどうか不明であり、時間に猶予があるのかすら分からない状態だ。
くそっ、そういえば腹減ったな。
胡桃ともあれから何度か話したが、ここに連れてこられてからは多分半日程度で、食事が運ばれて来るどころか、誰一人として来てはいないらしい。
とりあえずは、誰か来るのを待ってみようか……、いや、売られるって事は誰かが来る=連れ出されてそのまま……って可能性もある。
しかし脱出する手だても無い。
どうしたものか……。
そのまま冷たい床に倒れ込み色々考えていた俺は、疲れてしまっていたのかいつの間にか眠ってしまっていた。
――――
「……の方は、買い手が……」
「…始末……とさ」
「仕方ねぇな……」
男の野太い声が微かに耳に入り、俺は気が付いて、慌てて起き上がる。
暗闇に慣れた目には、微かにだが光が差し込んでいるのが確認でき、足音からは何人かがこちらに近づいてきているのが分かる。
なんで寝てしまったのかと後悔する。
「胡桃ちゃん?」
「あ……急に何も言わなくなっちゃったから、どうしたのかと」
「ごめん、とにかく誰か来る。俺が何か話してみようと思うんだけど、危ない事になるといけないから、眠ったフリでもしててくれ」
「うん、分かった」
足音が段々と近くなり、蝋燭の火の様に、光が揺らめきながら近づいてきた。
こちらからも男の姿が確認できる、
革製の鎧の様なものを身に纏った二人組で、服装からはまるで過去……それも別の国にでも来たのかと思ってしまうほど、異質な事が分かった。
手には持ち運び用の燭台を持っていて、一番目を引いたのは、腰に下げた剣のような物。
武器だろう事は確かだが、時代錯誤にも程がある。
胡桃は右前の牢屋、俺と同じ様な場所に入れられているようだ。まだ灯りが足りなくて顔までは見えないが、俺の言った通りに横になっていた。
気になったのは胡桃の服装だ。
明らかに、俺が見慣れた服、どこかの高校の制服だろう、女子高生、といった感じだった。
そうこうしている内に、男達は俺の牢の前まで来て、鍵を取りだし鉄格子にかかった錠前を取り外す。
「あんた達、俺をどうするつもりだ?」
「出ろ」
「ちょっとは話を――」
言っては見たが、男達は何も言わずに、俺を牢から引きずり出した。
「歩け」
くそっ、とりつく島も無い。
仕方なく言われるがまま歩きだす。
その際、胡桃が起き上がって鉄格子に捕まり、心配そうにこちらを見ているのが分かった。
一瞬だけ見えたその顔はとても綺麗で――
――あの時見た少女だ、朦朧とした意識の中で見た女の子は胡桃だったのか。
まるで時間が止まったかの様に、俺は胡桃の顔を見つめていた。
あの時、何故泣いていたんだろう。
そんな想いが頭を過った。
そんな時間もすぐに終わりが来てしまい、歩いてすぐに見えた階段を上らされ、男達は慣れた様子で後ろから着いて来ている。
前を歩いてくれれば何かチャンスもあったかもしれないが、後ろから様子を見られていては何も出来ない。
階段を上りきると、木造りの家らしい、蝋燭がいくつか灯された少し明るい部屋に出た。
机と椅子が数個置かれているだけの、殺風景な部屋で特に誰が居る訳でも無い、俺は急な眩しさに顔を背け立ち止まると、後ろの男に歩けと急かされる様に押される。
「そのまま、右側のドアを開けて外に出ろ」
言われた通りに右側のドアを開けると、そこは裏口だったようで、草も何もない場所にでた。
時間的には夜なのだろう、外は月明かり程度の光しか無い。
そこには、地面に一つ、穴が掘られていた……。
それを見てすぐに俺は悟った。
また死ぬのか。
こんな何処とも知れない場所で。
男に後ろから蹴られ、俺は掘られた穴の前に倒れ、這いつくばりながら慌てて男の方に向き直る。
「すまないな、お前は用済みだ」
腰に下げられた鞘から、剣が抜かれ、
俺に目掛けて降り下ろされる。
咄嗟に両手を自分の前に出し、身構えた。
――――死にたくない――――
そう思った瞬間だった。
俺目掛けて降り下ろされた剣が突然、
スローモーションがかかったかのように、遅くなっている。
ああ、スローに見える……。
いや……、違う、そう見えるんじゃない、実際に遅くなっている。
俺の手は明らかに目の前の剣より、早く動いている事に気が付いた。
やるしかない。
そう思った。
俺は目の前に迫ってくる剣を奪い取るよう、男に襲いかかる。
何故かなんの苦もなく奪い取ることが出来たことに多少の違和感を覚えるが、そんな余裕は無い。
そして、今の今まで俺を殺そうとしていた男の首目掛けて、剣を降った。
違和感を覚えたのは、手応えが無かった事だ。
だが、男の胴から無くてはいけないものが離れていくのは分かった。
続けざまに、その後ろに居た男にも剣を降る。
斜め上から切り下ろした剣が、手応え無く下まで降り下ろされると、平凡な高校生だった俺には絶対に不可能な事が起こったと、思わずにはいられなかった。
男は肩口から膝にかけて切り分けられていたからだ。
時間が止まったかの様だった世界は、再び通常に戻り、男達は血飛沫をあげながら崩れ落ちた。
何が起きたのか考える余裕なんて無かった。
男達だったものから鍵の束を奪い取り、慌てて今出てきた扉から部屋に戻り、地下へと走る。
暗闇に戻り、何度も壁にぶつかりながら
胡桃の牢の前に辿り着くと、それまで離すことの出来なかった剣を捨て、血まみれの手で鍵を開けようとする。
慌てているためか、合う鍵がなかなか見つけられない。
「大丈夫」
胡桃はそう言うと、鉄格子越しに俺の手を取る。
俺の手から、胡桃の手へと、生暖かい血が垂れていくが、それでも胡桃は臆すること無く、
「大丈夫だから」
そう告げて俺が落ち着くまで、手を離さなかった。
ようやく落ち着いた俺は鍵を開け、胡桃の手を掴んで逃げ出した。
その後の事はあまり覚えていない。
ただ、手を掴んだまま草原を逃げ惑う中、胡桃の口から零れた言葉だけが脳裏に焼き付いて離れなかった。
「……あなたを殺したのは私――――」
目に涙をためてそう言った彼女の長く綺麗な黒髪には、赤い花の髪飾りが、とてもよく映えていた。
お読み頂きありがとうございます。
初投稿です。
勉強不足で至らぬ点も多いかと思いますが、
よろしくお願い致します。
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お寄せ頂けたら幸いです。