第16話:ダム・ガール、生まれ故郷を去る。
「家を出る以上、もう我が家の玄関をまたがないくらいの覚悟をお持ちなさい! 貴方の籍や居場所は、もうアヴェーナ家には無いのですから」
イグナティオさまが当家にいらしてから、あっという間に時間が過ぎて、今日はわたしが家を出る日。
昨晩は遅くまで妹がわたしに泣きついていたのは、可愛い反面可哀そうでもあった。
……実の母親が怖いのは嫌だよねぇ。本来の家督持ちを喜んで追い出すんだもん。
「はい、承知いたしております、お義母さま。長い間お世話を頂き、ありがとう存じました。くれぐれも、お身体にはお気をつけてくださいませ」
「ああ、嫌だわ。最後まで綺麗ごとを言うなんて! 貴方の顔を見ると、あの人。エルメリアを思い出すのよ。親子そろって本当に忌々しい! あの人も綺麗ごとばかり並べていて、平民共にもいい顔をする八方美人。いなくなって清々したわ」
騎馬服に着替えたわたしが義母に別れの挨拶をすると、突然彼女の口から飛び出したのはわたしの実母、お母様の名前。
歳が少し離れていると思うのだが、義母は母と面識があったらしい。
……確かお母様の方がお義母さまより二、三歳歳上ね。
「アミータ。貴方は色仕掛けで公爵さまを上手く落としたと思っているのでしょうが、もし婚約が……」
「お義母さま。わたくしとイグナティオさまの関係は仕事上のお付き合いです。間違っても、公爵閣下はそんな下品な方ではありませんわ。わたしに対する悪口はどうでもいいですが、イグナティオさまの悪口は絶対に許せません。くれぐれもお間違えの無いように!」
義母がイグナティオさまを侮辱するような事をこの期に及んで話すので、わたしは最後とばかりに言い返す。
もう家に帰れないのなら、手加減なんてしてあげる必要もないから。
「ぐぅ。まあ、そのあたりはどうでもいいですわ。もう貴方は、この家に帰る事は許しません。婚約破棄にでもなれば、修道院にでも行くことですわ、おほほ!」
「はい、お義母さま。わたくし、イグナティオさまの元で幸せになりますね」
負け惜しみを言う義母に、わたしは最後の「パンチ」をお見舞いした。
こういうタイプへの「復讐」は、自分が幸せになってやる事だから。
……なるほど、わたしのお母さまに何かの恨みがあって、姿かたちが似てきたわたしに恨み返しをしていたのね。話によれば、お母さまも下町によくお忍びで行っていた貴族令嬢らしからぬ方だったそうなの。
伯爵領を去る前、わたしは父の許可をもらって護衛付きで昔遊びに行っていた孤児院や市場に最後の挨拶に行った。
その際、皆にひどく悲しまれたのだが、そこでお母さまの話も聞いた。
「うぬぬ。か、勝手になさいませ!」
「はい。では、さようなら」
わたしは、ぺこりと義母に最後の挨拶をした。
◆ ◇ ◆ ◇
「イグナティオさま、お待たせいたしましたわ」
「いえいえ、アミータお姉さん。女性がお出かけをする際に、男より時間がかかるのは当然ですから」
わたしが荷物を纏めて玄関を出ると、領主公邸の中庭には沢山の馬車、幌付き荷馬車が待っていた。
……四頭立て馬車がいっぱいなの!
「い、イグナティオさま。わたくし個人の荷物はそんなにたくさんありません。衣服が少々と、主に書物が大半で……」
私の場合、「前世」の影響もあってか、貴族令嬢らしいドレスなどほとんど持っていない。
こと夜会用など、この間の舞踏会に着ていたものくらい。
大事な物は、多くの書物なのだ。
……時々、机の上で本読みながら寝落ちしていた。ひどいときは床で寝てたなんて恥ずかしくて言えないよぉ。
「やっぱりお姉さんは面白いなぁ。そんなにも勉強家で努力なされたから、この間の<石壁>は凄かったんですね」
「……正直、まだまだと思っていますの。思い描く巨大構造物を魔法だけで作るのは無理ですので」
……魔法でダムとかつくれたら良いけど。ダンジョンじゃあるまいし、構造維持の無限化なんてわたしには無理なの。
魔法により実体化したもの。
それは一時的に魔法による存在確率の変動により生み出されたものなので、世界からすれば異物。
絶えず世界から排除されようと干渉を受けるので、通常は無限に存在出来ない。
「でも、アミータお姉さんなら何か考えがあるんだよね」
「はい。コンクリートを作り出せれば、家や城。そしてダムなどを魔法なしに生み出すことができますわ」
義母の妨害で、俗にいうコンクリート。
「前世」でいうところのポルトランドセメントの開発は出来ていない。
ローマン・コンクリートの再発明もまだ。
これは今後の課題だろう。
「お姉さんとお話をしている間に荷物の積み込みは出来た様だね。お付きの方はヨハナお姉さんだけかな?」
「はい。わたくしに従ってくださるのは彼女だけですわ」
わたしは横目で、ヨハナちゃんが四頭立て馬車に遠慮しながら乗っているのを確認した。
「では、お姉さんはお話したように先に我が領地に参りましょう。ファフ、頼みます」
「御意!」
イグナティオさまは簡単にファフさんに命令を下す。
ファフさんも、気軽に人から竜の姿に変貌した。
「きゃぁぁぁ!」
悲鳴が上がった方向を見れば、義母が泡を吹いて気絶している。
妹は既に竜形態のファフさんを見ていたので大丈夫だったのだが、義母はわたしの話をまともに聴いてくれなかったので、ファフさんが竜であることを知らなかった様だ。
「こ、公爵閣下。これは?」
「ああ、心配させてすみません、伯爵さま。我が従者ファフは、本来は王家に代々仕える竜なのです。今はボクの護衛も兼ねています。なので、アミータお姉さんの事は絶対に安全ですよ」
お父さまもパニック寸前だったが、イグナティオさまの言葉で安心をしたようだ。
「では、お父さま。お身体にはお気をつけてくださいませ。また手紙を書きますわ。エリーザ、春の学校でまた逢いましょうね」
鞍を準備されたファフさんの背にイグナティオさまと共に乗ったわたし。
手を振りながら、生まれ故郷を旅立った。




