第37話「夜の静けさと」
「ぶえーっくしょい!!」
「だ、大丈夫?由里香…」
ずびっと鼻を啜って、由里香は「大丈夫よ」と笑ってみせた。
さっきので風邪でも引いちゃったんじゃないかな…
本当に大丈夫なんだろうか?
「にしても、ホントにむかつくーっ!!城乃内の奴っ、あのメス豚!」
「はは…」
あの後、香帆先輩が場を収拾し、二人とも喧嘩するのを大人しくやめてくれたので良かったけど…幸い、誰ひとり怪我を負うことなかったのだから。
それでも興奮は未だ冷め止まないのか、由里香はぶつぶつ呟きながらずっと不服そうにしている。
そんな由里香を見遣りながら、私は苦笑を浮かべすでに自動販売機から出てきていた缶を取り出す。
私が取り出した缶を見て、由里香は「あっ」と何かに気が付いたかのように小さく叫んだ。
「それ、新発売の『甘くて酸っぱい☆桃色サイダー』じゃない!!」
「うん?」
手にしているカラフルな加工が施されている缶を持ち上げて、まじまじと見てみる。
本当だ…確かに『甘くて酸っぱ(以下略)』と可愛らしい文字で書かれてる。
あまり深く考えずに選んじゃったんだけど…お、美味しいのかな?
不安そうな態度がいつのまにか表情に出てしまっていたのだろう。
由里香が笑いながら「大丈夫よ、それ。ちゃんと人気あるもん」と言ってくれたので、安心して口をつけてみる。
うん、確かに美味しい!
口内にシュワっとしたあの炭酸の独特な感じと甘酸っぱさが広がる。
知らず知らずのうちに満面の笑顔になっていたらしい。由里香に指摘されて、慌てて顔を引き締める。
そんな私を見て由里香は可笑しそうにまた笑った。
「はーっ、本当にアンタって見てて飽きないよねぇ」
「そ、そうかな…」
ほ、褒められてるのかな?
ちょっとばかり照れ臭くなって、鼻をかく。
「褒めてない褒めてない…」
「へ?」
「いーや、何でもないわよ」
何だろう?
首を傾げるが、由里香は呆れたようにため息をついただけだった。
2人で暗闇の中仄かな明かりが灯るロビーのソファーに腰掛ける。
時刻はすでに夜中の0時を回っていた。
皆が寝静まったのを見計らって、2人でこっそり部屋を抜け出してきたのだ。
「さて、と」
コホンと小さく咳払いをして、由里香は真っ直ぐな視線を私に向けてきた。
あまりの真剣さに思わずごくりと喉が鳴る。
実のところ、何故いきなり由里香が部屋を抜け出そうと言ってきたのか自分でもよく分からなかったりするのだ。
よほど真面目な話なのだろうと踏んでいたのだが…
「葵衣、お風呂で言ってたこと、ちゃんと覚えてるわよね?」
「え?」
お、おふろ?
「―――というワケで、今から作戦会議を開きまぁす!!」
「へっ!?」
作戦会議!?
必死に記憶を辿っていくが、何せあの「浴場事件」があったのだ。
あまりに印象が強すぎて…というか衝撃が大きすぎて、他のことをほとんど覚えていないというのが正直なところだったりする。
「なによ、忘れたのぉ?アレよ!アンタと雪平君、私と早坂君のお近付き作戦よ、お近付き作戦!」
「…ぁ」
そういえば、そんなことを言ってた気もするぞ。
なんでか、雪平君と変な風に誤解されたままだったんだっけ…
その事にやっと気付いた私は、慌てて訂正しようとする。
「あのね、由里香、そのことなんだけど…」
「明日の予定なんだけど、さっきさりげなく香帆姉に確認してきたんだよね。明日1日でラストまで撮影終えて、夜はお楽しみのサプライズイベントがあるらしいの。それが何かまでは香帆姉もさすがに教えてはくれなかったんだけどー…でもそのイベントしか絶好の機会がないわ!明後日はもう最終日だから時間がないし」
「は、はあ…」
「とりあえずアンタ明日は自分から雪平君に話しかけなさい。コレ絶対よ?そう言ったコツコツとした地道な努力が大切なんだからっ」
ぐっと握り拳を決めて力説してくる由里香に、気付いたらこくこくと頷いてしまっていた。
ひ、ひえ〜…、何だかとんでもないことになってきたぁ…
「私もなにが何でもこの合宿で早坂君とお近付きなる!だから葵衣、一緒に頑張ろう?」
そう言ってちょっと頬を赤く染める由里香は、やっぱりすごく可愛くて。
どれだけ健人君のことが好きなのか、真っ直ぐに伝わってきた。
私には縁のない話だけど…
こうやって自分の心に素直で純粋に相手を想える由里香を羨ましく思う。
私にも…
私にもいつかこういう相手、見つかるのかなぁ…?
「…っ!」
―――って、えっ!?
だから、何でここで健人君が出てくるの…!?
ぎゅっと目を閉じ、健人君のことを頭の中から追い払おうとブルブルと首を振る。
「?…何やってんの、アンタ」
「えっ!?うっ、ううん!何でもないよ」
訝しげに見てくる由里香に、私は慌てて笑って誤魔化した。
―――だんだんと、でも確実に育まれている想いに必死に気付かない振りをして。