最終話 山の声
わたしは、ここに在る。
名を与えられる前から、
国境が引かれる前から、
人が数を数えることを覚える前から。
風が削り、
雨が刻み、
氷が抱き、
時間が積もった。
それが、わたしだ。
人は、長いあいだ
わたしを越えなかった。
越えないという選択すら、
選択とは呼ばれなかった。
ただ、在った。
それで十分だった。
*
やがて、叩く音が届いた。
最初は、かすかな震えだった。
小さな意思が、石に触れた程度の。
わたしは動かなかった。
動く必要がなかった。
叩く者は増え、
叩く理由は変わり、
それでも音だけは、
同じ速さで続いた。
欲望が叩いた。
好奇心が叩いた。
義務が叩いた。
やがて、理由は去り、
音だけが残った。
*
わたしは、覚えている。
剣の形をした鉄。
鋤の形をした鉄。
名前を失った鉄。
汗の重さ。
息の数。
代わっていく顔。
だが、わたしは数えない。
数えるのは、人の仕事だ。
*
そして、ある日。
石が割れ、
風が通った。
貫かれた、という言葉は
人が使う。
わたしにとっては、
通り道が増えただけだ。
穴の向こうで、
人は立ち尽くした。
何も起きなかったからだ。
それは、
わたしが拒んだからでも、
与えなかったからでもない。
最初から、
役割を引き受けていなかっただけだ。
*
時は流れた。
鉄は速くなり、
青銅は変わらなかった。
片方は、
見上げる余裕を失い、
片方は、
見上げる必要を感じなかった。
それでも、
両方とも、
わたしの麓を歩いた。
*
今、穴は残っている。
大きな穴だと、
人は言う。
わたしから見れば、
針の先ほどだ。
数千年の労力は、
風穴として、
確かにそこにある。
それで十分だ。
*
人は、意味を欲しがる。
だが、
意味は後から来る。
たいていは、
来なくても困らない。
わたしが在る理由は、
在ることだ。
貫かれても、
見上げられても、
忘れられても。
わたしは、
ここに在る。
それだけで、
時間は流れ、
国は生まれ、
国は老い、
人は通り過ぎる。
それで、
世界は続いている。




