幕間の襲撃者
アジトの扉が、石壁ごと軋む勢いで開いた。
先頭にリリアーヌ。黒ヴェールの下で口角を艶やかに吊り上げる。
その背で――エマが「おねぇ様ぁぁ!」と絶叫しながら、長身の男に軽々と肩に担がれていた。
「離せこの変態! おねぇ様に近づくなって言ってるでしょ!!」
「やぁん♡ 挨拶に細剣を突きつける子は初めてだわぁ。元気でよろしいこと」
男は白い指でひらひらと手を振り、片腕だけでエマの体重を受けたまま、優雅に室内へ進む。
腰まで落ちる銀金髪、目許に紅を差したような艶、香水ではない薬品の匂い――舞台役者と解剖室が同居したような佇まいだ。
「紹介するわ」リリアーヌが紫煙を吐く。
「レオナルド。元・国家錬金術師。禁術研究の露見で追放、いまは裏の舞台で武器商人をしている“芸術家”よ。――私の銃を形にしたのは彼」
「拍手はいらないわぁ♡ 喝采は仕事で貰う主義なの」
レオナルドはエマをそっと床に降ろし、胸に手を当てて芝居がかった一礼を寄越す。
「この子ったら“おねぇ様に近づくな変態!”って、いきなり刃を向けてきたの。だから、ね? “制圧”だけ。お行儀を教えただけよ」
エマは頬を真っ赤にしてリリアーヌの背に回り込み、「おねぇ様、コイツ危険です」と唸る。
「危険でなければ、私の舞台には上がれないわ」リリアーヌが愉しげに応じる。
レオナルドはそのやり取りに満足げに頷くと、ゆっくりとこちらへ向き直った。視線が一人ずつを舐める――“品定め”の眼だ。
「まずはあなた」エマへ指先。
「色は紅。熱が過ぎれば火傷するタイプ。可愛いわ、闘犬ちゃん」
「誰が闘犬よ!」
「そしてぇ……そこの灰色」私を見て、唇に笑みを刻む。
「ぱっと見、退屈。けれど染め上げるには最高の下地。――良い灰よ」
「……余計なお世話です」私は即答する。(灰色、ね。染めるのはあなたじゃない)
「黒はもちろん――あなた」リリアーヌに視線を移し、恍惚と囁く。
「漆黒の主役。舞台そのもの。楽器は銃、調律は血。完璧」
最後に、眼帯の青年へ。
「で、あなた」
言葉に甘さが増す。「あ・な・た♡」
「氷色の青。冷たい刃。――ええ、とても良い。好み」
セドリックの頬が、わずかに強張った。「……ど、どうも」
(冷血眼鏡が動揺した。貴重。記録しておこう)私は心の中で乾いた拍手を送る。
「お喋りはほどほどに。――持ってきたものを見せなさい」
リリアーヌの声が、場を一拍で締める。
◇
レオナルドは机の上へ帳簿の束を放り出した。古びた紙の端に、あの“青い仕切り線”――教会と王家だけが動かせる特別搬出ルートの印。
紙は洗い晒しだが、角の癖は最新。誰かが最近まで手で捌いていた記憶を、紙が覚えている。
「裏の薬屋と商会の記録を“借りて”きたの。血が少しついたのはご愛嬌♡」
レオナルドは艶っぽく笑って、指先で数行をなぞる。
私は覗き込んだ。
(インクの退色にばらつき。――ここ、二日前の追記。筆圧が軽い……Aの書き癖)
胸が冷える。「……アナベル?」
「噂だとねぇ――この仕切り線を実際に“動かしていた”のは、アナベルちゃん」
レオナルドが肩をすくめる。
「名前、印影、配送認可の押し戻し。どれも“残す”力が強い。動かす女よ」
セドリックが帳簿を受け取り、青い線へ視線を落とす。
「だが――途中から筆跡が混じっている。帝国書式の曲線でもない。彼女自身の癖でもない」
「そう、そこが愉快なの」レオナルドは目を細める。
「アナベルちゃんは舞台を回している。けど、その“痕跡”を掃除して回る別の手がある。つまり――アナベルは大役に立ってるけど、幕間で床板を拭く影役者もいるってわけ」
(掃除屋……ミランダか、それとも――)私は舌の奥で考えを噛む。
(どちらにせよ、“今回の件の脚本”はアナベルが握っている)
「まだあるわ」レオナルドは懐からもう一冊、小ぶりの帳面を出す。
「今日の昼。裏の薬屋にフードの女の子。霊薬と薬草を大量に。それから――爆薬」
唇の端が艶やかに歪む。「舞台を燃やす支度ね」
「……顔は?」私。
「女の子がうちに来るなんて滅多にないの。リリアーヌちゃん以外は初めて。だから覚えてる。背はあなたくらい、指先の所作は貴族、歩幅は訓練者。――フードの縁に、聖紋糸のほつれ」
レオナルドは片目をつむる。「噂どおりに並べれば、アナベルちゃんで合点」
セドリックが苦い息を吐いた。「……やはり、彼女か」
レオナルドは椅子の背に肘を掛け、こちらを順に見渡す。
「さて、商売の話。私は矜持があるの。対価を払えば、誰にでも売る。舞台を血で飾る爆薬も、奇跡を誤魔化す霊薬も――等しく商品」
紫煙がゆらぎ、熱を帯びる。
「例えば、そこの眼帯のイケメンくんが“体”で払うなら――禁術の研究録だって特別価格で用意するわ♡」
セドリックの耳朶がほんのり赤い。「……結構だ」
(二度目の動揺、確認。――このおねぇ、強い)私は無表情で頷き、内心だけで毒を吐く。(まともなのは私だけ、では決してない。最もまともじゃないのは、この“ファミリー”そのもの)
リリアーヌがブランデーをひと口。目だけで笑った。
「いいわね。あなた、躊躇がない。――気に入ったわ」
◇
その瞬間だ。
ガラスが裏返るような爆ぜる音。窓面に貼っていた防符が焼け、室内の灯が一度だけ死ぬ。
黒布をまとった影が滑り込み、短弩を構え、符弾を装填する。
その動きに、胸の奥がざわついた。
(……どこかで見た。けれど、思い出せない……)
記憶の底を指で掻くような感覚。
ゲームの舞台に似ているのに、霧がかかったみたいに輪郭が掴めない。
紫煙と香の甘さが溶け合い、場が凍りつく。
私は短刀を握り、リリアーヌと視線を交わした。
その横で、レオナルドが唇を艶やかに歪める。
腰のホルスターを撫で、長い指をひらりと翻した。
「やれやれぇ……手荒い歓迎ねぇ。――嫌いじゃないわ♡」
その声には、愉悦と昂ぶりが同居していた。
舞台に幕が落ちるのを待つ演者のように、不敵な笑みで影を迎え撃つ。
――幕は、次で上がる。