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理の極み  作者: 沢井 淳
三章 帰還した者
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三章 帰還した者 1

 宮祁家は空知と同様に、地主格の家柄という。ただ空知の者ではなく、居を構えているのも、さらに西の岐阜県飛騨市であり、血筋的にも祖母の弥栄から数えて、高祖母に当たる人物からの分家に当たる。なので、空知と深い繋がりがあるわけでもないらしい。

 だから、なのか。

 祐太朗は一人、叔父の部屋で何度目かのため息を吐いた。

 すでに居心地の悪い夕食は済ませた。

 各々、散り散りになり、祐太朗は割り当てられた部屋へ戻ったあと、鞄とファイルを手にして叔父の部屋へ来ていた。

 辺りは段ボールの山だ。

 そのどれもに、押しつけられた叔父の遺産が詰まっている。幾つか開けてみたが、ほとんどが本だ。一瞬、極神大全が過ぎったが、研究資料的な本であり、ちゃんと定価の値が書かれたものばかりだ。

 なにがしかの手がかりでもと思ったが、今のところめぼしい物はない。しかしすべて目を通したわけでもないので、今後はこの遺産の精査も必要になってくるはずだ。

 そう、うまくいかなければ。

 死人帰還。

 術式に間違いはない。

 ただ、まだ心のどこかで疑っている。

 信じ切れないのだ。

 そのために、次点となり得るものなら、なんでも吸収する気でいた。

 けど、この量は。

 部屋の戸を開けて、祐太朗はしばし呆けた。叔父の個室は、館の中でも小さい方だったらしいが、それでも祐太朗の安アパートの部屋の三倍は楽にあった。そこにびっしりと、天井に到達するほどの段ボールが部屋の奥まで詰まれているのだ。

 呆けるのも無理はない。

「こいつらも、どうにかしないといけないが……」

 見回したあと、がっくりと肩を落として近くの段ボールに腰を下ろし、手にしたファイルを開いた。

 見たのは何度目だ。

 悪くはない代物だ。

 祖母から渡された物にしては。

 ただ、ファイルの属するカテゴリーが祐太朗を憂鬱にさせる。

「お見合い、か」

 夕食の最中だ。

 祖母が突然、祐太朗のお見合いをすると口にした。食堂は一瞬騒然としたが、祖母の命である点が他者の口を封じてしまう。当事者である祐太朗は、果敢にも意見具申をしてみたが、どうやらすでに決定事項であったらしい。

 なにしろ、相手はあの宮祁真美子。

 仕組んでいたのだ。

 理由としては、叔父・六郎の死を契機に『孫の独り身を案じた』となっている。しかもご丁寧に『お前は奥手だから。早め早めの行動が良い結果を生むのよ』と念押しする始末。

 そして一度、上で決まったことは覆らないのが空知の掟だ。

 明日の昼、この館でお見合いが行われるのは確定だ。

「あの、女と」

 魅力的であるのは認めている。

 心すら持って行かれそうになったのだから。

 現に手元の写真は、写真屋で撮ったのか、額縁に入れても良いぐらいの出来であり、晴れ着を着た被写体の姿は何度見ても飽きない。

 でもこの女は……怪しすぎる。

 館までの帰り道、ほとんど会話はなかった。

 祐太朗が喋らなかったのは疑心暗鬼のため。では真美子のほうはどうなのか。急に向こうも喋らなくなった。それは、気付いたからではないか。祐太朗が怪しんでいることに。それとも、楽しんでいたのか。

 裏門に着いたとき、先を歩いていた真美子が振り返り、怪しく微笑んだ。

『少し、怖かったですね』

 周りの雰囲気に怯えていた、だから無口だったのだと、言いたかったのかもしれない。しかし赤い唇は楽しそうに歪んでいた気がして仕方なく、自然と距離を置くようになった祐太朗は、さして話を膨らませることなく軽く流した。真美子のほうも淡々としており、夕食の時間や入浴、明日の朝食等を伝えたのみで、二人は何事もなかったかのように別れた。

 食事の時も姿はなかった。どうやら空知家のみという縛りがあったのと、世話を命じられたとはいえ、それは葬式までであり、館には泊まらずに宮祁所有の別荘へ帰ったと聞いた。

 結局、怪しいまま。

 疑いはすれど、確かめる過程までは踏み込めていない。

 限りなく黒に近い。故に、黒として発覚した場合、なにがしかの山場が来てしまう。それに対する策は、まだ祐太朗のなかになかった。

 今のままでも。

 身体強化の面では余裕あれど、問題なのは精神面だ。

 争うのか? このぼくが。

 それはなるべく避けたい代物だ。

 祐太朗は深くため息を吐き、つぶやいた。

「まだ成果も出てないのに」

 問題は山積みだ。

 どれから片付ければいいか、迷うほどに。

 途方に暮れるも、祐太朗は再びファイルに目を通しはじめた。

 どうなるにしろ、まずは見合いか。

 時系列的に言えば次のイベントはお見合いとなる。真美子を問いつめるとしても、それは死人帰還が完了してからだ。

 すべては、叔父さん次第さ。

 切り替えて、祐太朗は記された情報と向き合う。

 宮祁真美子の経歴に特異な点は見当たらない。宮祁家の一人娘として生まれ、小中高は地元の公立を出たあと、関東の大学に通い、現時は国際企業のイノベート製薬会社の秘書課に所属している。

 たしかに特異じゃないが、エリートだよな。

 釣り合わない。

 年齢は二三歳。年の差は四歳と、気になる人も気にならない人も半々いる程度の開きだろうが、数字以上の落差を感じてしまう。

 たぶん、雰囲気から。

 社会人一年生には見えない。初々しさも無ければ、苦労のあとも見えない。会社で出会っているわけではないから、想像上でしかないが、異様な存在感を発揮して一目置かれているのではなかろうか。そう思えるほど真美子は完璧と言えた。

 ほんと釣り合わない。……唯一、勝っているものがあるとすれば。

 極神大全を除外したなかでは、家の格だけだろう。

 それも実家でなく、祖父母ら本家の格。

 空知としての格だ。

 だから、見合いを承知した?

 空知との繋がりを得るために?

「それぐらいか。常識的に見れば」

 ならば、裏は?

「黒であること」

 黒であったならば、目的は?

「該当するものは、たった一つしかない」

 極神大全のみだ。

 足元にある鞄を引き上げ、中を確認する。

 赤黒い革表紙は健在だ。

 こいつしか、考えられないが……。

 今のところ驚異は感じていない。それでも対策として束縛系の呪文を唱え、見えない鎖で極神大全と自分を結びつけた。これで物理的に一メートル圏内の縛りができあがる。手放したとしても、奪われたとしても、一メートル以内しか離れることはない。お陰で常に鞄を持ち歩かねばならなくなったが、奪われるよりかマシである。

 ただ、動きはない。明日次第なのか。

 すべては明日。

 お見合いから導き出される結果も、死人帰還の結果も。

「そうだな。今日が無事に」

 何事もなく乗り越えられた場合は、すべてが明日となる。

 それまでに。

「できるだけのことを」

 やっておくか。

 極神大全を取り出した祐太朗はゆっくり立ち上がり、段ボールの山と対峙した。


  ◇◇◇


 十九年間、生きてきたなかで完全に把握しているものがある。

 自分はもてないのだと。

 どちらかといえば、好かれもしない。

 もっと酷く言えば、気付かれもしない。

 ぼくは空気なんだね。

 窓際の席で空を眺めながら悟ったのが、小学一年生のとき。

 それ以来、事務的な会話以外、同年の異性と口をきいたことはない。事務的以外で会話らしきものが成立したのは、昨日の真美子と会話が初かもしれない。

 改めて、この事実を思い返したとき。

 祐太朗はようやく、事の重大さを理解した。

 今までまともに女性と会話したこともない、付き合ったこともない人間が、結婚を前提としたお見合いをしている、ということに。

 そこに。

 極神大全も。

 昨日抱いた疑念も。

 吹っ飛んでしまうほど、緊張でガチガチになっていた。

 真っ白だ。

 昨日、葬式が行われた部屋で、今度はお見合いをしている。入ったときに違和感を覚えるも、晴れ着の真美子と、隣りに座る灰色スーツの男を見て、一気にかき消えた。代わりに極度の緊張が祐太朗を襲い、真っ白状態が続いている。

 互いの挨拶後、何回か会話のやり取りをしたはずだが、まったく記憶に残っていない。ただ、男の名が宮祁栄蔵であり、真美子の父親という二点だけは焼け付くように覚えていた。自己紹介しながら値踏みするかのような視線を向けた栄蔵に、緊張よりも警戒心が上回ったのは確かだ。

 しかしそれも一瞬に過ぎず、お見合いの雰囲気に呑まれ、まともに喋ることなく、今に至っている。

 すでに思いはたった一つ、早く終わってくれ、だけだ。

 そんな祐太朗の状態を知ってか知らずか、祖母は気にすることなく真美子や、栄蔵と会話を続け、ほどなくして得心が行ったかのようにうなずき、定番の内容を口にした。

「では、あとは若い者同士で」

 本当に言うんだ。

 などと過ぎったものの、栄蔵が同意して二人が席を立ち、二人が残されて沈黙の帳が降りる。

 祐太朗も喋らなければ、真美子も黙ったまま。

 ちらり表情を伺うと、相手は祐太朗を見ずに磨りガラスから垣間見える庭のほうへ視線を向けていた。釣られて庭を見たが、さして特別な動きはなかった。それだけ、今という現状に興味がない、という現れだろう。

 そう、だよな。

 妙に納得がいくと同時に、打開案が心を占めはじめる。

 動かなければはじまらない。

 向こうが来ないのならば、こちらから動くしかない。

 緊張の鎖で縛られていた祐太朗であったが、ようやく心が動き出した。

 あの女だぞ。……意識するのは、白黒ハッキリしてからでも遅くはない。

 意を決し、祐太朗は沈黙を破った。

「緊張、しておりました」

 微かに真美子の目蓋が揺らぎ、ゆっくり視線を合わしてくる。

「やっと、ですね」

「すみません、慣れてなくて」

「昨日も、ですか」

 帰り道の件だろう。

「はい。申し訳ないです」

 偽りなく、と行きたいが偽らざる得ない。代わりに祐太朗は深々と頭を垂れた。

「なら、良いんです。私、嫌われたかと思って」

 顔を上げると、赤い唇に笑みを刻んだ真美子が少し頬を朱に染めていた。

 案外、可愛いのでは……。

 引き込まれそうになるところを、慌てて押し止めて視線を外した。

「それは誠に申し訳なく、というかこのお見合い自体が、ほんとにご迷惑をお掛けして」

「ご迷惑、でしたか?」

「はっ?」

 間髪入れずの問いに思考が止まり、間抜けな答えを言っている合間に真美子が徐々にうつむいていく。

「そうですね、やっぱり四歳差は大きいですよね」

「え?」

「祐太朗さんには、ご迷惑ですよね。こんな年上とは」

 いや、違う。

 叫ぶほどに否定したい。

 しかし思い止まった。

 相手は、あの女なのだ。

 幾ら、好感度が上がり続けても疑念は晴れていないのだ。

 冷静に、冷静にいくぞ。

 大きく唾を下し、祐太朗は話を戻す。

「いえ、そうではなく。今回は突然のことで、ぼくがこの件を知ったのは昨日、夕食のときでして。その、なんというか祖母のわがままに付き合わせてしまって、申し訳ない」

 しどろもどろになりつつも、なんとか方向を戻し、再度頭を垂れた。

「では、祐太朗さんはどう思っているのですか?」

「ぼく、ですか」

 ゆっくり顔を上げると、じっと見つめる真美子と視線が絡む。

 やばい。

 一気に顔が火照っていく。

 これだから、困るよ。

 女性に慣れていないのもあるが、それ以上に相手が悪すぎた。祐太朗にとっては好みのど真ん中ストライクなのだ。

 故に、正直に行くしかない。

「迷惑だと、思っています」

「……そう、ですか」

 目を伏せていく真美子に、心が痛むも言わざる得ない。

「冷静に考えて見てください。ぼくですよ、空知の里を出たら、単なる凡人、それ以下。しかも空知のなかでは異端の血筋でしょうし。正直、釣り合わないんですよ、真美子さんとは」

 言い切った。

 正直に。今回、偽ったのは好意ぐらいだ。

 やってやった。

 妙な満足感を覚えるも、長続きはしなかった。

「政略だと」

 真美子の一言でガラッと雰囲気が変わる。

「祐太朗さんは思っているのですね」

 赤い唇が歪む。

 見開かれた目がゆっくりと細められていく。

「事実、ですよね」

「ええ。事実です」

 即答だ。

 真美子は悪びれることなく、淡々と続けていく。

「宮祁家の歴史は古く、格としては空知家と同格、もしくは上でしょう。しかし二代前の家主が犯したある事業の失敗が、宮祁家を没落させて行きました。今では飛騨の片隅で、残された財産を切り売りしての生活が現状」

 真美子は小さなため息を吐き、立ち上がった。

「少し、外の空気を吸いませんか」

 返事を待たずに彼女は歩きはじめる。

「い、行きます」

 慌てて席を立ち、あとを追う。

 障子が開き、陽に照らされた庭園が広がっていく。

 白い玉砂利の奥には池があり、離れ小島には松の巨木が生えている。

 あれは、昔のままか。

 なにもかも放置して勝手に記憶が過ぎってくる。

 松の巨木まで、どうやったら渡れるか。飛び石はあるが、小島の手前だけ石が足りない。大人の跳躍力でも飛べはしない幅を、何度もチャレンジした。

 あの叔父と。

 十年以上前の記憶が蘇ると同時に、祐太朗の身体は微かに震えた。

 思い出すときに生じる、いつもの寒気だ。

 お陰で脳が鮮明になっていく。

 そうだ。なにをしているんだ、ぼくは。

 女のあとを追うこと自体に違和感を覚える。

 なにを。……どうせ意味はない。

 破談は確定だ。

 ぼくにも、余裕はない。

 いつ何かが起こってもおかしくない人生になってしまった。政略がどうであれ、このお見合いはただの時間つぶしでしかない。

 だったら、なにもかもすっぱりと。

 疑わしき点へ、祐太朗は一歩を踏み出す。

「真美子さんは」

「なんです」

 振り向くことなく庭へ降りる真美子を眺めながら、口にする。

「正直ですよね」

「そうかも」

 同意し、ようやく真美子は振り向いた。

 そこに笑顔はない。

 ただじっと、庭へ降りない祐太朗を見ている。

 そう。ぼくとあなたとの境界線ですよ。

 先ほどまでの緊張が嘘であったかのように落ち着いた祐太朗は、臆することなく真美子の目を見返す。

「なら、この茶番の結末もわかっていらっしゃる」

「わかっています。ただ」

「ただ、なんでしょう」

「祐太朗さんの思い描く結末ではない、ことは確かです」

 それは、どうかな。

 違うとなれば、彼女はこの縁談が乗り気であることを示す。

「政略でも構わないと?」

「私は……宮祁の家が、生き方が嫌いでした。ずっと出たくて、ようやく大学でその思いが叶い、就職も都内となりました。そこへこのお話。正直、来たくはありませんでした」

「では、なぜ」

「幾ら嫌いでも、私は宮祁の者。家のためならば、動くのです」

「叶った願いを、捨てることになってもですか」

「はい」

 答えに迷いは見えない。

 すでに覚悟している、または運命を受け入れている、そんな風にすら思えてくる。政略に後ろめたさを見せず、むしろ祐太朗のほうが、覚悟もなくやる気もない、モラトリアム全開の面倒事を避けたがる、最低な男といった風に見えるのかもしれない。

 こっちだって、被害者なのに。

 恨めしく祖母を思い浮かべるも、祐太朗は自身の流れを変える気はなかった。

「だから、ぼくの思い描く結末とは違う、そうおっしゃる」

「はい。ただし」

「なんです?」

「祐太朗さんが私を気に入ってくれる、という前提が必要になりますけど」

 凄いな。

 正直な感想だった。

 自信から来るのか、それとも本心でそう思っているのか。どちらにしろ、言い切った真美子がはにかむ姿は裏表を感じさせない、好ましいものだった。釣られて、こっちの気分も軽くなる気がする。

 しかし、祐太朗は踏みとどまった。

 心を鬼にして、結末へと向かう。

「ほんとに。真美子さんは率直で、正直ですね。……だけど」

 墓場での出会いが過ぎる。

 あの時点で、あなたがぼくに追いつくことは、あり得ないから。

「真美子さんは、まだなにか隠してますね」

「隠す」

 つぶやいた真美子はゆっくりとうつむき、微かな声で囁いた。

 それは聞かせる意味のない独り言。

 ただ楽しさから漏れた、心の声。

 祐太朗だけが聞くことのできる、真実の言葉。

 仕掛けていたのだ。

 欺く意志が生まれたその瞬間に、相手の心の声が聞こえるよう、心理開錠の呪文を唱えていた。

 やっぱり。

 確信する。

 目の前の女はあきらかにおかしい。

 聞こえた時点で確定だ。

 しかも、彼女は何かを知っている。

 彼女の心は、こう囁いたのだ。

「お互い様でしょ」

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