第4話 あなたの願いを聞かせて
朝のチャーム工房には、ふわりとハーブの香りが漂っていた。
窓辺で光を浴びながら、リクは裁縫台に向かい、針を動かしていた。
「よし……昨日よりは針が暴れてないかも!」
リクが小さくガッツポーズを決めたとき、ゴウが肩越しに覗き込み、ニカッと笑った。
「いいじゃねぇか! 最初は指に突き刺さってばっかだったもんな! “針の刺客”って呼ぼうかと思ったくらいだぜ!」
「物騒な称号いらないって!」
リクが苦笑まじりに返すと、アヤが柔らかく微笑んだ。
「焦らず、あなたのペースで進めばいいわ。今は“針の友達見習い”くらいね」
「……ランクダウンしてない!?」
工房の空気がふわっと和み、柔らかな笑いが広がった。
リクは肩の力を抜き、もうひと針、丁寧に布を縫い合わせた。
その様子を、空中にぷかぷか浮かびながらミルが見ていた。
「ふふ〜、リクってば最近、いい顔するようになったよね〜。前は、ちょっと曇ったガラスみたいな顔だったのに、今はぴかぴかだもん!」
「……褒めてるんだよな?」
「もちろんっ♪ ボク、愛情たっぷりだから!」
胸を張るミルに、リクは小さく吹き出した。
なぜか心が、ほんのりあたたかくなる。
そのとき、工房の扉がそっと開いた。
「こんにちは……ごめんなさい、急に」
入ってきたのは、小柄な女性だった。
七十代ほどだろうか、着物の袖をぎゅっと握りしめながら、おずおずと近づいてくる。
「いらっしゃい。どうぞ、おかけください」
アヤが穏やかな声で迎え、女性をソファへ案内する。
「今日は、どんなチャームをご希望ですか?」
「……あの、恥ずかしいのですが、ひとつお願いがあって……」
女性は、古びた写真をそっと差し出した。
そこには若き日の彼女と、寄り添うように立つ男性の姿が写っていた。
「もう……この人とはお別れして、何十年も経つんですけど……今でも夢に出てきて……」
そう言って、女性は目元をそっとぬぐった。
「できれば……あの人を、笑って思い出せるようなチャームがほしくて……」
リクは、その言葉に胸をぎゅっと掴まれた気がした。
「想い出を、思い出すためのチャーム……」
「ええ。でも、ただ懐かしいだけじゃなくて……“ありがとう”って言えるような、そんなチャームが……」
アヤが、リクにそっと目線を送る。
「リク、お願いできる?」
「えっ、俺が……?」
リクは目を丸くしたが、アヤはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ。あなたには、人の心を感じ取る耳があるから」
「耳……?」
「心の声を聞く耳よ。外見じゃなく、中身をちゃんと受け止める力」
リクは一瞬きょとんとした。(……心の声って、どういうことだ?)
アヤはさらにやさしく続けた。
「イメージで言うとね……心が“ポワッ”ってなるの」
「……ポワッ?」
数秒間、ポカンとした後、リクは思わず叫んだ。
「アバウトすぎるだろ!!」
温かな笑いが、工房いっぱいに満ちた。
「感じればわかるわよ」
促され、リクは緊張しながら女性の隣に腰を下ろした。
「……あの、その人のこと、教えてもらえますか?」
女性は最初、少し恥ずかしそうにしながらも、静かに語り始めた。
初めて出会った日のこと、喧嘩したときのこと、一緒に作った晩ごはんの味……
リクはただ、黙ってうなずきながら、まっすぐに耳を傾けた。
口を挟むことも、気の利いた言葉を探すこともせず――ただ、受け止めるように。
(……これが、人の願いを受け止めるってことなんだ)
リクの肩にふわりと乗ったミルが、小声でささやいた。
「ね? リクって、ちゃんと“ポワッ”ってできる子だもん」
「……だから言葉にしてって」
「ふふん、感じるんだよ、感じるっ!」
リクは小さくため息をつきながら、ぼそっとつぶやいた。
「……結局アバウトじゃねぇか」
またひとつ、優しい笑いが工房に咲いた。
「うるさい」
そう言いつつも、リクの口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
リクは話を聞き終えると、そっと深呼吸して立ち上がった。
「……わかりました」
静かにそう告げると、作業台の前に向き直る。
素材を選ぶ手つきは、さっきまでよりも慎重だった。
手に取ったのは、淡い桃色の布。ふんわりとした手触りが、誰かの想いを包み込むようだった。
「……それは何?」
アヤが静かに尋ねる。
リクは手元を見つめながら、少しだけ照れくさそうに答えた。
「……なんとなく、この人の話を聞いてたら、これが一番しっくりきたんだ」
リクは言いながら、金色の糸と、小さな鈴もそっと添えた。
(“ありがとう”の気持ちを、形にしたい)
一針ずつ、心を込めて縫い上げていく。
ミルは、いつものおしゃべりも封印して、じっと見守っていた。
(……あのミルが静かだと逆に緊張する……)
そんなことを思いながらも、リクは黙々と針を進めた。
やがて、リクの手が止まった。
完成したチャームは、小さな桃色の袋に、金色の糸で「感」という一文字が刺繍されていた。
「できました……」
リクは、チャームをそっと女性の手に渡す。
「これは、“感謝の気持ち”を形にしたくて作ったチャームです」
女性はチャームをそっと両手で包み、しばらく見つめていた。
やがて、ふわりと微笑む。
「……ありがとう。なんだか、心があたたかくなるような気がします」
その言葉を口にした瞬間──
チャームが、ほのかな光をまとい、静かに輝き始めた。
「……え?」
ミルが小さく「おぉ……」と感心した声を上げる。
金色の波のような光が、工房の空間を優しく包み込み、空中にやさしい映像が浮かび上がった。
──それは、広々とした草原だった。
若き日の女性と、隣に寄り添う青年が、春風の中で手を取り合い、笑い合っている。
陽だまりにきらめく視線、何気ない会話。
それはまるで、一瞬のきらめきを閉じ込めた宝石のように美しかった。
「……これ……あのときの……」
女性の目に、そっと涙が浮かぶ。
「ありがとう……こんな風に、また会えるなんて」
映像はやさしく消え、チャームの光も静かに収まった。
リクは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「お疲れさま、リク」
アヤがそっと背中に手を添えて、優しく声をかける。
「今日は、いい仕事をしたわね」
「……うん」
リクは小さくうなずきながら、満たされた心を感じていた。
工房を出ていく女性が振り返り、深々とお辞儀をする。
リクはその姿を見送りながら、ぽつりとつぶやいた。
「……人のために作るって、こういうことなんだな」
その肩に、ミルがふわりと乗ってきた。
「ボクもね、さっきちょっとジーンってしたよ」
「お前にもそんな感情あるのか」
リクが半分驚いたように言うと、ミルは照れ隠しのように笑った。
「ボク、見た目より涙もろいんだからねっ」
「……絶対自分でハードル上げてるだろ」
リクが吹き出すと、ミルはくるくる宙返りしてはしゃいだ。
その無邪気な笑顔を見ながら、リクは静かに思った。
この出会いが、自分を少しずつ変えていく──そんな気がした。
リクは軽く肩を回し、ぽつりとつぶやく。
「……よし、次は“絶対に笑えるチャーム”とか作ってみるか」
「えっ、それ何!? ボクが笑いすぎて宙返りして大気圏突破しちゃうやつ!? やめて〜っ!」
工房の天井に、にぎやかな笑い声が弾けた。
そしてリクの新しい日常は、確かに一歩ずつ、かたちになり始めていた。