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第2章:ケヴィアスの過去

その鏡は、黄金でできていた。純度100%、混じりけなしの黄金だ。

俺は鏡を覗き込み、そこから見つめ返してくる怪物の、真紅の瞳を見つめた。俺の手――青白く、細く、そして微かに震えている手――が伸び、冷たい鏡面に触れる。

「ケヴィアス・フォン・スヴォボダ」

俺はそう呟いた。その名は、灰と高級ワインのような味がした。

もう、東京の狭苦しいアパートにはいない。インスタントラーメンと澱んだ汗の臭いは消え、代わりにラベンダーとオゾンの香りが漂っている。俺はもう、35歳童貞、フリーター、佳作のリボンを見て泣いていた負け組の「コン」ではない。

俺は金持ちだ。

俺は美しい。

俺は権力者だ。

そして俺の人生は――完全に、徹底的に詰んでいた。

[ワールドデータの解析中...]

なぜ俺の状況が「祝福」であり、同時に「死刑宣告」なのか。詳しく説明しよう。

俺は今、『LADS』――正式名称『Love and Death Special』の中にいる。

ライトゲーマーにとって、このゲームは単なる綺麗な恋愛シミュレーションに見えるかもしれない。だが、ハードコアなファンや業界人、そして俺のような熱狂的なマニアにとって、『LADS』は傑作だ。いわば、恋愛ゲーム界の『ダークソウル』だ。

このゲームの最大の特徴は「男女兼用主人公システム」にある。

「男主人公」を選べば、ジャンルは「ハーレム・バトルファンタジー」になる。女性キャラは可愛いヒロインとなり、イケメンキャラたちはハーレムを守るために倒すべき「悪役ライバル」となる。

「女主人公」を選べば、ジャンルは王道の「乙女ゲーム」に変わる。男性キャラは煌びやかな攻略対象となり、女性キャラは主人公をいじめたり殺そうとしたりする「悪役令嬢」へと変貌する。

プレイヤーの視点によって善悪が逆転する。この複雑に入り組んだ人間関係こそが、このゲームの真骨頂だ。

ただし、一人を除いて。

この光と闇の世界において、決して変わることのない「定数」が存在する。唯一の絶対的な闇。

それが、ケヴィアス・フォン・スヴォボダだ。

男だろうが女だろうが、「光のルート」だろうが「影のルート」だろうが、ケヴィアスは常に「悪役」だ。

彼は「全ルート共通のユニバーサル・アンタゴニスト」。混沌にして悪。差別なく拷問し、操り、犯し、殺す男。

ゲームのプログラム上、ケヴィアスが生き残る「ハッピーエンド」は存在しない。彼の死こそが、スタッフロールへの引き金だ。ケヴィアスが生きていれば世界は終わり、恋人たちは結ばれない。彼は幸福への門を閉ざす錠前であり、その唯一の鍵は、切り落とされた彼の首だけなのだ。

コスプレ大会に備えるため、俺は単にゲームをプレイしただけじゃなかった。解剖するようにやり込んだ。男主人公でも、女主人公でもプレイした。すべてのスチル、すべての隠し会話、すべての悲劇的な過去をアンロックした。

だから俺は知っている。なぜケヴィアスが今の彼になったのかを。

そして今、彼のシルクのパジャマを着て、皮膚の下を這いずり回るような灼熱感を感じながら――俺は自分が何と戦わなければならないのかを、正確に理解していた。

「ぐっ……」

鋭い痛みが胸を貫き、指先へと広がっていく。まるで沸騰したお湯を血管に注入されているような感覚だ。

俺はドレッサーの端を握りしめた。拳が白くなるほど強く。

これが、この世界の設定だ。

この「アルカナの世界」において、魔法は学ぶものではない。生まれつきの権利だ。

誰もが特定の魔法適性を持って生まれてくる。

平民は通常、火・水・風・土・光・闇といった基本的な属性魔法を持つ。稀に「固有魔法ユニーク・マジック」を持って生まれる平民もいるが、それは宝くじに当たるような確率だ。

スヴォボダ家のような貴族は、通常1つか2つの固有魔法を持って生まれる。

王族ともなれば作りが違う。彼らは3つの固有魔法を有している。

例えば、この世界設定の基礎を作った賢者ゼウス・オリンポス。歴史上最強の魔導師であり、ルミナス学園(LA)の創設者でもある彼は、「雷」「重力」「精霊召喚」を操った。正真正銘の化け物だ。

そして、ケヴィアスだ。

俺は自分の胸を見下ろした。薄い寝間着の下で、紫色の血管が不気味に脈打っているのが見える。

ケヴィアスは一つの固有魔法を持って生まれた。物語の後半で、闇の儀式を通じてもう一つの魔法を手に入れるが、生まれつき持っているその力は……

それはギフト(贈り物)ではない。呪いだ。

[固有魔法:魔力吸収(欠陥品)]

ケヴィアスは人間ブラックホールだ。彼の体は自然に周囲から、そして何より近くにいる「生きている人間」から魔力を吸い寄せてしまう。彼は歩くモバイルバッテリーだ。

問題は何か? それは、彼の「出力ポート」が子供の頃に塞がれてしまったことだ。ある不審な事故によって。(この詳細は、エンドゲームのDLCまで意図的に伏せられている)。

つまり、彼は常にエネルギーを吸収し続ける。充電して、充電して、充電し続ける。

放出されなければ、体内の魔力圧マナ・プレッシャーは内臓を押し潰すまで高まる。それは慢性的で激しい苦痛をもたらす。皮膚は接触に対して過敏になり、性格はイライラし、怒りっぽく、暴力的になる。

想像してみてほしい。24時間365日、全身を襲う偏頭痛があり、誰かが隣に立つたびにそれが悪化する状況を。

だからケヴィアスは人を嫌う。だから彼は孤独を選ぶのだ。

「はぁ……はぁ……」

俺は激痛の中で呼吸を整えた。衣装制作の修羅場で指を接着剤でくっつけてしまった時に使った、あの呼吸法だ。

ゲームの中で、ケヴィアスはある解決策を見つけた。

それは残酷で、恐ろしい解決策だった。

彼は通常の呪文では過剰な魔力を放出できないが、「譲渡」はできることを発見したのだ。直接的な接触――具体的にはキスをすることで、余分な魔力を他人の体に強制的に流し込むことができる。

彼はメイドや平民を捕まえ、キスをする。そして、その不安定で高圧的な魔力を、相手の心臓に直接流し込むのだ。

結果どうなるか? 被害者の心臓は許容量を超え、破裂する。

パンッ、とね。

ゲームの設定ロアでは、ケヴィアスはほぼ毎日メイドを殺していた。彼は人間の命を使い捨ての電池のように扱った。ただ自分の頭痛を和らげるためだけに、無実の女性たちを殺したのだ。

コン、コン。

重厚なオークのドアが叩かれる音に、俺は飛び上がった。

「ケ、ケヴィアス様……?」廊下から震える声が聞こえた。「あ、朝のお茶をお持ちしました……」

俺は凍りついた。

これはチュートリアル・イベントだ。ゲームのプロローグにあったシーンだ。

原作では、ここでメイドが入ってくる。ケヴィアスは一晩中溜まった魔力の痛みに苦しんでいる。彼はカッとなり、メイドを掴み、魔力を流し込み、朝食前に彼女を殺す。彼を一瞬で「悪役」として印象付けるシーンだ。

俺の心臓――いや、ケヴィアスの心臓が肋骨を激しく叩いた。痛みで目がくらむ。このエネルギーを放出したくてたまらない。体中の細胞が叫んでいる。『ドアを開けろ、その女を掴め、この苦痛をそいつにぶちまけろ』と。

そうすれば楽になる。どんなに気持ちいいことか。

だめだ。

俺は歯を食いしばり、鉄の味がするまで唇を噛んだ。

「入れ」

俺の声は予想よりも低く響いた。威圧的で、冷たい声だ。

ドアがきしむ音を立てて開いた。16歳にもならない若いメイドが入ってくる。彼女はあまりにも激しく震えていたため、トレイの上のティーカップがマラカスのように音を立てていた。顔は蒼白だ。まるでライオンの檻に入ってくるかのような顔をしている。

彼女は知っているのだ。屋敷の誰もが知っている。朝、ケヴィアス様の部屋に入れば、生きて出られないかもしれないと。

「お、お茶でございます、旦那様……」彼女は床に視線を釘付けにしたまま、悲鳴のような声を上げた。

俺は彼女を見た。

体内の魔力がうねる。飛び出したくて、彼女を食らい尽くしたくて暴れている。

『俺はコンだ』俺は自分に言い聞かせた。『俺はコスプレイヤーだ。殺人鬼じゃない』

俺は彼女に向かって歩いた。彼女はビクリと身を縮め、目を閉じ、死を覚悟した。

俺は2フィート手前で立ち止まった。その近さが皮膚を焼くようだったが、俺は姿勢を保った。背筋を伸ばし、顎を上げる。公爵令息としての「完璧なポージング」だ。

俺は手を伸ばした。彼女が小さく呻いた。

俺はトレイからティーカップを取り上げた。

「置いていけ」

抑え込んだ苦痛で、俺の声は張り詰めていた。

メイドは混乱して片目を開けた。「え……旦那様?」

「置いていけと言ったんだ」俺は額に脂汗が滲むのを見られないよう、彼女に背を向けながら言い放った。「そして出ていけ。お前の気配は……目障りだ」

それは典型的なケヴィアスのセリフだった。傲慢で、拒絶的。

「は、はい! ありがとうございます、旦那様! ありがとうございます!」

彼女は疑問を持たなかった。くるりと向きを変え、ほとんど全力疾走で部屋を出て行き、静かなクリック音と共にドアを閉めた。

彼女がいなくなった瞬間、俺は壁にもたれかかり、そのまま床へと崩れ落ちた。

「くそっ……」俺は胸を押さえて喘いだ。「これは……思ったよりキツイな」

殺さなかった。最初のテストはクリアだ。

だが魔力はまだそこにある。泡立ち、煮えたぎっている。

人を殺さずにこの魔力を放出する方法を見つけなければならない。学園編の後半で主人公が手に入れる隠しアイテムが必要だ。「無効化の指輪」――あれがあれば過剰な魔力を貯蔵できる。

だが、それは何ヶ月も先の話だ。

「耐えるしかない」俺は誰もいない部屋で呟いた。「貧乏にも耐えた。拒絶にも耐えた。35年間の孤独にも耐えたんだ。これくらいの胸焼け、どうってことない」

[怪物の動機]

俺は体を引きずり起こし、鏡の前に戻った。

顔を作らなければ。痛みのせいで顔が歪みそうになるが、ケヴィアス・フォン・スヴォボダは決して顔をしかめたりしない。彼は冷笑するのだ。

なぜケヴィアスはあのような怪物になったのか? ただ痛みのせいだけだったのか?

いや、違う。彼を不機嫌な貴族から大量虐殺者へと変えた引きトリガーがあった。

彼の「婚約者」だ。

ゲームの設定では、ケヴィアスには実は愛する人がいた。親が決めた政略結婚だったが、彼は心から彼女を大切にしていた。彼女は彼を恐れない唯一の人間であり、彼の呪いを理解しようとした唯一の存在だった。

だが、このゲームは残酷だ。

学園編の途中で、彼の婚約者は殺される。

誰に殺されるのか?

男主人公ルートなら、彼女は主人公とライバルの戦いの巻き添えになる。

女主人公ルートなら、嫉妬した攻略対象によって罪を着せられ、処刑される。

最愛の人が、この世界のいわゆる「英雄たち」によって殺されたという真実を知った時――ケヴィアスは壊れる。

世界が彼の唯一の光を奪うのなら、太陽など消してやる。そう決意するのだ。彼は主人公を狙う。ヒロインを狙う。攻略対象たちを狙う。

ただ殺すだけではない。

ケヴィアスの有名なセリフが脳裏に蘇る。

『死ぬのは簡単だ。人を死ぬほど怖がらせるのは、生きることだ』

彼は彼らを苦しめようとした。自分が毎日感じている孤独と痛みを、彼らにも味わせようとしたのだ。

そしてその道は……その道は、例外なく彼の死へと続いている。毎回。どのルートでも。

俺は鏡に映る自分を見た。白い髪。赤い目。数千もの二次創作を生み出したその顔。

「そうはさせない」俺は誓った。

俺はオリジナルのケヴィアスじゃない。この婚約者に彼ほどの執着はない――少なくとも、今はまだ。だが、俺にはゲームの記憶がある。誰が彼女を殺すか知っている。いつ、どうやって殺されるかも。

彼女を救えば、ケヴィアスの狂気への転落を止められる。

彼女を救えば、彼の復讐劇によって立つ死亡フラグを回避できるかもしれない。

[新たな目標]

俺は背筋を伸ばした。痛みはまだ背景で鈍く唸っているが、計画を立てるアドレナリンがそれを上書きしていた。

悪役に転生した人のなかには、パニックになる奴もいるだろう。泣き出し、逃げ出して洞窟で暮らそうとするかもしれない。

だが、俺は?

俺は部屋を見渡した。

家具はマホガニー製。カーテンはシルク。クローゼットには、日本での生涯年収よりも高い服が詰め込まれている。

俺は15歳。

公爵家の息子。

金持ち。

魔法の才能がある。

そして、イケメンだ。

前の人生と比べてみろ。

35歳。

金なし。

童貞。

内向的な負け犬。

社会の笑いもの。

「戻る?」俺は低く、乾いた笑い声を漏らした。「正気で戻りたい奴なんているか?」

これは罰じゃない。ご褒美だ。

俺はずっと他人になりきって生きてきた。ウレタンと夢で作った鎧をまとい、特別な誰かになろうとしてきた。

今、俺は特別な存在だ。

俺は化粧台からヘアブラシを掴んだ。長い白髪を、星明かりのように輝くまで梳かす。表情を練習する――顎を上げ、目を半眼にし、退屈と危険な殺気が入り混じった表情を。

「ケヴィアスの運命は、俺が修正する」俺は鏡に向かって言った。映った姿が頷き返したように見えた。

「この呪われた体を使いこなしてやる。婚約者を救う。開発者が植え付けたすべての死亡フラグをへし折ってやる」

そして、その次は?

「そして実家の財産を持って、のどかな田舎の屋敷に隠居し、暖かいベッドで老衰で死ぬまで優雅なスローライフを送ってやる」

誰にもケヴィアスを殺させはしない。

俺がこの体の中にいる限り、「歩く死亡フラグ」はこの世界が見たこともない最強のボスキャラ(ラスボス)になるだろう。

俺はクローゼットへと歩き、ルミナス学園の制服を取り出した。黒と金を基調とした、鋭く、軍服を思わせるデザインだ。

袖を通す。完璧なサイズだ。今まで作ったどのコスプレ衣装よりも素晴らしい。

首元の脈打つ血管を隠すように襟のボタンを留める。震える手を隠すために白い手袋をはめる。

俺は深く息を吸い、心を整えた。

時間だ。

今日はルミナス学園の入学式。

そこにはヒロインがいる。主人公たちがいる。シナリオが動き出そうとしている。

俺は自室のドアを開け、スヴォボダ家の壮大な廊下へと足を踏み出した。

悪役は目覚めた。そして、台本を無視して突き進む。

(続く)

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