第40話「自覚」
ちくちくちく。
ああ…もう。
何でこんなことに…
否応なしに降り注がれる視線に息が詰まりそうになる。
そっと辺りの様子を伺うと、嫌というほど怨念やら羨望やら入り雑じった眼差しを受けて、慌ててまた顔を俯けた。
だから私のせいじゃ…
心の中で必死に言い訳をしてみるが、それが周りに届くことは勿論ある筈がなく。
知れずとため息が零れる。
当の本人は、何を考えているのか相変わらず分からない。
健人くんらしいといえば、らしいんだけど……
整った表情はまったく崩れる気配がなくて。
動揺している自分が悲しくて、気付かれないようについ恨みがましい視線を向けてしまう。
こんなに皆から痛いほど見られるのは、間違いなく健人君のせいなのに…
「あ〜お〜い〜」
ガシっと両肩を掴まれたかと思いきや、由里香にいきなり前後に揺すぶられる。
「なんで…何でアンタが早坂君とペアになってんのよ!!」
「ゆ、由里香…ちょ…」
めが…メガネが落ちちゃう!
身体を揺すられている所為で、眼鏡が鼻までずり落ちてくるのが分かる。
朦朧としてくる意識の中必死に訴えるが、目が怖いぐらい真剣な由里香には聞こえてないようだ。
ひえええぇぇ…
「私と交換しなさいよ!」
「え…えぇ!?」
マジだ…由里香目がマジだ。
ど、どうしたら…
返事が出来ないでいると、さらにグッと一歩顔を近付けられる。
「ちょっと、葵衣聞いてんの!?」
「へ」
「こらこら、ストップ〜!!!」
困っていたところに助け舟を出してくれたのは、庇う様に前に立ってくれた香帆先輩だった。
香帆先輩は呆れたように由里香を見て言う。
「駄目だって言ってるでしょ!クジの交換とかも一切禁止!!ルール違反よ、それは。他の子達だって貴女と同じように思っている子いっぱいいるんだから」
「そんなぁ〜…香帆姉…」
「そんな目で見たって駄目よ!それに眼鏡ちゃんだって好きでこの番号を引いたわけじゃないんだから。大人しく我慢しなさい。相手の子にだって失礼でしょ」
「……」
納得したのか、極まり悪そうに由里香は俯くと、「ごめん」と呟いた。
そんな由里香に香帆先輩は微笑むと、2回パンパンと手を叩く。
「はいは〜い!それじゃあ今から始めるわよ!1番のペアから順番に5分後にスタート地点を出てね!!お化け役はもうスタンバってるから」
そう言って、ニヤリと笑う香帆先輩は何だか凄く楽しそうだ。
うぅ〜…
やっぱり嫌だな、肝試し…
私も今からでも頼み込んで「お化け役」をやらせて貰おうとも考えたけど、それはそれで怖そうだし…はあ…
―――こうして、決心がつかず不安を抱えたまま、合宿最後の夜のイベント「肝試し」が幕開けすることになってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チッチッチ…
秒針の音がやけに心に響いてくる。
すでに由里香達もスタート地点を発ってしまい、自分達の順番がすぐそこに差し迫っていた。
時計の長針がカチッと5分を指す。
「―――行くか」
それを合図に、健人君が歩き始めた。
わわっ…待っ…
慌てて健人君の後ろに付くようにして、おずおずと私も歩き始める。
ひ、ひえぇ…
先程の騒がしさは何だったのか。
そう思ってしまうぐらい、対照的な静けさ。
しんとした空気が漂う中、時々カサカサと風で木の葉が揺れる音がする。
その度にビクリと反応してしまう自分の臆病さが情けない。
子供じゃないんだから…
健人君の背中だけを見つめながら、そう必死に自分に言い聞かせる。
そういえば前にもこんな状況があったような…
そう、確か健人君の家にお邪魔した帰りに送って貰った時、だ。
あの時もこうやって健人君の半歩後ろを歩いてたっけ…
変わってないなぁ、自分。
なんて変な感慨を覚えながら、健人君の背中を凝視する。
「―――ここを右みたいだな」
「ぅえっ!?」
突然呟いた健人君に、驚いて思わず変な声が出てしまった。
穴があったら入りたい心境というのはまさにこの事だと思う。
は、恥ずかしすぎる…
健人君が道を迷わずに進むことの出来るのは、手元にある一枚の紙のおかげだ。
何だろうと思っていた紙は、祠の位置が記されている簡単な地図だったようだ。
祠に辿り着くのに、どれぐらいかかるのかな…
持っていたお供え物が入っているという袋をぎゅっと握り締める。
健人君なら分かるかも…き、聞いてみよう。
「あ、あの…」
―――その時だった。
ぴちゃっ。
頬にいきなり冷たい感触が走り、悪寒のようなものが背中を下から上まで勢い良く駆け抜けていく。
「ひゃあっ!!!!!」
な、なななななな何!!!?
頭の中がパニックになり、訳も分からず咄嗟にしゃがみ込む。
何が起きたのか分からなかった。
頭の中が真っ白になっていく。
やだっ…怖いよぉ…
ガタガタと震える身体を抑えることが出来ず、目をギュッと瞑って自分の身体を抱き締める。
「―――いっ」
だから辞めればよかったんだ…肝試しなんて。
無理だって、正直に先輩に言えば良かったんだ。
なのに…なのにこんな事になるなんて。
自業自得に決まってる。
こんなんじゃ健人君にだって呆れられちゃ…
「―――おい!聞こえてないのか!葵衣っ!」
何でこんな事になっちゃったんだろう。
帰りたい…お母さんっ…
込み上げてくる涙を抑えることができず、嗚咽が口から漏れてる。
「―――くそっ…」
その呟きを耳にした瞬間、身体が強い力で上に引っ張られるようにして、立たせられたのが分かった。
途端に眼前に広がったのは、白い布地のようなもの。
肌越しに感じるのは…健人君のシャツ?
……え?
自分が抱き締められているという事実に気付いたのは、数秒後のことだった。
「大丈夫だから…怖がるな」
安心させるようにそっと降ってくる低い声に、徐々に張り詰めていた自分の空気が緩んでいくのが分かる。
「お前…もしかして、こういうの苦手なのか?」
こんな反応ではバレたも同然だろう。
こくんと正直に頷くと、健人君がため息を付くのが分かった。
落ち着いてよくよく見てみれば、さっきのが糸に吊るされた蒟蒻であることが分かり、一気に恥ずかしさが増す。
こんな古典的な仕掛けなのに…
あんなに騒ぎ立ててしまった自分がホントに情けない。
今の子供達だってこんなのに引っ掛からないかもしれないのだ。
やっぱり呆れられちゃったよね…
気まずさにこの場から今すぐ逃げたい衝動に駆られる。
「なんで…言わなかった?」
「……」
「今ならまだ間に合うけど…辞めておく、か?」
ふるふると、拒絶の意味をこめて首を振る。
だって…せっかく先輩達が用意してくれた企画なのだ。
自分の我が侭でその雰囲気を台無しにする訳にはいかない。
それに…ここで辞めてしまえば、「折角の健人君のペアなのに」と周りからは顰蹙ものだろう。
「ったく…」
行くぞ、という声と共に手を引っ張られる。
視線を自分の手に向けると、大きな角ばった手がぎゅっと自分の手を握り締めてくれていた。
ドクン…
もう落ち着いたはずなのに…
何故かまた泣きそうになってしまう。
何でこんなに優しいんだろう…
―――意地悪で冷たい時もいっぱいあるけど、本当はたぶんすごく優しい人。
胸がぎゅっと締め付けられるような感覚…
ドキドキと鳴る心臓の理由も。
幾度となく健人君の姿を思い出したことも。
こんなの少女漫画の世界だけだと思ってた。
自分にとったら程遠い世界…
夢のまた夢の話で、永遠に訪れることなんてないと思ってたのに…
―――多分、ずっと前からもう。
そっか…
もしかしてこれが「恋」、っていうのかな…
―――じんわりと感じる温もりに、私はそっと握り返した。