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糸が裁つは三流の台本

 視界が揺れた。

 ルシオの笑顔は、月明かりを浴びた水面みたいにきらきらしていた。

「かわいい子猫ちゃん。しばらくの間、おやすみ」


 その言葉を最後に、頭が真っ白になった。


(……これ、ゲームのイベント通りだ!)

 意識が落ちる直前、胸がざわつく。ヒロインがルシオに連れ去られる定番のイベント。気を失ったヒロインは必ず、彼の“秘密基地”で目を覚ます――。

(だとしたら……ここで終わりじゃない!)


 視界の端に、酒樽が見えた。とっさに指先に電気を走らせる。

 焦げつくような痕跡を残す。それは誰にも気づかれない、小さな印。


(眼帯君……ちゃんと気づきなさいよ!)


 闇が一気に落ちてきて、私はそのまま意識を手放した。



 冷たい石の感触が背中にあった。

 瞼を持ち上げると、灯りの揺れる地下室。壁は粗い石造りで、天井は低い。空気は湿り、樽や木箱が積み上げられている。


 両腕は背中で縛られていた。縄は固く、皮膚に食い込んで血が滲んでいる。

 視線を前に向けると――あの男がいた。


「おはよう。よく眠れた?」

 ルシオは、いつも通り柔らかい声で笑っていた。


(……やっぱり、ゲームのイベント通りだ。ここは酒場の地下。ヒロインが囚われる場所。でも――)

 胸の奥で冷たいものが波立つ。

(何かが違う。ゲームのルシオは“演出”を気取っていただけ。けど今目の前にいるのは、なにか別の……もっと得体のしれないものだ)


「……こ、ここは?」

 わざと怯えた声を作る。ゲーム通りに進めたほうが安全だ。そう判断した。


「ふふ。怖がらないで。ここは僕の秘密基地さ」

 ルシオは軽い口調で言う。だが、その奥にちらついた影は見逃せない。


 彼は腰をかがめ、私の顔を覗き込んだ。

「君、よく見ると可愛い顔をしてる……」

 白い指が私の頬をなぞる。体が強張る。抵抗できないわけじゃない。でも――今は動くべきじゃない。


「ありがとうございます」

 努めて冷静に返す。


「冷たいんだね。でも、それが君の魅力でもある。黒髪に、純朴な顔つき。身分差に悩む悲劇のヒロインってところかな」


 彼は懐から小さな手帳を取り出した。顎に手を当て、何やら書き込みながら独り言を呟く。


「……うん、台本は書き直したほうがよさそうだ」

 鉛筆の音が地下に響く。

(……は? 目の前に私がいるのに、設定を考えてる? 私を“役”としてしか見ていない?)

 寒気が背中を走った。



「あ、いいこと思いついた!」

 ルシオの声が跳ねた。子どもが玩具を見つけたみたいな無邪気さ。

「君は僕に恋するけれど、身分差に苦しむ。悪役令嬢に嫌がらせされて、刺客まで差し向けられる。そこに僕が助けに入る! 二人は苦難を乗り越えて結ばれるんだ!」


 頬を紅潮させ、恍惚と語る姿。

(……は? 何を自白してるの? こんな台本イベント、ゲームにはなかった!)


「ど、どういうことですか?」

 わざと戸惑いを滲ませる。


「なにが? 台本に沿って行動してほしいだけだよ。本当は自然にこうなってほしかったんだけど……君、聖女ちゃんと違って何か知ってるでしょ? お利口さんみたいだし、お願いしたほうが楽かなって思ってさ」


(……筋書きが狂ったからって、ここまで自白する? 三流の演出家にもほどがある)


「もし……断ったら?」

 声がかすれる。


「はは、別に代役なんていくらでもいるよ」

 軽やかに笑ったその目だけが、虚ろに濁っていた。

「でも、君は引き受けてくれるって信じてる」


 ルシオが指を鳴らした。


 暗がりから、影のように暗殺者たちが現れる。黒い刃、無機質な仮面。

 さらに、紙束がばさりと床に散らされた。


 私は目を凝らす。――奴隷契約書。

 見覚えのある名が並ぶ。その中には「エマ・ド・ラフォレ」の文字もあった。


「パパにね、おねだりしたんだ。そしたらいっぱいくれたよ」

 無邪気に笑う顔。その裏で、目は氷みたいに冷えている。

(……やっぱり、こいつはただの茶番の役者じゃない。本物の狂気だ)


「で、どうかな?」

 ルシオは紙を拾い上げ、振り返る。

「一緒に舞台に上がってくれる? 今、一番注目されてる君が僕のお気に入りなんだ」


 喉が乾いた。でも、口を開く。

「お断りします。三流の演出家が仕切る舞台に興味はありません。……殺してください」


 一瞬で、場の空気が張り詰めた。

 暗殺者の影が一斉に揺れる。


「そう。残念」

 ルシオの指が、再び鳴った。


 刹那。

 刃が私の喉を狙って振り下ろされ――


 白い線が走った。


 糸のように細い輝きが暗殺者の首を裂き、頭が床に転がった。

 生温い血が私の頬に飛び散る。


「……無事のようだな」

 低い声。


 暗闇の入り口に、片目を覆った影が立っていた。

 糸を張る指先は微動だにせず、ただ冷徹に敵を見据えている。


 セドリック。


「やっぱり来ると思ったよ、セドリック」

 ルシオは笑った。

 その笑顔はあくまで柔らかく――けれど、底なしの狂気を隠していた。

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