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血塗られた舞台、暴かれた仮面

 黒布をまとった影が滑り込み、短弩を構え、符弾を装填する。

 乾いた音が幾つも重なり、闇が鋭い金属の光で縫い上げられていった。


 その一糸乱れぬ動きに、胸の奥がざわつく。

(……どこかで、見た。けれど、思い出せない……)

 記憶の底を指で掻くような感覚。前世で遊び倒したあの乙女ゲーム――似ている。だが輪郭が霧に覆われ、どうしても掴めない。


 紫煙と香の甘さが溶け合い、場が凍りつく。

 私は短刀を握り直し、リリアーヌと視線を交わした。


 その瞬間、エマが一歩前へ跳び出した。

 白いドレスの裾を翻し、無邪気に笑う。

「おねぇ様ぁ! ちゃんと見ててくださいねーっ!」


 レイピアが閃き、最前の暗殺者の喉を一息に貫いた。血が弧を描く。

 エマは一歩も退かず、むしろ楽しげに両手を広げ、返り血を浴びたまま跳ねた。

「えへへっ♡」


 次の刹那、短弩の弦を断ち切り、さらに別の暗殺者の顎を蹴り砕く。骨が潰れる音が耳に生々しく響く。

 倒れ込む影の首筋へ、ためらいなく刃を滑らせた。

 無垢な笑顔のまま、声色だけがはしゃいでいる。


「おねぇ様ぁ! こっちも倒しましたーっ!」

 振り向く瞳は、恋する少女のように輝いていた。


 けれど、その足元には血溜まりが広がり、斃れた死体が幾つも転がっている。

 無邪気さと残酷さの乖離が、背筋を凍らせた。


 リリアーヌはグラスを揺らしたまま微笑む。

「頼もしいわ、いい子」


 私は短刀を握り直しながら、吐き気を飲み込んだ。

(……あれは、もう普通の少女じゃない)


 その時だった。

 背後で艶めいた声が笑う。

「やれやれ♡ 歓迎が手荒い。――嫌いじゃないわ」


 レオナルドだった。

 彼の視線は戦況ではなく、エマが積み重ねた死体へと吸い寄せられていた。

 頬に紅潮を浮かべ、唇に艶を宿し、芸術品を前にした画家のような顔で。


「ふむふむ……あらやだ! なかなかいい体してるわー」

 レオナルドは死体の頬に触れ、血に濡れた肉の張りを撫でる。

「筋肉の収縮、血管の浮き。生前よりもずっと“生き生き”している。――芸術は死を越えて完成するのよ」


 懐から小瓶を二つ取り出し、底を爪で弾く。封蝋の呪がぱちりと弾け、青黒い液が床に滴る。

 じゅう、と石の目地が焦げ、薬臭と香の甘さが交わる。その下で、血を吸った板の奥から“何か”が目を覚ました。


 肉が膨張し、骨が軋み、獣めいた四肢を形作る。

 さっきまでエマが屠った死体が、呻きながら立ち上がる。

 人の形をしたまま、しかし人でなくなった兵士。


「うふふ♡ 美しいわぁ……芸術は爆発? 違うわ、これは再生。舞台に残る最高傑作よ」

 レオナルドの声は甘く、狂気を孕んでいた。


 死体兵が一歩踏み出す。次の瞬間、暗殺者の頭が吹き飛んだ。

 骨の拳が頬を叩き割り、血と肉片が壁に撒き散らされる。

 残った兵も構わず踏み込み、骨の肘で胸郭を砕く。

 音は鈍く、だがどこか楽器の打音に似ていた。


「うふふ♡ 見て、ノエル。死体は小道具。幕の間に動く“人形”よ」

 レオナルドはうっとりと呟き、笑みを深める。


 私は吐き気を抑えつつも、その有用さを否定できなかった。

(……使える。恐ろしいけど……使える)


 エマは血に濡れた頬を輝かせながら、次々と短弩を切り伏せていく。

「ねぇおねぇ様! もっと見ててくださいね!」


 無邪気な声が戦場を満たし、死体兵と少女の二重奏で暗殺者たちは瞬く間に追い詰められた。


 中央では、リリアーヌがいつも通り優雅にグラスを揺らしていた。

 琥珀の液は波ひとつ立たず、彼女のヴェールは血の飛沫を避けるようにすらりと流れる。

 惨劇を前にしてなお、一滴の酒も零さない。

 まるで日常の延長にすぎないと言わんばかりに。


「……舞台は整ったわ」

 リリアーヌが囁く。

 その声に合わせて、死体兵が最後の影を殴り潰した。


 次の瞬間、死体兵の肉体がひび割れ、光が漏れ、蒸発するように消えていった。

 灰すら残らない。舞台の幕が下りるみたいに、唐突で、美しく、儚い。


「うーん、残念。もっと遊びたかったわ……」

 レオナルドが唇を尖らせる。

「でも時間制限もまた芸術。永遠は退屈だもの。一瞬だからこそ輝く……ねぇ、最高でしょう?」

 彼の笑みは陶酔に濡れていた。


 私は荒い呼吸を抑えながら、血の染みた床に視線を落とす。

 そこに転がる死体――その装いを見た瞬間、心臓が跳ねた。


(……この服。どこかで……)

 手袋の縫い目、短弩の装填の仕草。記憶の奥で何度も見た。

 でも霧がかかって、輪郭が掴めない。


 リリアーヌがヴェールの奥で微笑む。

「……ねぇ、ノエル。タイミング、ぴったりじゃない?」


 その言葉で、脳裏の霧が弾けた。

 ――あのイベントだ。

 聖女と攻略キャラのデートシーン。

 キスの直前に襲撃が入り、暗殺者の影が一瞬だけ映る。

 それと同じだ。


 では、なぜ。

 なぜ彼が、ここで。


 私は覆面へと手を伸ばした。

 布の下から覗いた顔に、息が止まる。


「……っ!?」


 セドリックと犬猿の仲にある、あの攻略キャラの――執事。


 血の匂いと紫煙の中で、心臓が一度止まり、次に跳ね上がる。

 謎は深まり、舞台はますます狂気に満ちていく。


 リリアーヌの笑みが艶やかに深まった。

「さあ、幕はまだ下りないわ――共犯者」

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