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セドリックの限界

 尖塔が近づくほど、足が重くなった。

「……ほんとに行くの?」

 口に出したところで、隣の男は振り向かない。セドリックは無言で歩く。歩幅は一定、背筋は直線。いつも通り。なのに、空気だけが荒い。

(不機嫌……いや、苛立ってる。でも任務は遂行。文句は言わないタイプ。いちばん怖いパターン)


 門の前には弔意の黒布。掲示板には事務的な文字が並ぶ。

《一限:追悼の祈り / 二限以降:通常授業》

《欠席届多数につき、演習の編成に変更あり》

 聖女殺害の報せから三日。学園の空気は低く、湿っている。祈りは済んだ。にもかかわらず、ざわめきは消えない。


(リリアーヌは来ない。婚約破棄の令嬢がこの場に現れたら、舞台は一瞬で彼女の色に染まる。だから今日は、私とセドリックだけ)

 私は制服の袖をひとつつまんだ。生地の硬さが現実を連れ戻す。



 教室に入ると、老教授が黒板の前で名簿をめくっていた。丸眼鏡のレンズに鐘楼の光が差す。

「二限は予定通り、上級魔法の実践演習を行う」

 ざわめき。教授は手を上げて沈める。「上位三名は前へ」


 指先が名簿をなぞり、三つの名で止まる。

「ノエル・――、セドリック・――、ルシオ・――」


「……は?」

 思わず声が漏れた。


(ちょっと待って。上位三名って、なんで私が入ってるの!? モブのはずでしょ!?)

 教授は咳払いし、淡々と補足した。

「上級貴族の欠席が相次いでいる。繰り上げで枠を埋める。――不満かね?」


「い、いえっ!」

 反射的に返事が出る。数十の視線がこちらへ向いた。

(不満しかないけど!? ノエル本人の生活記憶がないんだよ! ゲーム知識だけで授業に耐えろって、どういう無茶振り!)


 横目でセドリックを見る。

「……助けて」って視線を送ると、彼は短く言った。

「やればいい」

 即答。表情筋は一ミリも動かない。

(はい出た、正論爆弾。そうだよね、できる前提で話す人だよね!)



 前に出ると、床の標的札と護符が等間隔に並んでいた。

「各自、得意系統で示せ。詠唱は可、短縮が望ましい」

 教授の声が落ちる。静寂が立ち上がる。心拍が耳の奥で鳴る。


 胸の底に、ひと続きの言葉が浮かんだ。

(いちばん“残ってる”やつでいく)

 舌先に乗せる。肺で温める。声帯で切る。

 短い詠唱。音の骨組みだけ。


 パチ。

 指先に走る痺れと同時に、薄白い線が床を走った。

 標的札の護符が焦げて、煙が糸のように立ち上る。


「……できた」

 自分でも驚くほど小さな声が漏れた。膝が少し抜ける。安堵が喉の奥をゆっくり落ちていく。


 次の瞬間、空気が破裂した。

「すご……」

「今の、上級の域だろ」

「ノエルが?」

 椅子の軋む音、吸い込む息。教授は眼鏡を外し、目頭を指で押さえていた。

「――ついに、その領域に。よくここまで鍛えた」


 喉の奥がひやりとする。(やっぱり、できるんだ)

 そして遅れて、記憶の残像が追いつく。

(……ラスボス直前のイベントで、聖女が使っていたやつだ)



「素敵じゃないか」

 陽に温められた砂糖みたいな声。振り向けば、金髪の男がいた。

 ルシオ。女好きの放蕩息子。学園では笑いながら歩くのが作法みたいな人間。けれど、その笑みは鏡面みたいに外側だけ滑らかだ。


「君みたいな子が前に立つと、教室が明るくなる。怖がらなくていい、僕がうまく見せるよ」

 差し出された手。距離が近い。

(観察対象。ここで邪険にできない)

 私は礼儀の笑みで角を落とす。「お気遣い感謝します」


「次は、影の見せ方も教えようか」

 肩越しに囁く声は、甘いのに温度がない。

(やめろ、その“守る”系台詞、別の人に言う予定だったやつでしょ)


「授業中だ。距離を保て」

 低い声が割り込む。セドリックが半歩、前に出ていた。

 彼の体温だけが周囲より低いみたいだ。言葉は短いのに、刃の角度を正確に選ぶ癖が出ている。


「授業? 女の子の手を取ることより優先することかい?」

 ルシオは肩を竦めて笑う。

「可哀想に。――ノエルは、もっと楽しめるよ?」

 視線が、こちらの心拍を測るみたいに滑ってくる。

(やめてほんとやめて、セドリックが沸騰する)


「……貴様」

 セドリックの目が細くなる。

「その下卑た視線をノエルに向けるな」


 空気の膜が破れたように、教室の温度が揺れた。

 誰かが椅子をきしませ、教授が「あ、あー」と喉を詰まらせる。

 セドリックは感情を出さない男だ。だからこそ、今の一言は教室の光景を一瞬で硬直させた。


 ルシオは掴まれたわけでもないのに、自分の手首を見下ろし、それからゆっくり笑った。

「変わらないな、セドリック。君は昔から、僕の舞台が嫌いだ」


「舞台でもなんでもない。他人を道具にする遊びのことだ」

 セドリックの声は平坦なのに、床板の釘が奥で軋む。

「二度と、ノエルに触れるな」


 笑みが一瞬、薄れる。すぐ戻る。今度は面白がる種類の笑顔だ。

「……いいね。犬猿って、物語が盛り上がる」


 ルシオは片手をひらりと上げた。

「では、また。ノエル。君の――」小さく間があく。

「衣装が整ったら」


 踵を返し、廊下のざわめきに溶けていく。噂話は、彼の背中に吸い込まれるみたいだ。



 静けさが戻った。いや、戻らない。鼓膜の内側だけが、いつまでも騒がしい。

「……ごめん」私は隣に立つ男に小声で言う。

「爆発するとは思ってなくて」

「爆発はしていない」

「言葉の話」

「任務を続ける」

 それしか言わないのが、逆に安心する。彼はいつも通りで、ただルシオにだけは、いつも通りでいられない。


 黒板の前で教授が咳払いした。

「授業は……本日はここまで。各自、気持ちを整えて解散」

 生徒たちは椅子を引き、噂を抱えて廊下へ出ていく。何人かは振り返り、私とセドリックを見比べた。


(聖女は死んだ。空いた“席”を埋めたがる者がいる。悪役の名札はもともとこちらに用意されていた。――座席取りゲームの合図は、もう鳴っている)

 窓から風が入り、アーチの白い花が揺れた。微かなジャスミン。

(アナベル。見てるなら、笑っていればいい。舞台に立つのは、私が選ぶ)



 廊下に出た途端、セドリックが短く言った。

「次も、ついていく」

「監視、だよね」

「そうだ」

 無表情。けれど、言葉の奥にまだ残っている苛立ちを、私は聞き分ける。

「……ありがとう」

「礼は要らない。任務だ」

 彼はそれだけ言って、前を向いた。私はその背中を追う。足取りは軽くない。でも、逃げてはいない。

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