風邪っ引き魔法使い
はっくしょん!
盛大にくしゃみをした男を瞳に映して、酒場『星屑亭』のウェイトレス、マチカは苦笑した。
「ガウェインくんって、いっつも風邪ひいてるよね」
「まあ、仕方ない。そうじゃなきゃ商売にならないしな」
白髪と紅眼が異様に目立つ男――ガウェインは、ちり紙で鼻をかみながら応えた。彼はばっちい紙をまるめてテーブルの脇に置き、マチカの持つトレイに乗っていた酒をひったくった。
「あ! それは他のお客さんのだよ!」
「ばれなきゃいいんだよ。それに、飲みもんなら直ぐ代わりのもんを用意できるだろ?」
「ごらあぁあ! 姉ちゃん! 俺の酒はまだかいっ!」
「……ばれてないけど、非常に苛立たしげにお客さんがお待ちしている場合はどうしたら?」
「知るか。頑張れ」
既に酒に口をつけているガウェインをキッと睨みつけ、マチカは怒鳴っている酔っ払いの元へと小走りで向かう。
「申し訳ございません、お客様。すぐに用意いたしますので少々おまちください」
「直ぐに言うていつ来んじゃいっ!」
そう怒鳴り、酔っ払いはマチカの体をなめるように見る。
「げへへ。まあ、待ってるあいだ、姉ちゃんが楽しませてくれるってぇんなら、俺も鬼じゃねぇ。許してやらんことも……」
ふぅ。
ちびちびと酒を飲んでいたガウェインは、肩を竦めて嘆息した。
酔っ払いというものは、どこの街でも、どこの店でもたちが悪いもんだ、と。
「ボクも一因ではあるし、仕方がない」
立ち上がると、ガウェインはこめかみに右手人差し指をあてる。そして、瞳をきつく閉じた。
「Heat」
ぱちっ。
ガウェインの呟きに伴い、一条の光が店内を駆け抜け、酔っ払いに突き刺さる。
すると、酔っ払いの髪の毛が勢いよく燃え上がった。
「あちちちちちちちちちちっっ!」
わあぁあ!
歓声が上がる中、ガウェインがスタスタと酔っ払いに近寄っていき、そのまま何気ない動作で近くのテーブルに置いてあった水差しの水を――ぶっかける。
ばしゃあぁあんッ!
「目は――覚めたかい?」
ぐすっ。
鼻をすすりあげながら、ガウェインが尋ねた。
彼の目だつ風貌を瞳に入れた酔っ払いは、目を白黒させて腰を抜かす。
「が、ガウェイン…… 風邪っ引き魔法使い!?」
「その二つ名、嫌いなんだがな」
ふたたび息を吐き、魔法使いが苦笑する。
風邪っ引き魔法使い。ガウェインがそのように呼ばれる理由はただ1つ。風邪菌を体内に使役することで、自身の魔力を高めているがゆえだ。
風邪を引いた際の発熱や頭痛――そういった事象は、体内での魔力の暴走が原因とされている。人間は、自己防衛のために体内の魔力を極限まで高め、菌を追い出そうとするのである。
そのメカニズムを利用するのが、ガウェインだ。
ガウェインは常に風邪状態でいることで、体内の魔力を活性化させ、その魔力を体外に放出する。そうして、通常よりも強い魔法を駆使するのである。
「さて…… それで? まだ飲むのかい?」
「ひええぇええ!」
酔っ払いは一目散に逃げて行った。
その後ろ姿を見送り、魔法使いが、へきちっ、と小さなくしゃみをする。鼻をすすりあげてから、得意げに口の端を持ち上げた。
「そうそう。飲みすぎは体に毒だ。とっとと母ちゃんのとこに帰んな」
わああぁああああぁあ!
ぴぃいいいぃい!
沸き起こる大きな歓声。皆、態度の悪い酔っ払いに辟易していたのだろう。
「いやあ、助かったぜ、ガウェインさん。お礼だ。好きなだけ飲み食いしていってくれよ」
ついには店主がそのようなことを言い出した。
「おっ、いいのか? んじゃま、遠慮なく。マチカ、酒追加な」
調子にのった魔法使いが、どっかと椅子に座り、足を投げ出す。
彼の周りには人が集い、或いは、先ほどの魔法に対する賛辞を送り、或いは、日ごろの仕事ぶりに対する感謝を口にし、或いは、これから夜の仕事に向かうだろう女性が営業スマイルを向けた。
人に囲まれ、ガウェインは満足そうに笑っている。
そんな中、マチカは独り嘆息する。騒動の発端を思い出し、そして、床に落ちた料理やお酒、壊れたテーブルなどを瞳に映し、深く深く嘆息する。
「騒ぎの原因もガウェインくんなんだけどなぁ」
ぶえっくしょん!
魔法使いの大きな大きなくしゃみが、再び『星屑亭』にこだました。