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舞台袖からの手紙

 治療を終えて数日。再び、私たちはアジトの一室に集まっていた。

 石造りの壁にランプが灯り、埃をまとった空気の中で、奇妙な“家族会議”が始まる。


 「――で、今後はどう動くのかしら?」

 リリアーヌが椅子に腰をかけ、ブランデーを揺らす。


 セドリックが淡々と答えた。

 「情報を集めるべきだ。帝国、教会、そして……あの未知の黒幕。その痕跡を追う必要がある」


 「なら、分担して動きましょう♡」

 リリアーヌは楽しげに唇を吊り上げる。

 「表の顔を持つ者と、裏の顔を持つ者。それぞれ役割があるものよ」


 視線が順に私たちをなぞる。

 「私とエマは“裏”。婚約破棄された哀れな令嬢と、断罪から逃れた脱獄囚――街を歩けば目立ちすぎる」

 エマは「おねぇ様と一緒なら♡」と嬉しそうに頷く。


 「一方で、あなたたち二人は“表”。学院の優等生と、影の薄い男爵令嬢。外から見れば健全な組み合わせよ」

「……は? なんで私がこの腹黒眼鏡と――」

「承知した」セドリックは即答。

「ちょ、待って、嫌です! ぜったい面倒くさいです!」

「ふふ♡」リリアーヌは笑うだけだ。

 私の抗議など存在しなかったかのように、セドリックの手が私の襟元を無言でつまみ、椅子から立ち上がらせる。鉄のように容赦がない。


 最初の目的地はアナベルの邸宅だった。

 灰色の石で組まれた瀟洒な門、磨かれた真鍮の取っ手、庭の砂利に足跡一つない。生き物の気配が薄い静けさ――計算された不在の匂いがする。


 セドリックは教本の挿絵みたいな所作で門を叩いた。

「学院の友人としてお見舞いに参りました。アナベル嬢の容態を伺いたい」

(表では完璧な善人ぶり。腹黒、演技うまいな)私は内心だけで毒を吐く。


 白髪まじりの執事が現れ、深く一礼した。ためらいの間が、不自然に長い。

「……お嬢様はご傷心のため、療養で郊外へ。しばらくはお目通り叶いません」


 扉が閉まる。気配はすぐに門の内側へ吸い込まれ、跡形もなくなる。


「ほら見なさい。怪しいでしょ」

 私が肩をすくめた時、門柱の陰に、紙束が留め具で掲示されているのが目に入った。巡礼者名簿の控えだ。黒い文字列が並ぶ中に、見慣れた名前が刺さる。

――【アナベル嬢 大礼拝堂にて奉納】

 墨はまだ新しい艶を残している。


(郊外で療養中? 三日前、王都で“奉納”してるのに)

 私は紙面を指先で弾き、セドリックに囁く。

「――嘘つかれましたね」


 彼の片眼が冷たく光った。

「居場所を消し、痕跡を選び、残している。……自分の存在の出入り口を、自分で設計している」



 表の門は、彼の顔でいくらでも開いた。

 学院の記録庫では、司書が慌てて鍵束を持ってきて、分厚い鉄の扉をがちゃりと外す。中は窓が深く閉ざされ、紙と膠の匂いが重く沈んでいた。棚は天井まで積み上がり、紐で綴じられた年代記が鈍い背を並べる。埃はあるのに、床だけは掃き清められ、靴音がやけに響いた。


「アナベル嬢の閲覧記録や来訪記録を確認したい」

 セドリックが差し出した紹介状に、司書はうやうやしく頭を下げる。

「……こちらが今月分です。ですが、該当するお名前は――」

「ない、ですか」

「ええ、“最初から”。訂正も追加もありません」


 私は帳面を受け取り、捲る。紙の端を指腹で撫でると、ここだけ毛羽立ちが少し潰れている。

(“最初からない”は嘘。ここ、乾いた紙肌にわずかな荒れ。消しゴムなんて贅沢品はないから、削って墨を乗せ直した)

 墨のにじみ方も他と違う。古いページに新しい黒が載ると、縁にだけ鈍い光沢が残るのだ。


「待ってください。ここの行……一度書いて、削って、上から塗ってます」

 私の指摘に、司書が目を丸くする。セドリックは黙って身を寄せ、紙面の角度を変え、蝋燭の光を這わせた。

「……確かに。だが、個人名は読み取れない。上書きが巧妙だ」


 教会の帳簿室では、対応はさらに形式ばった。司祭は銀の鍵を胸元の鎖から外し、低い扉を二重に開ける。薄い羊皮紙の束、封蝋の甘い匂い、聖油の残り香。

「訪問記録は厳密です」と司祭は言った。「信徒の動きは祈りの証ですから」

 けれど、アナベルの名はどこにもなかった。二重線すらない。初めから、その日に彼女は存在しなかったことになっている。


 私はぺらぺらと高速で捲り、ふと指を止めた。紙面の余白に、薄く消えた小さな点列。

(香の暗号……? いや、これは……行間を揃えるための“目印”。書いた人の癖。アナベルの手習いだ)

 前世の“表の舞台”でも、彼女はいつもイベントの起点だった。紙の隅に残る“目印”は、まるで舞台監督の仕込みの合図みたいに私の記憶を叩く。


「ここ、“記録から消された”んじゃない。最初から“存在していない”ことにされてる。でも、手は残る。彼女の書き癖――目印」

 セドリックは眉根を寄せた。「根拠は」

「にじみと点の間隔。数を数えて。彼女は五の倍数で打つ癖がある。――ほら、十五、二十、二十五」

 司祭は信じられないといった顔をしたが、セドリックは黙ってその癖を暗記するように目を細めた。

「……面白い。やはり君は只者ではない」


 (褒め言葉? 探り?)喉奥で言葉がとぐろを巻く。

(――私の“前世”を勘づきかけている? 今は、飲み込め)



 街では、噂が空気に混ざっていた。

「確かにこの通りで見たよ。薄いヴェールの娘だ」

「いや、港の方だ。黒の外套でひとり」

 証言は散って、なのに動線の“要所”だけが不自然に一致する。市場の角、巡礼碑の前、裏路地の拱。――観客の視線が自然と集まる“舞台の焦点”だ。


「噂は真実を飾る。だが、飾りの土台は消せない」

 私は呟き、セドリックは無言でうなずいた。



 アジトに戻ったのは、昼と夜の境目が擦り合わさる時刻だった。

 扉の閂は私たちが出る時のまま。窓には内側から掛け金。床の砂も踏み荒らされた形跡がない。鍵はセドリックが持っていた。にもかかわらず――机の上に、一枚の羊皮紙が置かれていた。


 封蝋も署名もなく、墨の匂いはまだ湿っている。絹糸のように細い筆致で、一行だけ。


 ――「舞台袖から、見ているわ」


 指先が熱を拾う。書いた直後の微かな温もり。

 セドリックは即座に窓を検め、閂を外し、外の石畳を一周して戻ってきた。

「侵入の形跡はない。鍵穴も無傷。――内部に差し込める隙は、ないはずだ」

「じゃあ、“手を入れずに”置いた?」

「幻術か、置き配の手品か、協力者か」

 合理の刃が、空気を静かに切り分ける。


 私は羊皮紙を持ち上げ、鼻先でかすかに嗅ぐ。

 柑橘と白百合――聖堂の香炉に似ているが、もう少し冷たい調合。アナベルの“符牒”だ。

(挑発? 招待? どちらにせよ、こちらを見て笑っている)


 ランプの灯が、紙の端に小さな影を作る。そこにも、五つ刻みの点が打ってあった。やっぱり、彼女の癖だ。


 外で夜鐘が鳴った。低い金属音が石の腹から這い上がり、私の胸骨を叩く。

 私は紙を折り、胸元にしまった。


(――追っているはずなのに、追わされている。舞台の幕は、向こうが握ってる)

(でも、構わない。舞台は必ず奪い取る。私は契約に従うだけ)


 背後でリリアーヌが笑った気がした。耳の奥で、グラスの一音が鳴る。

 舞台袖に潜む影は、確かにこちらを見ている。

 なら――次の一歩は、こちらの番だ。

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