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幕間:祈りの帳簿

石造りの礼拝堂は、夜の冷気を溜めこんで凍りついたように静まり返っていた。

 薄暗いランプの下、ひとりの女が長椅子に崩れ落ちていた。


 両手は組まれ、白い指は血がにじむほど固く絡み合っている。

 唇は震え、押し殺した声が零れた。


 「……セラフィーヌ。どうして……」


 祈りでも呪いでもない。

 ただ、言葉を失った魂の慟哭だった。


 目の奥には涙が溜まっていた。

 だが頬を伝うより早く、袖口で拭い去られる。

 泣き顔を見せてはならない。

 彼女の死を悼むことは許されても――心を砕かれた姿を曝すことは許されない。


 「……無念です。あの方を弄んだ者は、必ず裁かれるべきです」


 椅子の影に伏せられた机には、一冊の帳簿が開かれている。

 教会の会計記録ではない。薬商人たちの取引帳――幾度も修正された数字の群れ。

 ページの隅には青い仕切り線と、見慣れぬ印章が押されていた。


 女は指先でその印をなぞり、唇を噛みしめた。

 「……真実は隠されている。だからこそ、暴かなくては」


 その背に、足音が近づいた。

 規則正しい、軍靴の響き。


 「悲しまないで」


 低く澄んだ声。

 振り返ると、黒衣の青年が立っていた。

 鋭い眼差しを持ちながら、その奥には揺るぎない慈愛が宿っている。


 異端審問官――ルキウス。


 女は慌てて顔を背けた。

 「……私は、大丈夫です」


 「嘘だ」

 ルキウスはゆっくりと歩み寄り、女の前に片膝をついた。

 「君は彼女を誰よりも慕っていた。無理に強がる必要はない」


 女の瞳が揺れる。

 しばしの沈黙の後、嗚咽が漏れた。


 「……私は誓います。セラフィーヌを辱めた者を、必ず――」


 「誓いなら、私も共に背負おう」

 ルキウスの声は揺るぎなかった。

 「彼女の魂を穢す者は、決して許さない。君が望むなら、私の剣も捧げよう」


 女は顔を上げた。

 その瞳には涙が光り、同時に狂気にも似た決意が宿っていた。


 「ええ……必ず。必ず舞台をやり直させる。セラフィーヌの物語を……正しく、伝説にするために」


 ルキウスは頷き、女の肩にそっと手を置いた。

 香炉の煙が二人の間を揺れ、影を長く引き裂いていく。


 その光景を、誰も知らない。

 ただ冷たい石壁が、誓いを記録するように音を吸い込んでいった。

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